時系列にきちんと書いていこうと思っていたんですが、

なかなか纏めるのに時間が掛かってしまうので

思い出したことをちょこちょここのカテゴリに書き溜めていこうと思います。





私が鮮明に覚えてる小学校低学年の頃の記憶をひとつ。



母は仕事でも音楽に携わる人でした。

なので私は2歳からピアノを習っていて、

物心ついたときには絶対音感がありました。


(絶対音感があることは本当に有難いと思っています。)



ですが、ピアノの教則本がど~しても好きになれなかった私。


指の練習・・・

古典的なクラシックの曲・・・

(今となっては古風な曲もいいと思えるけど
 小学生にとっては退屈です。。。)

コンクールの曲・・・



そんなのを毎日練習させられ、

本当に本当にピアノが嫌いな時期でした。



その後、音楽(バンド)にド嵌りするので、

音楽自体はとても好きだったんだと思うんです。

ただ、楽器はピアノでジャンルはクラシックのみ!!

という頭ごなしに決めつけられる環境に嫌気…




ですが、ここで発動する我が母ルール。


夕飯までの1時間、ピアノのある部屋に行き、出てきてはいけない。


がいつの間にか制定されていました。


本当にいつこれが決まったのか全く分からないんですが、

ちょっと部屋から出てこようものなら


母「夕飯抜き!」


といわれるので




私『ピアノやめたい!!!』


と毎日毎日ピアノの前で泣き喚いていました。



まぁ結局そのうち学んで

ピアノの前で学校の宿題やったり、ゲームしたりが始まるんだけどね。。。





そうやってサボっていたのもちょっとバレていたのか

またはバレていなかったのか、定かではないんですが、


ある日の夜の出来事。



私「もうピアノやめたい」

(たぶんこう訴えることは100回、200回以上)



母「何度も何度も『やめたい』とばっかり言って!!


 私の娘がピアノも弾けないなんて恥ずかしいじゃない!!!」





この言葉を聞いて、

あ、私がピアノをやっているのは母の為だったのか。

そして私は“うちのピアノが弾ける娘”っていう見せびらかす道具

しいて言えば、ブランドもののバッグのような存在だったのか。


と幼ながらに理解したことを覚えています。



そして捨て台詞のように


母「もう私の娘だなんて思わないから!!!」



と言っていました。











幼いころは親の存在が絶対だったから


この言葉を聞いて唖然とした後、


激しい絶望に襲われたけれど、、、、






















今となってはこっちから願い下げだよ!!貴方の娘だなんて。