LOVE LIFE 片麻痺
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ブログの閉鎖

開設して三ヶ月ほどでしたがこの度このブログを閉鎖することにしました。この間


覗いていただいた皆さんありがとうございました。

熟年離婚

今、熟年離婚というドラマがヒットしている。


夫が定年退職日、妻から離婚を言い出されるドラマである。夫が仕事一筋で、家庭をかえりみなかった


妻は自由になり女として生きたいという内容の筋で始まる。。


昔は「家庭や私と仕事どっちが大事?」      「仕事や無いかアホ」がついた


ちょっと前「家庭や私と仕事どっちが大事 」    「どっちも同じくらいだいじや」


今、「家庭や私と仕事どっちが大事」        「家庭やお前にきまってるやアホ」


時代の流れである。


年金改正法で07年4月から厚生年金の一部を夫婦で分割できる。熟年離婚の


待機組みが相当いるらしい。脳出血で倒れ、片麻痺になり仕事にも復帰できなかった私には


離婚のリスクが多すぎる。幸い今のところ妻からその提案はない。


「夫婦は二世」といいながら「夫婦は合わせもの離れもの」言うことばがあるらしい。合わせる努力を


しなければ離れるものという意味。


妻が「自由になりたい」という理由に合わせるすべもない。


ドラマであれだけ美しい人だから仕事につけるし周りに男性もあらわれる。実際、熟年離婚してあれだけ


生き生きできるか疑問である。夫が無くなり保険金が入り二年もすると生き生きしている女性の話は良く


聞のくだが。


熟年離婚の98%は妻から言い出すらしいから男は若いうちから家庭と仕事、両立できるよう心がけねばな


ない。





車線変更

病気にならなくても第二の人生を考える歳である


若いときの車線変更はリスクも伴うしリタンマッチができないこわさもありおいそれと


人生の車線変更はできない。


病気で車線変更をしかたなくされたのは高速道路を走ってて工事の標識で変更をよぎなくされたようなもの


これからの人生。下の地道をゆっくり走れと言う意味なのか。


仕事をもたない自由な暮らしも贅沢さえ望まなければ気ままでよい。


二匹のヒナも一匹が昨年の春に羽ばたきもう一匹も羽ばたこうとしている。親鳥の生き方には関係


ないと思っている。巣立って自由に生きてほしいし俺は俺で生きていつもり。


病気にならなかったら、いつまでも仕事にしがみつき今の、きままなせいかつもない。


一日が区切りのの人生、「朝に生まれ夜に死ぬ。」日常の繰り返しの中に生きる意味をみつけだす。


朝、目お覚ませば夜に死ぬまでやりたいこと、楽しいことをやる。


この病気をして「生と死は紙一重」と言う言葉が実感させられた。





脳を鍛える

脳を鍛える、昨今のブームだが新聞に、面白い記事があったので


脳は鍛えられるものだろうか。


肝臓を鍛えるには酒をのめばいいし、肺を鍛えるには、煙草を吸えばいい。そんなことをいえば、


アホか、といわれる。じゃあ、肝臓や肺を鍛えるにはどうすればいいのか。おわかりであろう。そんなもの、


鍛えてどうする。筋肉はられるだろうか。そりゃ、鍛えられるでも、筋肉を鍛えてどうするのか。肉体


労働が仕事なら、鍛える意味があるかもしれない。でも、そもそも肉体労働が日常の仕事なら、


仕事で必然的に鍛えられるはずである。


スポーツ選手はトレーニングに励む。それは当然で、仕事の準備ならだれだってする。それを


しないのは怠けているだけのことではないか。


脳を鍛えたらあたまがよくなるんじゃないか。ボケないで済むんじゃないか。作者のこたえは


「わかりません」骨や筋肉は、力学敵に負担をかけると、発達する性質がある。脳に負担を掛けると


脳機能が発達するかどうか私はわからない。ただし、同じことをやらせると、あきらかに上手になる。


いわゆる『慣れ」でいる。それ以前に「脳が鍛えられたのである。それならそれでほかのことが


上手になるかというならそんな保証はしない。やったこと、それに関係のあることは、


上手になる可能性が高いが、それだけのことだろう。


そういう意味では、マトモに仕事をして生きていれば、当然ながら脳はきたえられずである。ボケーとしてい


れば脳も身のうち怠けるにちがいない。身体は合理的にできていて要らない部分をすぐ省略する。


若くて元気いっぱいのひとでも絶対安静で一週間寝かせておいたら、そもそもたち上がれなくなる。


それなら、使わなければ脳だって怠けるはずである・・・・・・・・云々



私のまひした左手は動かさないと脳はいらないものと省略してしまうのか。指が少しでも動けばリハビリの


しようもあるんだが・















今日は月一の病院

まだ、風邪も、すっきりしないが、今日は月一回の診察とリハビリの日。


病院までは丁度、タクシーワンメーターの距離、


天気もいいし、お気に入りの若い女性の先生(この先生には大変世話になった。娘ほどの歳


(確そうだったと思う、確認はは失礼だからしていない)この娘の前では平行棒で立てると泣き、


四点杖で歩けると泣き、一本杖で歩けるようになったと泣き、息子のように

よく泣いた。


これからの自分の大変な人生をかんがえたとき少しずつ改善されいくのが嬉しくて )


リハビリも終わって気分もいい  よし  今日は歩いて帰ろう。


私みたいな重度の障害者にとってと初めて歩く道は大冒険。


狭い歩道は大変、端をあるかなくてはいけない必然的に勾配がきつくなる、障害者が一番


歩きにくいとこを歩く。真ん中は歩き易いんだけどな~  


「人生楽ありゃ苦もあるさ♪」何故かしら黄門さんの歌がでる。


かえって歩道の無い道が歩きやすい。


悪戦苦闘して無事家までたどり着く。


自分が歩けるのも、歩けないのもよくわかった。


この距離なら健康なときでもけっして歩いていないとおもう。



無題

夏風邪で一週間ダウンした。


今日から散歩を開始。鈍った筋肉が心配だったが日頃の特訓のお陰かしばらくしてすぐスムーズ


にあるけるようになる。



久し振りに人の視線、小学校の下校の列、こちらを指差し笑ってる。三歳ぐらいの幼児の連れた親子ずれ


子供がヒョコヒョコ、まねしてる。



後ろから自転車乗ったおじさん、道が狭くて通れにくかったのか、追い抜きさま、振り返りどんな奴かと


メンチきっつてくる。すびませんね障害者です


でも一生懸命、生きてるんだもの恥ずかしくはない。俺の人生、横見してると、こけるんです。前をしっかり見てても


こけるんです。だから、後ろをふりかえちやだめなんです。


後の人生、前をみててこけるなら、まあ いいか。


皆さんの障害にはなべく、ならないように生きていくつもりですが、なったらごめんね。


そのときは笑顔で宜しくおねがいしますから。





最近ふと口ずさむ歌

古い歌でリアルタイムで歌ったわけではないがこの病気になってから気がつくと歌ってます。


ロイド眼鏡に燕尾服


泣いたらツバメが笑うだろ


涙でたときゃ 空をみる


サンドイッチマン   サンドイッチマン


俺は街の  お道化者


とぼけ笑顔で  今日もゆく


嘆きは誰でも  しっている




この世は悲哀の  海だもの


泣いちゃいけない  海だもの


サンドイッチマン   サンドイッチマン


俺は街の  お道化者


今日もプラカード  だいてゆく


明るい舗道に  肩をふり


笑ってゆこうよ  影法師


夢をなくすりゃ   それまでよ


サンドイッチマン    サンドイッチマン


俺は街の    お道化者


胸にそよ風   抱いてゆく


作詞者、作曲者はわかりません。歌ってたのは鶴田浩二かな~


退院して一年思うこと

     「まあっいいか運命線に任せる日々」


一年たって振り返ったとき、あれや、これも、手の平の運命線にシナリオが書き込まれているような気が。


運命、天命も人間として生まれて死ぬまで決められているようにおもいます。


結婚ということを一つとっつても、あのとき、あの場所にいかなければ家内には出あっていない。


一秒おくれても道を一つ違えても今の家庭は無い。まして可愛い孫までも。そう思うと運命を感じ


ないわけにはいかない。こんな障害を負ったたのも決められた運命なのかもしれない。それなら、後、


どんなシナリオが運命線に書かれているか確かめたい。


人の幸、不幸は、あや織りのごとく交差してやってくる。


確かに、この病気は辛いけど多くの優しさにふれ感謝する心で満たされる。人にも優しくできる。


健康なときのように競争も見栄も意地も張ることも無い。


ありのままで居られる自分が幸せかもしれない。


           「まあっ  いいか俺の人生こんなもの。」



京都秋祭り

お馴染み「時代祭り」京都三大祭りのひとつ


1000年の歴史絵巻


   「武者の列 織田信長に 時計見え」


火の祭り「鞍馬の火祭り」京都三大奇祭のひとつ


圧巻、松明で火の海


   「ご利益と 服焦がして最前列」


9日は地元西院の「春日神社の秋祭り」


2トン、神輿が二基が西院の町を練りあるく。全国神輿愛好会のあこがれ


   「 交差点 ホイットセホイットセで 神輿跳ね」



生命保険会社と闘う

高度後遺症申請    ある保険会社に病気による生命保険をかけていました。その中に高度後遺症による保証、生命保険ならたいがい付いていると思いますが、1、2級なら死亡保証金額と同額保証、3級ならその半額と言う内容。もちろんこの等級は保険会社が決めたものできびしいです。申請書を送ってもらおうと電話したら電話口に女性「本人さんが電話できる状態ならだめです。」とおっしゃる。「じゃ、喋れても他に大きな障害、例えば四肢が麻痺して寝たきりとかの場合はどうなのか」女性「だめです」j続けて「医者の診断書を貰うにもお金がかかりますよ。お金むだですよ。」ホットイテクレ「貰われると保険契約は切れますよ。」コレは本当。コレだけの大きな病気をすれば今後他の生命保険にははいれない。今は誰でも入れます保険もできていますが二年間は病気して入院しても死亡しても補償されないとかハードルが高い。

人間いつか死ぬのだからそのとき貰えばと躊躇したが今後、掛けていく掛け金、70歳になると補償が半額になるのを考え保険会社のやさしい?説得にも負けず、雨にも負けず、エーイままよと申請した。

半月後『貴方は立派に2級に決定しました、おめでとうございます。」とは言わなかったが死亡したのと同じ金額ふりこまれました。うん死んだのか。

窓口でいくら断られても審査するのは別だから決してあきらめないこと。これは行政の窓口でも同じです。