2016年08月12日(金)
いよいよ………
オーラス
毛利元就
小早川隆景
毛利輝元
と来て………
最後は………
広島駅から
バスに乗って………
2時間半
(
えっ
)
2時間半ですよっ
2時間半………

途中、どんどん他のお客さんは降りて行って………
ついに………私1人に
時間もどんどん過ぎていき………
風景も………どんどん のどかな風景 になっていきます………
(まぁー 風景がのどかになっていく こと自体は、全然問題ない のですが………
)
頭を過ったのは………
①帰りの
バスあるんかなぁ~~~………

②もし………帰れんくなった場合………
HOTEL………否々………民宿(宿泊施設)………なさそぉーなんですが………



色んな 不安 が脳裏を駆け巡る中………
何とか、目的地 大朝 に到着

画像 から のどかさ加減 が、伝わりますでしょうか


(周囲に 民家が無い ………
)
更に………こっから目的地まで
徒歩
20分
いやがおうにも、
早歩き………にもなってまうってもんです


。
おっ………あ、あれは………
よ、よかったぁ~~~………目的地
枝宮八幡神社
宮司さんのお住まいなんでしょうか
そこで飼われていると思われる
わんちゃん
めっちゃ………吠える、吠える



(どんだけ参拝客けぇーへんねん
………って感じです
。
※人が来慣れてる神社 に飼われてる犬は、人が ソコ を通るのは 日常茶飯事 なので
あんま 吠えません………)
かなり 閑散としてます………

吉川元春
広島出身 の 某歌手さん のご先祖様 だそうです………
(昔、水球やっとって、モ~~~ニカァ~~~………
って歌とった あの人ですか
)
Aくん 『あっ
僕は レイ~~~ンダンスが聞こえる
って曲が好きでしたね
。』
Bちゃん『あらっ
私は、やっぱり BE MY BABY BY MY BABY~~~………
よね
』
Cくん 『分かってないっすねぇ~~~………
アレは 布袋さんのギターが良いんであって………』
K編集長『もぉ~~~良えっちゅーねんっ
何の話しとんねんっ
』
Cくん 『あれ………編集長、ご存知ないんすか

昔、1年間だけ活動してた COMPLE …………』
K編集長『ソレは知っとぉーちゅーねんっ



問題は ソコ とちゃうっ
本題から外れとぉーちゅーこっちゃ
』
Dくん 『そぉーっすよ………やっぱ 1990………』


(もぉー良ぇ~~~ちゅーねん :一同

)
Tちゃん『………そ、それより………この 吉川元春 って………
生涯無敗だった って本当なんですか
それが本当なら………戦国時代最強 じゃなんですか
。』
あまい………あまいよ Tちゃん
①無敗≠全勝 とは限らない(引き分けもある)
②戦った相手による
主に勝ったのは………既に弱体化していた
尼子家(画像は 尼子義久)
尼子晴久 の急死により、家中の動揺を治める為、義久 は
(室町幕府)将軍:足利義輝 に、毛利 との和睦調停 を申し入れる。
毛利 は、コレ(雲芸和議)を受け入れるが………
その際、条件として 石見国への不干渉を申し入れ
義久 は、コレを了承してしまう………



※義久 は、有力な親族が殆どいない状態で家督を相続した為、
誰にも相談も出来ない状態だった(
)。
(………どぉー言うことですか
)
つまり………
尼子 の後ろ盾 を期待し、毛利 に 反旗を翻していた 福屋氏 が孤立し
福屋氏 に 軍事援助 を行おうとしていた 本庄常光・牛尾久清・多胡辰敬 らの
石見に駐屯していた 尼子家臣 や 温泉英永 など
尼子方の国人 が 不利な立場 に立たされてしまいます。
つまり………この時、義久 が和議の条件を飲んでしまったことが
同盟国、家臣の不信感を買い、尼子 は自滅・崩壊 していったのである………


。
更に………
九州統一に忙しかった
大友家(画像は大友宗麟)
の下っ端 大内輝弘 との 大内輝弘の乱
(大友家の援軍が十分に集まっていなかった。
※大友軍本隊は、
龍造寺(隆信)
との一戦で、ほんまはそれどころでは無かった………。)
そして………
備中高松城の戦い
では
(豊臣)秀吉
とは、一戦も交えていない………

吉川元春 は、イケイケドンドン の性格だったようですが………
その勝利の殆どが、父:元就 弟:(隆景) らの
調略、戦略 によるモノ が多い気がします
。
元就 の遺言
『1人 では脆いモノ………だが 3人(輝元・元春・隆景)力を合わせれば、強固なモノとなる。』
元春(武力)
隆景(知力)
しかし………
輝元(人望)
の力が弱かった………

恐らく、ソレは 輝元 自身も感じていたのであろう………
元春 と 隆景 の活躍に、功を焦り………
関ケ原 で、西軍の大将 を引き受けてしまった………

(関ケ原 での 西軍の大将 …………は、誰がどぉーみても 貧乏くじ)
やはり………毛利の息子達 は、3人で1人前だったのであろう………。
P・S
同じ 兄弟 でも………
こっちの4兄弟は………

島津義久(大将たるの材徳を備わる)
島津義弘(雄武英略をもって他に傑出する)
島津歳久(終始の利害を察する知略が並無し)
島津家久(軍法戦術に妙を得たり)
毛利 と 島津 の違い
毛利
元就(父親)が主軸
毛利 (輝元)
吉川 (元春)
小早川(隆景)
周囲の大国、吉川家 と 小早川家 に息子達を送り込み(養子)、
各両家を乗っ取らせ、軍事力拡大
島津
義久(長兄)が主軸
義久 歳久 は、主に内政、調略
実際に、戦地で戦ったのは、義弘 家久
完全に、内々でのみ………
役割も 完全分業制
私は、竹中半兵衛 のように、緻密な戦略 の基に、
スマートに相手を撃破 するタイプ が好きなんですが………
義久 も頭を使い、采配を振るうタイプ のようですが………
城から一歩も出ず………只のビビり みたいな気がして………
あんま好きじゃないです………

(でも………だからこそ、島津家 は、最後まで生き残れたんかも………
)

いよいよ………
オーラス


毛利元就

小早川隆景

毛利輝元
と来て………
最後は………
広島駅から


(



2時間半ですよっ



途中、どんどん他のお客さんは降りて行って………
ついに………私1人に

時間もどんどん過ぎていき………
風景も………どんどん のどかな風景 になっていきます………
(まぁー 風景がのどかになっていく こと自体は、全然問題ない のですが………

頭を過ったのは………
①帰りの



②もし………帰れんくなった場合………
HOTEL………否々………民宿(宿泊施設)………なさそぉーなんですが………




色んな 不安 が脳裏を駆け巡る中………
何とか、目的地 大朝 に到着



画像 から のどかさ加減 が、伝わりますでしょうか



(周囲に 民家が無い ………


更に………こっから目的地まで


いやがおうにも、








よ、よかったぁ~~~………目的地

枝宮八幡神社
宮司さんのお住まいなんでしょうか

そこで飼われていると思われる

めっちゃ………吠える、吠える




(どんだけ参拝客けぇーへんねん



※人が来慣れてる神社 に飼われてる犬は、人が ソコ を通るのは 日常茶飯事 なので
あんま 吠えません………)

かなり 閑散としてます………



吉川元春
広島出身 の 某歌手さん のご先祖様 だそうです………

(昔、水球やっとって、モ~~~ニカァ~~~………



Aくん 『あっ



Bちゃん『あらっ



Cくん 『分かってないっすねぇ~~~………
アレは 布袋さんのギターが良いんであって………』
K編集長『もぉ~~~良えっちゅーねんっ


Cくん 『あれ………編集長、ご存知ないんすか


昔、1年間だけ活動してた COMPLE …………』
K編集長『ソレは知っとぉーちゅーねんっ





問題は ソコ とちゃうっ

本題から外れとぉーちゅーこっちゃ

Dくん 『そぉーっすよ………やっぱ 1990………』






Tちゃん『………そ、それより………この 吉川元春 って………
生涯無敗だった って本当なんですか

それが本当なら………戦国時代最強 じゃなんですか


あまい………あまいよ Tちゃん

①無敗≠全勝 とは限らない(引き分けもある)
②戦った相手による
主に勝ったのは………既に弱体化していた

尼子家(画像は 尼子義久)
尼子晴久 の急死により、家中の動揺を治める為、義久 は
(室町幕府)将軍:足利義輝 に、毛利 との和睦調停 を申し入れる。
毛利 は、コレ(雲芸和議)を受け入れるが………
その際、条件として 石見国への不干渉を申し入れ
義久 は、コレを了承してしまう………




※義久 は、有力な親族が殆どいない状態で家督を相続した為、
誰にも相談も出来ない状態だった(

(………どぉー言うことですか


つまり………
尼子 の後ろ盾 を期待し、毛利 に 反旗を翻していた 福屋氏 が孤立し
福屋氏 に 軍事援助 を行おうとしていた 本庄常光・牛尾久清・多胡辰敬 らの
石見に駐屯していた 尼子家臣 や 温泉英永 など
尼子方の国人 が 不利な立場 に立たされてしまいます。
つまり………この時、義久 が和議の条件を飲んでしまったことが
同盟国、家臣の不信感を買い、尼子 は自滅・崩壊 していったのである………




更に………
九州統一に忙しかった

大友家(画像は大友宗麟)
の下っ端 大内輝弘 との 大内輝弘の乱
(大友家の援軍が十分に集まっていなかった。
※大友軍本隊は、

龍造寺(隆信)
との一戦で、ほんまはそれどころでは無かった………。)
そして………
備中高松城の戦い
では

(豊臣)秀吉
とは、一戦も交えていない………


吉川元春 は、イケイケドンドン の性格だったようですが………
その勝利の殆どが、父:元就 弟:(隆景) らの
調略、戦略 によるモノ が多い気がします

元就 の遺言
『1人 では脆いモノ………だが 3人(輝元・元春・隆景)力を合わせれば、強固なモノとなる。』
元春(武力)
隆景(知力)
しかし………
輝元(人望)
の力が弱かった………


恐らく、ソレは 輝元 自身も感じていたのであろう………
元春 と 隆景 の活躍に、功を焦り………
関ケ原 で、西軍の大将 を引き受けてしまった………


(関ケ原 での 西軍の大将 …………は、誰がどぉーみても 貧乏くじ)
やはり………毛利の息子達 は、3人で1人前だったのであろう………。
P・S
同じ 兄弟 でも………
こっちの4兄弟は………


島津義久(大将たるの材徳を備わる)
島津義弘(雄武英略をもって他に傑出する)
島津歳久(終始の利害を察する知略が並無し)
島津家久(軍法戦術に妙を得たり)
毛利 と 島津 の違い
毛利
元就(父親)が主軸
毛利 (輝元)
吉川 (元春)
小早川(隆景)
周囲の大国、吉川家 と 小早川家 に息子達を送り込み(養子)、
各両家を乗っ取らせ、軍事力拡大
島津
義久(長兄)が主軸
義久 歳久 は、主に内政、調略
実際に、戦地で戦ったのは、義弘 家久
完全に、内々でのみ………
役割も 完全分業制
私は、竹中半兵衛 のように、緻密な戦略 の基に、
スマートに相手を撃破 するタイプ が好きなんですが………
義久 も頭を使い、采配を振るうタイプ のようですが………
城から一歩も出ず………只のビビり みたいな気がして………
あんま好きじゃないです………


(でも………だからこそ、島津家 は、最後まで生き残れたんかも………

