2017年05月12日(金)
龍馬さんの刀、土佐の闘犬 ときたので………
龍馬さんネタ で………
坂本龍馬さん って、どんな顔をされていたんでしょう
(えっ
イヤだなぁぁぁ~~~………
写真 とか見たことくらいあるでしょ
いっぱいあるじゃないですかぁぁぁ~~~………)
当時、龍馬さん は、色んな人達から 狙われていました。
土佐藩(脱藩した罪により 指名手配)
見回り組 Or 新選組など
そんな怖ぁぁぁ~~~い人達から身をかわす為に
龍馬さん は、変装の名人 であり、また、幾つもの 変名 を使っていた。
それやのに………わざわざ 証拠 を残すよぉーに写真を撮りまくり
おかしい と思うのが普通でしょ
しかも………
こぉぉぉ~~~んなに、各地を飛び回り、ちょ~~~多忙
当時の写真機 は、
『はい、撮りますよぉぉぉ~~~カシャ
』
ってしろもんじゃ無い
10分待つのだ………ぞ
元来、せっかちな性格だった(らしい)龍馬さん
それやのに………
こんなに 写真 が 残ってる
しかも、2枚目の写真
真偽が問われていたが………
(真偽が問われる何故
この写真が発見された当時、誰も 龍馬さん の本当の顔 を知らなかったから………)
本人と 認定 されたのも、
海援隊の関係者の子孫 が 同じ写真を持っていたから………ってだけ………
(つまり………何が言いたいんですか)
つまり………この写真が 龍馬さん だと広く世間に知らしめれば
刺客 などの目を、本当の龍馬さん(仮) から背けられる。
もっと勘ぐれば………
以前のBlogにも書きましたが
坂本龍馬 という英雄の実態自体 存在しなかったのかも………
幼い頃、勉学 も 武道 もからっきしダメだった、郷士 の 龍馬 が起つことによって
弱いモノ達 も………それじゃー俺達も………っと士気を高められる
実態自体存在しないのだから、脱藩しても、何しても、処分されることがないので怖くない
頭の部分を 武市一平太、武の部分を 岡田以蔵 が担当し、
2人の死後、
各地への遠征、各方面への交渉 などは
亀山社中(後の 海援隊)の各隊員が分担
(複数人で動くわけだから、あれだけの移動距離でも可能
それが、(表立って)働かない多くの社員達 を養えた理由………
それだけ、適材適所 に 多数の人材 が必要であったのだろう
長岡謙吉 :海援隊の事務全般を執り行い、龍馬の死後は、2代目隊長 となる。
佐々木高行:龍馬死後は、戦闘面では実質的な 2代目隊長 であった。
近藤長次郎:長州藩の軍艦兵器買い付けに多大な功績をあげた。
陸奥宗光:語学力や交渉力に優れていた。
維新後 外務大臣となり、
条約改正・日清戦争講和・三国干渉につき、優れた手腕を発揮した。
資金面 などの、問題もあったろうが………
勿論、その部分 を 担当する 龍馬さん も存在したのかも知れない
例えば………グラバーさん とか………)
まぁーマジな話………
経済面では
伊藤助太夫 :下関の商人
小曾根英四郎 :長崎の商人
大浦慶 :長崎の商人
などが、海援隊の活動を支援した。
そして………
その内の、実態役 を担当したのが、写真 の 龍馬さん
つまり、私の考えは………
坂本龍馬=勤王党 であり、海援隊
(個人を指す、固有名詞では無い………のではないか………と
)
P・S
薩長同盟、大政奉還………
後は………
坂本龍馬 という人物の 痕跡 を消し去るのみ………
それが、近江屋襲撃事件
その時の状況を知るのは、中岡慎太郎 のみ………
中岡 に当時の状況を語らせる………という状況を 演出 し………
数日後、口を封じる………
それが永年、龍馬さん の 死の真相 が解明されなかった理由である(仮)。
後に、元新選組の隊員 が 犯人 として名乗り出るが………
俗に言う、身代わり出頭 であろう
(じゃー………坂本家 に 龍馬 という人物は 存在しなかったんですか)
否………実在はしたようですが………
脱藩の際、複数人で実行するも、
実際に、脱藩できたのは 龍馬さん だけ と記録にはあるそうですが………
この山中で………入れ替わった若しくは………亡き者に………
コレらの内容は、あくまでも………私の 空想 フィクション ですので………
余談
コレは、現地のタクシードライバーの運ちゃんの話
運ちゃん『他所の人等にとって、坂本龍馬さん は ヒーロー みたいですが………
私ら地元のモンにとってはそぉーでも無いんですよ』
私 『えっ
何でですか
』
運ちゃん『そもそも、地元を捨てて逃げて行ったわけですし………
それに、他所 では色んな 偉業 を 達成したかも知れませんが………
地元ではなぁぁぁ~~~んにもしてませんから。
偉業 を 達成した のは、土佐を出てからの話ばっかでしょ
まぁー今は、観光 なんかでお金を落としてくれるから
アレなんですけどね………』