前回は一時帰宅以降、病院に戻った後も、出来ない事が日に日に増えていった…と言う話しでした。
母が病院に戻っている間に、我々は在宅介護に向けて部屋の片付けなど準備を進めまして、それでも業者さんによる介護ベッドの搬入は、帰宅日である7月28日、月曜日の午前。それもマットレスのサイズ違いと言うトラブルがあって、ヒヤヒヤ💦
小さなトラブルもありましたが、12時すぎには準備を終えて、母の帰宅を待つばかりとなりました。
午後2時すぎ、ストレッチャーに乗った母が帰宅。そのままベッドに移乗。さぁ、今日から何日、何週間、何ヶ月になるか分からないけど、在宅介護の始まり。訪問ヘルパーさんや、訪問看護師さんは午前と午後フルで入られる様で、その点は助かります。
帰ってきてからの母はと言うと、ヘルパーさんや看護師さんが入れ代わり立ち代わり、医師の診察もあり、疲れた様子。正直、我々も慣れない事だらけで疲れました。それでも夕飯は、食べさせたら食べてくれたので安心。
翌日からは朝9時から訪問看護師さんやヘルパーさんがいらっしゃって、点滴の交換とオムツ交換。身体拭きを行ってくださったり、ベッドに寝たまま洗髪もしてくださったり、感心させられる事ばかりw
食事は朝は妹が買ってきて昨夜食べたうな丼の残りを少しとコーンスープ、昼ヨーグルト、夜はお試しでお弁当が届いたけど、食べられないだろうと思いながら、口元に持っていくと、煮魚とナスの煮浸しをそれぞれ3口ほど食べてくれた。
水曜日の朝は、弁当の残りを少し。昼は一緒に食べられたらと思い、お好み焼きを買ってきたけど、やはり食べられずミニサイズのカップのアイスクリームを5口ほど。夕飯は絹ごし豆腐を醤油ベースの出汁炊いてあんかけにしたものを数口。
病み上がりの父は、早くも?慣れない介護で疲れが出ている様子で、あまり無理はさせられない。
食べられる量は日に日に少なくなっているので、だんだんと確実に、その時が迫っているな…と感じずにはいられませんでした。
数日後。訪問看護さんが帰られた後、「若い人、誰?」と言うので、「看護師さんだよ。シャンプーしてくれたり、点滴の交換してくれたでしょ。」と言うと、納得した様子ですが、記憶と言うか認識もしづくなってきてます。
また、壁側を見つめて「お父さん」と一言口にしたので、私は父(母の旦那)を呼んで来て欲しいのかと思い、呼びに行ったのですが…よく考えたら父の事は名前で呼ぶので、父の事ではなく亡くなった祖父(母の父)がお迎えに来てたのかと、後になって気づきました。いよいよかぁ…と。
木曜日の朝はミニサイズのカップのアイスクリームを完食。冷たくてのど越しが良いからアイスクリームは食べれるのかな?
土曜日になり呼吸が荒くなり、37.8℃の発熱あるので先生に診察してもらう。肺炎の呼吸ではないけど、血中酸素濃度が下がっているため、酸素マスクをつけるも、数値はあまり変わらず…。
そして、飲み込みが弱くなっているから、誤嚥を防ぐため飲食禁止になりました。口の渇きは、スポンジブラシに水を湿らせて口を拭う程度にしてくださいとの事。正直、これが一番辛かった…。
この日はなぜか、私も父も早々に眠気が襲ったので、妹と甥っ子たちに任せて就寝。
翌朝8月3日は、5時半頃に目が覚めたので、早々に母の様子を見に行くと、昨晩は荒く苦しそうな呼吸だったのに、5時20分の時点では呼びかけに反応はするものの弱く、昨日までとは違った様子。5時40分、呼びかけにも反応が無くなり、呼吸も無く静かに眠っている様子だったので、看護師さんや先生を呼びます。
6時10分に看護師さんが到着。6時40分に先生が到着。そして6時50分、死亡確認。73年と約3ヶ月の生涯に幕を閉じました。まぁ、5時40分の時点で亡くなってたんでしょうね…。
亡くなる前。夜中に妹と甥っ子たちに、意識もハッキリとした様子、そしてハッキリとした言葉で話しかけてたそうです。これからの事、お金の事。そして、この家に残る父と私を頼むと…。
亡くなってからもバタバタで、その日の夜には通夜。翌日には葬儀告別式及び出棺で、しんみりしている暇はありませんでした。