今年も佐世保に来た。
去年日記に書いた、理不尽に先立ってしまったAさんに、今年も挨拶をしたかったからだ。

ご両親は、去年のやつれはだいぶ無くなり、顔色も良かった。
昨日の土曜に、3回忌を済ませたらしい。(正確には命日から丸2年なんだが、数え方には地域差があるのかな?)
ご両親は、さすが頭の良かったAさんの親というべきか、去年に比べだいぶ冷静に現実として受け止めている感じだった。
娘のことで後悔はあるし短い生涯だったが、こんなに思ってくれる友人もたくさんいたんだから(仏前は去年と同じく、お花とお供えで溢れていた)、確かに生きていたことを忘れなければいいと、おっしゃっていた。
私も、同じ気持ちだ。

そして、Aさんのことを忘れないことが、ご両親の心を癒すことにもなると、思う。
そのことに、私なんぞが少しでもお役に立てるなら、喜び以外の何もない。


また、Aさんには、婚約者がいた。
彼は群馬の人だが、連休を取って3回忌に来ていたらしい。
帰る日は、寂しそうな表情で、Aさんの仏前から中々離れなかったそうだ。
Aさんのご両親の方が、「本人の気持ちのことだけど、3回忌の一区切りも終わったんだから…」と、彼を気がかりに思っているようだ。
しかし、本人に言える雰囲気ではなかったと。

婚約者さんは、Aさんを一生大事に幸せにすると、強く誓っていたのが、痛々しいくらい伝わってくる。
これからと言うときに、彼の全てが壊された。
きっと、絶望と悔しさ、自分への失望で一杯だっただろう。
心行くまで悲しみ、苦しみ、泣いていいと思う。
こういうのって敢えて理性のタガを外し、感情を吐き出さなきゃならないだろうから。
そしていつか、どうか婚約者さんが、奈落の底の暗闇から、彼なりの形で光を見つけることを願う。


なんかねぇ。
人間にとって大事なものってやっぱり人間であって、人間への愛なんやと思うよ。
それ以外にはない、そのくらいシンプルなことなんだと、年齢と経験を重ねるごとに、実感が強くなる。
余分なものは要らないはず…

なのにどうして、わざわざややこしく解釈して、争うのかな。
憎み合って、罵り合って、奪い合って、欺き合って、殺し合うのかな。
そうでもしなきゃ、生きられない時代なのか。
なら、きっと長くは続かないだろう。

それでも。
私は、シンプルに生きたいから、そうします。
シンプルに、自分と、自分を生かしてくれる全てに、感謝しながら、したいことして生きます。


去年と今年では、全然感じ方が違う。
Aさんが、その都度必要なことを伝えてくれるのだろう。
ありがとう。
これからも、頼らせてね。見守っていてね。
T先生は、どうやらご本人の意図しない不意討ち(自覚なしの不意討ち)がとても得意らしい。
私限定だろうが。

カッコいいんですよ。
よくも悪くも男らしくて、身持ち固くて。
男は、女の前では無理したがる生き物だから、無理させて、カッコつけさせてよなんて。
その言いぐさだけで、すでにとてつもなくカッコいいんですが。

あーもぉ馬鹿。
大好き。
先月の後半から、週2日の出勤になったT先生。
そのうち1日は私が休みの曜日だから、会えるのは週に1日、木曜だけ。

でも、それが良かったのかも知れない。
私がまったく先生の治療に付けなくて他の助手さんばっかり付いてたら「ちょっと変わってよっ!」とは妬くけれど(笑)、
恋うる気持ちは、焼け焦げるような灼熱ではなく、穏やかでじわりと心地よい温もりに、形を変えつつある。今日、気がついた。

落ち着いた声。
長い睫毛に縁取られたまっ黒な綺麗な瞳(本当に綺麗な黒目なの)。
繊細で丁寧な仕事。
クールを装いつつも、垣間見える心根の優しさ。

あぁ素敵な人だなって、感じられるだけで幸せなことだと、離れてみて初めて思い直した。
私が先生を好きになったのは、完全に仕事での彼を見ていてのこと。
だから、この人と、ずっと仕事が出来たらいいなって、ややこしい思惑なく素直に思えた。

それが、すごく嬉しい。
私の望みが、叶いつつある。
あとは、現実的に、ずっと一緒に仕事できる環境だけ…。