2017年04月19日(水)
私は、少し前、ここなつ さん や色んな方に色々教えて頂き
カメラにハマっていました。
ちょーど その頃に、フェルメールさん のことを知りました。
この方の デッサン は、遠近感、構図、陰影 など全て 特徴的 で
カメラマンの(
)目を持った画家 と呼ばれていたそうです。
何故、そぉー呼ばれていたのか
私は ビデオレンタル屋さん で、その理由を知ることになりました。
そのビデオの題名は………真珠の耳飾りの少女
フェルメール氏 の物語でした。
(勿論、主人公は、モデルの少女 です。)
フェルメール氏 は
カメラオブスキュラ というモノ を使い デッサン されていたそうです。
そして………
彼(フェルメール氏)の作品は、青を多用したモノが多く、
その 独特な青色 は フェルメールブルー と呼ばれていました。
そんな 独自の世界感 を持っていた フェルメール氏
しかし………現在、彼の作品は、多く出回っていません………
それは………メーヘレン という人物の影響が大きかったのです。
この メーヘレン という人物
画商 なのですが………
第2次世界大戦中、敵国である ドイツの将校 に
フェルメール氏 の作品を多数、売っていたのです。
それが、終戦後、公になり、
自国の至宝 とも言うべき、フェルメール氏 の作品を 敵国に売るなど以ての外
反逆罪 である
と 軍事裁判 にかけられました。
しかし………此処で メーヘレン は………
『あの作品は、フェルメール氏 の作品では無い………自分で描いたものである』
と証言したのである。
その証拠として1枚の絵を描き上げた。
それが………
コレである。
その後………最新の技術を用い メーヘレンが取り扱った作品 を鑑定した結果………
それまで、フェルメール氏 の作品とされていたモノの多くが
メーヘレン の手による 贋作 である と判明したのである………
慌てたのは、他の画商達 である………
第2次世界大戦中、絵を購入したドイツの将校も、プロの鑑定士に依頼し、
間違いなく フェルメール氏 の作品である と判断したからである。
それが、実は………贋作 であった………
見事、プロの目を欺いたのである。
鑑定士 や 画商 達は、自分の眼に自信が持てなくなり………
フェルメール氏 の作品 を 取り扱いたがらなくなりました………
それが、今日、フェルメール氏 の作品があまり出回っていない所以である。
そんな 希少 な、フェルメール氏 の作品の展覧会
行かんわけにはイカンでしょ
2010年06月28日 京都市美術館 フェルメールからのラブレーター展
2012年12月05日 神戸市立美術館 マウリッツハイス美術館展
2015年11月08日 京都市美術館 フェルメール と レンブラント
レンブラント氏 は、光と影の魔術師 と呼ばれた画家です。
写真の技法の1つ レンブラントライティング は
ライティングの明暗のコントラストにより、立体感を出す 技法 なのですが………
レンブラント氏 の画法 からきているものです。
(じゃー………次は………レンブラント………ですね)
………
次は………
ルノワール なのだよ。
(あっ
………ルノアール………聞いたことあるっすよ
)
もう少しだけ………続いても良いですか
続きます。