わたしたちが体験している世界は
わたしたち一人ひとりが、自分の意識で創り出しています。
みんな同じ世界を生きているように見えて
実は、誰一人として、同じ世界を生きてはいません。
五感から得る感覚、思考、感情、
どれも他者と同じことはありません。
同じ物を見ていても
同じ音を聴いていても
同じ事象を共有していても
一人ひとりが異なる捉え方、感じ方をし、
異なる世界を体験しているのです。
例えば...
わたしたちの意識のパワーは
環境汚染の影響を作り出すことも、無くすこともできます。
地球の自浄作用を無限に引き上げることもできるし、
地球が悲鳴を上げているという世界を創り出すこともできます。
そしてどちらの地球も
無限のパラレルのひとつとして存在しています。
身体についても同様です。
細胞の自浄作用、バランシング能力を無限に引き上げることもできるし、
病原菌、ウィルス、アレルゲン、化学物資、電磁波...、あらゆる健康被害のリスクに
人体が悲鳴を上げているという世界を創り出すこともできます。
物質的な有無が、そのまま身体影響の有無になるとは限りません。
一人ひとりの世界の中で、
そのリスクとなる物質を、受け取らないことも、受け取って吐き出すことも、そもそも存在させないことも、あらゆる可能性が許されているからです。
どんな世界を望むのか?
一人ひとりの意識が、その人固有の世界を創り出しているのだから、
どんな世界を選ぶのかは、もちろん個々人の自由です。
(一人一世界、一人一宇宙)
ただ望む方に意識を向ける。
恐れや不安を煽るような情報ばかり、毎時毎分流れ続けるメディア。
ワイドショーやニュース番組は、
免疫力が下がるようなネガティブな出来事にばかりスポットを当て続けます。
それを連日BGMのように浴び続ければ、不安の中を戦々恐々と生きるようになるのもムリはありません。
わたしも4年前まではそうでした。
でもある日、
そうしたネガティブ情報だらけのメディアに耐えかねて
新聞購読を止め、テレビのニュース番組やワイドショーを見るのを止め、
ついにはテレビをも手放し、ネットニュースすらほとんど見ないという状態を自分に許可しました。
時事に疎く(うとく)なり、人から非常識だと思われたとしても、
自分の好む情報だけを選別して受け取り、安心の中を生きたいと思ったのです。
おかげで頭の中が格段に静かになり、心が穏やかになりました。
不安や恐れをいたずらに増幅しないようになり、「大丈夫」という言葉を多用するようになりました。
状況のポジティブな面に目を向けることが習慣になりました。
外の情報を遮断して、問題を見ないようにしているだけかも知れないけれど、
自分の世界も、他者の世界も、どんな世界も、
当人にとってはそれが真実なのだと許容しているし、
誰もが自分にとっての真実を生きられる
とわたしは確信しています。
万人が同じ世界を体験しているわけではない。
わたしは、わたしの望む世界に意識を注ぐ。