昨夜、私が考えさせられたトピックを、
おとつい母が、彼女のブログに書いていました。
以下は、母のブログ文です。















優香は言う。
「実の父親にすら愛されなかった人間が、どうして 誰か他人から愛してもらえるようになる?
特に 父親は 娘 は無条件にカワイイとチマタではよく言われているけれど
私は基本的に
自分は、無条件に 誰かから愛される人間ではないから
自分で努力をして、その努力で得た『人としての価値や魅力』を身に付けて行こうと頑張った。
その結果、今、やっと少し、『自分は価値のある魅力的な人間だ』と言えるだけだ」
これを聞いて
健気だと思う人もいるだろう。
また、逆に高慢と思う人もいるかもしれない。
努力を評価する人がいれば
努力など必ず実るわけではない、彼女が言う努力など自己満足と思う人もいるかもしれない。
そして
日本人が好む謙虚さを払いのけて、自分を
魅力ある人間と言ってしまえる彼女を、生意気だと笑う人もいるかもしれない。
彼女はこのような
人は、ひとつの対象について、それぞれに、様々な感情を持つ事は当たり前と承知した上で
謙虚であるべき部分は理解している。
自分の課題を見つけたなら努力を続ける。
そして
自分の価値を増やして
根拠のある、魅力的な人間であり続ける覚悟をしている。
16歳の冬休み、ひとり英国へ短期留学をして
そして本格的な留学の意志を固め
実現した。
母の私が彼女に望まなかった事
『このまま、この家にいて、母を手伝い、弟の介護をする日々を、彼女の人生の大筋と決めてしまう事、
それだけは、やめてほしい。』
私は彼女にそう望んだ。
彼女は私や弟への愛情と、幼い頃からの夢の間で
どれだけ迷い、そして何度、後ろ髪を引かれただろう。
~後略











>日本人が好む謙虚さ
母が書いたこの一文。
私が心得る”謙虚さ”
それは私が成長してきた過程で
師へ、目上のかたへ、初めてお会いするかたに、お客様へなど
その場の状況において、
自分の立場を冷静に、そして客観的に判断できる機会をたくさん頂いたおかげで習得できた気がします。
また、謙虚さを多く強いられた、私が幼いころの経験は
私を”臆病”にしたこともあります。
私は過去、謙虚であらねばならない状況にあまりにも敏感でした。





母は言います。
「慣習に添って、なるべく人から外れない行動をしながら
少しでも光が当たった時には
謙虚に自分を下げることを美徳とするよりも
たとえ人の群れから外れても
自分だけの人生を見つける方が大変。
そのうえ、出る杭は打たれる。
でも、打たれてナンボ(笑)の精神で
良いは良い。
自分が悪ければ、とことん反省する。
謙虚とは
我が身の中の光に対して
己が、その程度に甘んじないために潜在的に持つ意識でしかない。
私たち日本人は「謙虚」と、他から打たれないための「防御」を混同し、錯覚して、それを美徳にすりかえている。
もし、優香が他から打たれて、理不尽と感じた時は、きっとあなたがパイオニアの時。
残念ながら
初めての何か、新しい何かに、すぐには共感できない人は多い。
とりあえず、予防線を張ってしまう。
それと
まだまだ゛封建的な慣習は、あちらこちらに。
そーいう予防線を優しく取り除くように、慣習の中にいながら、新しい、あなたのキラキラした個性の境界線へと変えられるか、は
あなた次第。






時間はかかりましたが、
今は、海外で得た経験や仕事の中で、
謙虚であるべき事 と、
臆病である事 の違いを認識できるようになりました。
今私が考えなくてはならない事は、
”謙虚”の種類 と レベル調整なのかも。
昨夜は、ミスユニバース北海道・オフィシャルカフェ"Ouchi"で
反省会+ミーティングがありました

ごはんが

おいしかった




とっても可愛らしい(お店の中にE.Tがいます


スープカレーのお店です。
スパイスのきいたスープカレーはもちろん、
ミスユニ・スペシャルコースで頂いた、そのほかのお料理も
とても繊細で、感動のおいしさでした


ぜひまたプライベートでも堪能させて頂きたいです



みなさんもぜひ足を運ばれてみてください!
www.mamma-cr.com/ouchi/
そして、ご感想は私のブログコメント欄まで(笑)
支配人には私から報告しておきますo(^皿^)o