松尾芭蕉 奥の細道 十九 笠島
(一)鐙摺[あぶずり]、(二)白石[しろいし]の城を過ぎ、
(三)笠島の郡[こほり]に入れば、(四)藤中将実方の塚は
いずくのほどならんと人に問へば、「これよりはるか
(五)右に見ゆる山際[やまぎは]里を箕輪、笠島といふ。
道祖神の社、(六)形見の薄[すゝき]今にあり」と数ふ。
このごろの五月雨[さみだれ]に道いとあしく、身疲れ侍
れば、よそながら眺[なが]めやりて過ぐるに、箕輪、笠
島も五月雨の折にふれたりと、
笠島はいずこさ月のぬかり道
(七)岩沼に宿る。
(一)伊達の大木戸の北二里
(二)大木戸の北四里、伊達の家臣 片倉小十郎の居城
(三)笠島は郡の名ではなく、名取郡の村の名である
(四)左近衛中将実方。平安朝中期の歌人。陸奥守におとさ
れて、陸奥で没した。源平盛衰記に人の諌めを聞かず笠島
道祖神の神前を馬に乗ったまゝ通ろうとしたので、馬もろ
とも殺されたと伝え、その墓は社の側にあると(八雲御抄・
古事談・無名抄・十訓抄など)
(五)右は左の誤
(六)西行が実方のの墓をたずねた時の歌
「朽ちもせぬその名ばかりを留めおきて枯野の薄形見にぞ見
る」(山家集)によって、形見の薄と称するものが伝わった
(七)阿郡岩沼町。昔の武隈