ルイ・ヴィトン (Louis Vuitton Malletier) はフランス のスーツケース 職人(マレティエ)ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton, 1821年 8月4日 - 1892年 2月28日 )が創始したファッション ブランド 。LVMH (モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)グループの中核ブランドである。LVMHの2008年の売上高は239億ドル。
ブランド名および創始者名はフランス語 の発音では [lwi vɥitɔ̃] 発音例 であり、カナ表記すると「ルウィ・ヴュイトン」に近い。
服飾部門における2011年現在のデザイナーは、レディース商品がマーク・ジェイコブス 、メンズ商品がキム・ジョーンズ である。
黎明期(1854年 - 1892年)
ルイ・ヴィトンが評価されるようになったのは、創始者であるルイが亡くなった後のことである。ヴィトン社はまず「グリ・トリアノン・キャンバス」(Gris Trianon) というトランク 工場として創始された。このトランクは灰色のキャンバス地で覆われており、とても軽量なものであった。1854年 、ルイはエミリー (Emilie Clemence Pariaux) と結婚、同年、世界初となる旅行用鞄の専門店をパリに創業。3年後の1857年 には息子のジョルジュ (Georges Vuitton) が生まれた。
1859年 、アニエール=シュル=セーヌ に最初のアトリエを構える。
1860年 、ヴィトン社は需要に押されて規模を拡大した。1867年 、万国博覧会 で銅メダルを獲得。これにより世界的な評判を得、1869年 にはエジプト 総督のイスマーイール・パシャ が、1877年 にはロシアのニコライ皇太子(後のニコライ2世 )がそれぞれ、1セットのトランクを発注した。また、当時世界的に力を持っていたスペイン 国王アルフォンソ12世 からもトランクの注文を受けるなど、主にスラブ、ラテン系王侯族に重用された。
トランクの上から布地を貼るというルイの技法は賢明であったが、容易にコピー商品が出回ることとなり、1872年 、ルイは別の布地を使うようになった。この布地は、「Striped Canvas」として知られているベージュと赤の2色で色づけされた布地である。しかし、これもすぐにコピー商品が出回ることとなった。
だが、コピー商品に押されることなく、彼のビジネスは成功を収めた。また、私生活の方も衰えることはなく、1880年には息子のジョルジュがジョゼフィーヌ・パトレイユ (Josephine Patrelle) と結婚。入籍当日に、彼は息子にスクリーブ通りの店を任せた。その3年後、ジョルジュにも息子ガストンが生まれ、ルイは祖父となった。
1885年 、ヴィトン社はロンドン に進出。1888年 、ジョルジュが模倣品防止のため、ベージュと茶褐色のチェス盤にルイ・ヴィトンの銘が入った「ダミエ・ライン」と呼ばれるデザインを考案。1889年 のパリ万国博覧会 で、ルイ・ヴィトン社に金賞をもたらした。しかし、商標登録もされていたにもかかわらず、またコピー商品が出回ることとなった。現在は白と灰色の「ダミエアズール・ライン 」、黒を基調とした「ダミエグラフィット・ライン 」もある。
1890年 、5枚羽の錠前を開発。
1892年 、ヴィトン社はハンドバッグ の販売を開始、トランクやハンドバッグなどが掲載された最初のカタログもリリースされた。その年の2月27日、ルイは自宅で息を引き取り、ジョルジュが会社の全権を握ることとなった。
黄金期(1893年 - 1936年)
父ルイの死後、ジョルジュはルイ・ヴィトン社を世界的な企業へと押し上げた。ジョルジュは、1893年 のシカゴ万国博覧会 に出展するなど、会社をうまく運営し続けると共に、著書『Le Voyage』(フランス語で旅の意)を出版した。
1896年 、ダミエの模倣品が出回ってきたことから、ヴィトン社はそのトレードマークとなる布地を新たに発表した。モノグラム・ラインと呼ばれることになるその模様は、様々なシンボルと共にルイ・ヴィトンを示す「LV」というマークが描かれている。ジョルジュはその後アメリカ へ渡航、ニューヨーク 、シカゴ 、フィラデルフィア など様々な街を旅行し、その訪問中にもヴィトン製品を売って歩いた。1898年 にはパリ・オートショーにヴィトン製品を出展した。
1900年 、ジョルジュはパリ万国博覧会 の「旅行アイテムおよび革製品」の部門を担当するという栄誉を得た。1901年、ヴィトン社は、トランクの中に入れることのできる小さなカバン「スティーマーバッグ」を発表した。
3年後の1904年 、ジョルジュはセントルイス万国博覧会 において議長を務めた。同年、ヴィトン社は新商品として、香水や衣類などの商品を小分けにできる仕切りの付いたトランクを発表した。
1914年、パリのシャンゼリゼ に世界最大のトラベル・グッズ専門店をオープン。
ビジネス拡大(1937年以降)
1978年 3月、東京に3店(日本橋高島屋、サンローゼ赤坂店、西武渋谷店)大阪に2店(西武ピサ大阪ロイヤル店、アンロワイヤル阪急17番街店)の5店舗がオープン。9月には高島屋大阪店にオープン。
1981年 、日本 初の直営店舗を東京 ・銀座 にオープン。1989年 には香港 初の店舗をオープン。
1983年 、アメリカスカップ の挑戦艇選抜シリーズとして、ルイ・ヴィトンカップ がスタート。
1985年 、エピ・ラインを発表。
1987年 、シャンパン メーカーのモエ・ヘネシー と合併、LVMH が誕生。LVMHグループはその後、クリスチャン・ディオール やフェンディ など有名ブランドを傘下におさめる巨大ブランド企業に成長する。
1998年 、バッグだけにとどまらず本格的にファッション界に進出。デザイナーにマーク・ジェイコブス を迎え、プレタポルテ とシューズのコレクションを発表。また、モノグラム・ヴェルニラインもあわせて発表。
1999年 、ミレニアムに向けての限定品を3種発表。サイバーエピライン(エナメルのようなエピ地にブラックライト を当てるとモノグラム柄が浮き出てくる)のアジェンダPM(6穴バインダー手帳)・グッド・ラック・ブレス、ミニトランク。
2003年 、日本人デザイナー村上隆 とのコラボレーションにより、黒地あるいは白地にモノグラムをカラフルに配した「モノグラム・マルチカラー」を発表。このときに発表された商品の中には、モノグラム模様の中にスマイリー マークが描かれた桜の花を配した商品「モノグラム・チェリーブラッサム」や、大きな革製のリボンがついた商品なども発表された。同時に、村上隆のキャラクターであるパンダをモノグラムの上に描いたシリーズ「モノグラム・パンダ」も発売された。翌2004年 にも村上とのコラボレーションによる「モノグラム・チェリー」ラインが発表された。これは、前年のサクラシリーズよりは少し落ち着いているものの、モノグラム地の上に、サクランボのイラストを載せるというデザインであった。
2005年 、秋冬コレクションとしてキャンバス 地のカジュアルなシリーズ「アンティグア」が発表された。ナチュラルな生成と真っ赤なキャンバス地が素材である。
2006年 、春夏コレクションとして、モノグラム地にパンチングを施し、穴を開けた素材の「モノグラム・ペルフォ」、デニム 素材の「モノグラム・デニム」が発売された。
2007年 、秋冬コレクションとして、カラフルなモノグラムマルチカラーをファー の上にプリントした「モノグラム・ミンク」とメタリックな素材の「モノグラム・ミラー」を発売。2月にはバレンタイン ラインとして、ハート型の小銭入れ「ポルトモネ・クール」、春コレクションは、モノグラムにフレンチレースを刺繍した「モノグラム・レース」、「デニム・パッチワーク」、「ポルカドット」など少数生産、多数コレクションへになりつつある。一方、7月にはアメリカスカップへのスポンサー契約打ち切りを発表した。
素材の生地の変化
当初、水に浮くトランクが評判になり高名となったが、21世紀初頭、顧客からの要望の多かった鞄の軽量化を名目に生地の製法を変更し、現在製造するトランクは浮かなくなっている。直系の子孫(2009年現在は5代目のパトリック・ルイ。現在でも1パーセントの株を保有する)が責任者を務めるオーダー部門では昔ながらの浮く重い素材で鞄をオーダーすることができる。
主なラインナップ
- モノグラム
- モノグラム・ミニ(廃番)
- モノグラム・ミニ・マルチカラー(廃番)
- モノグラム・ヴェルニ
- モノグラム・マット(廃番)
- モノグラム・マルチカラー
- モノグラム・デニム(廃番)
- モノグラム・アンプラント
- ダミエ
- ダミエ・アズール
- ダミエ・グラフィット
- ダミエ・ジェアン
- エピ
- タイガ
- モノグラム・グラセ(廃番)
- スハリ
- マヒナ
- ノマド
- ユタ
- アンティグア(廃番)
- モノグラム・ミニ・ラン(廃番)
- モノグラム・イディール
- モノグラム・マカサー
- 2006春夏コレクション
- モノグラム・チャーム
- モノグラム・ペルフォ
- トバゴレザー
- クルーズコレクション