2016年07月31日(日)
今回は………
広島県
三原
皆様は………3本の矢 というのをご存知でしょうか
戦国時代の武将
毛利元就
が、自分の息子達に云った 有名な文言 である。
今回は、その内の1人
小早川隆景
です
。
(こっからは、何時もの
妄想 です
。)
隆景 は………世の流れ を視ていた………
秀吉『殿(信長)………四国は 群雄割拠 1つ1つ潰していては、
こちらも疲弊してしまいます………
そこで………
土佐の国(現:高知県)に
長宗我部元親
という、優れた武将が居ります。
そやつに 四国 を取らせましょう。』
その後、計画通りに事は運び………
国盗りで 疲弊 した 四国軍 を 秀吉 が打ち破り 四国軍を引き入れることに成功。
秀吉『………殿(信長)、事は順調に運んでおりまする
。
次なる標的は………九州………此処には………
大友宗麟
島津
龍造寺隆信
の三家が御座います………』
大友は、キリスタン大名 にて、外交貿易にも秀でており………
あの 財力 は是非とも手に入れたい………
しかし………なんせ 財力 はある………此処(大友)と戦をするには………
どうにか 軍費 を消費させねば………
まず………龍造寺軍 の勢力拡大に脅威を感じた 有馬・大友連合軍 が
東備前に進行するも、千葉胤頼 と同盟を組んだ 龍造寺軍 に破れる………
コレにより 南備前にも威勢が及ぶようになり………
大友宗麟 が大軍を率い 肥前侵攻 を行う………
っが………
(此処で 毛利元就 が動く………)
元就 が 豊前 に侵攻してきたため、宗麟は 肥前 より撤退せざるをえなかった………
その後、
天正06年(1578年) 耳川の戦い にて
島津義弘
が、大友宗麟 を破り、九州を平定………するも
天正15年(1587年)
秀吉 は、大軍を率い薩摩に侵攻。
日向・根白坂の合戦 で 大敗した 島津軍 は………
大将、島津義久 が、頭を剃って 秀吉 と対面、和睦を結びました。
(和睦 とは名ばかりの………実質、全面降伏 でしょう………


)
さぁ~~~………コレで 御膳立ては整った………
此処で、秀吉 が 信長 に、こぉー囁きます………
秀吉『………実は………最近、四国の 長宗我部 が調子に乗っておりまして………
このままでは、殿の御立場をも脅かすようになるかと………』
信長『なにぃ~~~………


』
秀吉『………そこで………』
元親『………なにぃ~~~………伊予 と 讃岐 を 返還 せよ………だとぉぉぉ~~~
その上で、土佐全土 と 阿波の一部 の平定を 認める だとぉぉぉ~~~
四国を取る のに 信長様 のお力は一切借りておりませぬ………
民の為、広い領土 は必要です。』
そのような申し出は聞き入れるわけにはございませぬ


』
秀吉『………だそうです。』
信長『………何ぃぃぃ~~~………ワシに逆らうなど、生意気なぁぁぁ~~~………
四国など滅ぼしてくれるぅぅぅ~~~………


』
秀吉『………っだそうですよ(
)』
信長 と 四国 の 橋渡し をしていたのは………
明智光秀
です。
光秀『………いやぁぁぁ~~~………そやけぇぇぇ~~~ゆぅーて………
親っさん(信長)に弓は引けりゃ~せんよぉぉぉ~~~………
』
秀吉『………叔父さんがやられるゆぅーなら………
ワシらぁ~~~なぁ~~~んも知らんことにしときますけぇ………』
コレが………本能寺の変 の3日前の話………
秀吉『………ちゅーわけでよぉ~~~………コンナに話っちゅーのは………
その日、ワシはソコには居れんわけよ………
居ってもうたら………光秀 を止めにゃ~~~ならん………
バカ(光秀)に、うつけ(信長)を討たせて、ワシが 敵討ち ってことで 天下を取る
』
隆景『………ほぉ~やけんど………そんな大事な日(四国討伐)に………
コンナが、信長さん の側離れちゃ~~~まずかろぉ~~~が
』
秀吉『………そやけぇ~ワシャ~その日、此処でコンナと喧嘩しよったぁ~~~
言うことにしてくれんかのぉ~~~
アレ(家康)にも、宇治に所用で 所払いさせとくけぇ~~~
否々、なぁ~~~んも、ホンマに喧嘩しよらんでも良いんよ………
城の周り、水で囲んでから、水攻め ちゅーって 時間稼ぎ できりゃ~~~良えんよ
ただ………あんバカ(元春)に、計画話してもうたら、全てパーやけぇ~~~………
あんバカ(元春)をキッチリと抑えとってほしいんじゃ
』
これが、本能寺の変 の2日前

今回は………
広島県

三原
皆様は………3本の矢 というのをご存知でしょうか

戦国時代の武将

毛利元就
が、自分の息子達に云った 有名な文言 である。
今回は、その内の1人

小早川隆景
です

(こっからは、何時もの




隆景 は………世の流れ を視ていた………
秀吉『殿(信長)………四国は 群雄割拠 1つ1つ潰していては、
こちらも疲弊してしまいます………
そこで………
土佐の国(現:高知県)に

長宗我部元親
という、優れた武将が居ります。
そやつに 四国 を取らせましょう。』
その後、計画通りに事は運び………
国盗りで 疲弊 した 四国軍 を 秀吉 が打ち破り 四国軍を引き入れることに成功。
秀吉『………殿(信長)、事は順調に運んでおりまする


次なる標的は………九州………此処には………

大友宗麟

島津

龍造寺隆信
の三家が御座います………』
大友は、キリスタン大名 にて、外交貿易にも秀でており………
あの 財力 は是非とも手に入れたい………
しかし………なんせ 財力 はある………此処(大友)と戦をするには………
どうにか 軍費 を消費させねば………
まず………龍造寺軍 の勢力拡大に脅威を感じた 有馬・大友連合軍 が
東備前に進行するも、千葉胤頼 と同盟を組んだ 龍造寺軍 に破れる………
コレにより 南備前にも威勢が及ぶようになり………
大友宗麟 が大軍を率い 肥前侵攻 を行う………
っが………
(此処で 毛利元就 が動く………)
元就 が 豊前 に侵攻してきたため、宗麟は 肥前 より撤退せざるをえなかった………
その後、
天正06年(1578年) 耳川の戦い にて

島津義弘
が、大友宗麟 を破り、九州を平定………するも
天正15年(1587年)
秀吉 は、大軍を率い薩摩に侵攻。
日向・根白坂の合戦 で 大敗した 島津軍 は………

大将、島津義久 が、頭を剃って 秀吉 と対面、和睦を結びました。
(和睦 とは名ばかりの………実質、全面降伏 でしょう………




さぁ~~~………コレで 御膳立ては整った………
此処で、秀吉 が 信長 に、こぉー囁きます………
秀吉『………実は………最近、四国の 長宗我部 が調子に乗っておりまして………
このままでは、殿の御立場をも脅かすようになるかと………』
信長『なにぃ~~~………




秀吉『………そこで………』
元親『………なにぃ~~~………伊予 と 讃岐 を 返還 せよ………だとぉぉぉ~~~

その上で、土佐全土 と 阿波の一部 の平定を 認める だとぉぉぉ~~~

四国を取る のに 信長様 のお力は一切借りておりませぬ………
民の為、広い領土 は必要です。』
そのような申し出は聞き入れるわけにはございませぬ




秀吉『………だそうです。』
信長『………何ぃぃぃ~~~………ワシに逆らうなど、生意気なぁぁぁ~~~………
四国など滅ぼしてくれるぅぅぅ~~~………




秀吉『………っだそうですよ(

信長 と 四国 の 橋渡し をしていたのは………

明智光秀
です。
光秀『………いやぁぁぁ~~~………そやけぇぇぇ~~~ゆぅーて………
親っさん(信長)に弓は引けりゃ~せんよぉぉぉ~~~………


秀吉『………叔父さんがやられるゆぅーなら………
ワシらぁ~~~なぁ~~~んも知らんことにしときますけぇ………』
コレが………本能寺の変 の3日前の話………
秀吉『………ちゅーわけでよぉ~~~………コンナに話っちゅーのは………
その日、ワシはソコには居れんわけよ………
居ってもうたら………光秀 を止めにゃ~~~ならん………
バカ(光秀)に、うつけ(信長)を討たせて、ワシが 敵討ち ってことで 天下を取る


隆景『………ほぉ~やけんど………そんな大事な日(四国討伐)に………
コンナが、信長さん の側離れちゃ~~~まずかろぉ~~~が


秀吉『………そやけぇ~ワシャ~その日、此処でコンナと喧嘩しよったぁ~~~
言うことにしてくれんかのぉ~~~

アレ(家康)にも、宇治に所用で 所払いさせとくけぇ~~~

否々、なぁ~~~んも、ホンマに喧嘩しよらんでも良いんよ………
城の周り、水で囲んでから、水攻め ちゅーって 時間稼ぎ できりゃ~~~良えんよ

ただ………あんバカ(元春)に、計画話してもうたら、全てパーやけぇ~~~………
あんバカ(元春)をキッチリと抑えとってほしいんじゃ


これが、本能寺の変 の2日前