清々しい新緑が 目に優しく

 

美しい季節になりました✨

 

バラのお庭も綺麗ですね赤薔薇

 

今日のブログを読んでくださる皆さんへ

特に感謝しますハートキラキラ

 

お花見に行った千鳥ヶ淵で

イギリス大使館が目の前に虹

 

 

 

長年の夢だったイギリス行きまで あと8日🇬🇧

 

1988年、半年間ステイして以来

31年ぶりになりますドキドキ

 

 

当時は 大学で英米文学を専攻していて

講師になる夢もありました。

 

 遅い初恋もその頃

どうしてもイギリスに行きたい一心で

応募した英会話学校の仕事。

 

平成元年(1989年夏)

目に飛び込んできた新聞の一面右上

「海外勤務可能(ロンドン校)」の広告を見つけなければ

わざわざ鹿児島から東京へ出てくることはありませんでした。

 

大学4年で中退をしてまで

「なんとかイギリスに行きたい」との思いが強かったのです。

 

しかも反対されることがわかっていたので

親には内緒で。

着いてから母に連絡しました。

「英会話学校のお仕事が決まって、敷金礼金も出してもらえるし

初任給も30万だから心配しないでね!」

新しい環境は新鮮で、舞い上がっていました。

 

その時に限らず 勝手な性格だったので、両親は諦めるしかなかったようです。

 

その後、どうなったかというと

翌年 前の主人に出会い、25歳で結婚。

26歳の時 長女が生まれ、しばらく子育てに専念していました。

 

価値観も変わり、年を経るほどにイギリスへ行きたい気持ちも

遠くなっていました。。

 

充実した不自由ない生活を与えてくれた、

前の主人

 

後で振り返ると恵まれた結婚指輪

 

仕事ができるビジネスマンの夫は立派で

(私には興味のない)外車を所有していましたし

 

可愛い二人の子供たちは

生まれつき陽気な性格。

 

「絵に描いたような素敵な家族ですね」と

言われるほど。

実際、いつも冗談を言い合ったり 週末は公園へピクニック

ドライブ、ショッピング、料理は品数を多く作り夕食後も

お菓子作り。

 

私は多趣味な方で、空き時間には

サイクリングやジョギング、カメラ他にも色々

エンジョイしていました。

 

ただ、夫にだけは 私がずっと我慢してると思うようになり

 

几帳面で厳しい、怒るところが、怖い上司みたいで

気がつくとタテ関係が出来上がっていました。

 

少しずつ不満が重なり、すれ違うように。。

 

主人が入っていた宗教を強制させられ、義理の母から否定されることも

私には苦痛でしかありませんでした。

価値観を大事に思っていたからです。

 

( 今なら、多様な価値観を認めることができるのですが )

 

女性がいることがわかっても

自分が悪いと考えられないほど未熟でしたショック

 

娘が高2、息子が高校に入ったのを機に

話し合った上でセパレートを決意。

 

子供たちのことを考えると

胸が痛みましたが、必ず乗り越えて 皆んな幸せになれるという

希望がありました🌈

 

 

慰謝料がなくても、大学卒業までの学費を出して貰う条件

は有難かったです。

 

三人で平和な生活のスタート。

 

私も子供たちも友達に恵まれていたのは救いでした。

 

窮屈な状況から解放され、

自由を感じる日々。

 

 

そのあとの生活は、楽天的な性格じゃないと

やっていけないほど大変でしたあせるあせる

 

一番お金が必要な時に

子供たちへお小遣いを渡せず、

自分で使えるお金もなかったのですが

 

それぞれがバイトや勉強や仕事を頑張り

リビングに集まってテレビを見る時間

たわいのない会話 笑って暮らせることが

心から幸せだったのですドキドキ虹虹

 

福祉関係の仕事を一年近く

貯めたお金でカウンセラーの勉強を始め

自立への計画を立てていました。

 

 

いつも私を支え、導いてくれる

子供たちの存在には 本当に感謝しています晴れ観覧車

 

 

 

 

 

 次回は、それまでの価値観が大きく変わり

自分の道を歩き始めるまでのプロセスについて

お話します✨

 

 

 

新しい時代のスタートが

穏やかで 心身ともに

健康でありますようにニコニコラブラブ

 

 

いつもありがとうございますピンクハートキラキラ

マーガレットあみ