「北斎原寸美術館 100% Hokusai!」一冊まるごとデザイン | デザイン事務所「Vol.」

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「すみだ北斎美術館」http://hokusai-museum.jp/ のオープンにあわせて、
「北斎原寸美術館 100% Hokusai!」を装丁させていただきました!!
 

「若冲原寸美術館 100% Jakuchu!」
https://www.shogakukan.co.jp/books/09682220
につづいての100%原寸シリーズ第二弾です。
 

そして、この本を横尾忠則さんが朝日新聞で取り上げてくださいました笑い泣き

今週の日曜日(2/5)の朝日新聞に横尾忠則さんの書評です↓


横尾さんが取り上げる本は、ご本人の判断でありお金を払って書いていただけるものでは当然ありません!なんという名誉なことでしょうか。
これ以上の紹介文はありませんので、こちらを多幸感たっぷりでタイプアップしました。



「スリリングで不思議な肉体感覚の快楽に陶酔」

「例えようのない身体感覚に襲われながら空中浮遊」

「俯瞰的視線に立って風景を空中から眺めるだけでなく、時間も操作し、望む場所への瞬間移動をも可能にした。」

と書いていらっしゃいます。
横尾先生、ありがとうございました!


絵をみるだけでこんな感覚になれるなんて、すごいことですね。
みなさまぜひ、100%(原寸)で北斎をご覧いただき、横尾先生の書いている感覚が自分にも体感としてあるか試してみてください。
 

去年、1度だけ拝むことのできた富士山の写真も載せちゃいます。
この日は雲が厚く、午後のほんの一瞬だけ雲が風に流れて富士山がみえました。
どんどん雲が形を変えていきましたが、
先っちょのぐるぐるヘア雲は一度も晴れず。

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「北斎原寸美術館 100% Hokusai!」小林 忠 <監修>

風景画へ 驚異の発見の旅

この画集をジイッと見つめていると、見えないはずのものが見えてくる。
部分拡大によって視覚の死角化に驚異のVisionを発見か、それとも北斎の発見なのか?
さあ、北斎の驚異の旅へ出かけよう。どの風景でもいい。
手前からなめるように見てもらいたい。
その時、あなたは画面の外に位置するはずの高台の展望台から俯瞰で目前の風景を眺めていることに気づくはずだ。
あるいは、江戸時代であれば大凧に乗って空中から眼下を望むことになるのかもしれない。
その視線は、近景→中景→遠景へと、クレーン車に登場している映画のカメラマンの視点と同化しながら、手前から奥の空間へ、まるでアストラル体(霊体)になったかのように上昇しながら、実にスリリングで不思議な肉体感覚の快楽に陶酔することになるだろう。
北斎の風景は画面内でピタリと静止しているはずだが、中空に浮上するあなたの肉体と共に、俄かに区間をえぐるようにズズズと、例えようのない身体感覚に襲われながら空中浮遊を体験することになる。
そして、かつて経験したことのない作品鑑賞術に酔うに違いない。
北斎の風景画では、視線と身体的移動運動によって初めて北斎を再発見するのだ。
俯瞰的視線に立って風景を空中から眺めることを、絵画に於いて北斎が初めて発明した。
それだけではない。時間も操作し、望む場所への瞬間移動をも可能にした。
さらに、一枚の絵の中に複数の絵がJuxtaposition(並置)されていることに気づかされる。
絵巻物の横に流れる時間とは別に、北斎の時間は縦に伸びるように上昇する近代西洋絵画の時間軸をも先取りする。
と同時に、様式の多様化、主題の複数が同一画面の中で見事に調和する。
それは北斎の絵が、確信犯的に計算された他の画家(特に現代画家)の他者または社会を意識した創造行為とは意を異にした行為から発しているからである。
その行為とは、他者に見せるためではなく、自らの愉しみと歓びのため、それ自体を目的にすることである。
そこが北斎の国際性である。そして遊びの精神。画面の中に配置された●と⬛︎と▲。笠の●、格子の⬛︎、富士の▲。
セザンヌを彷彿とさせる幾何学造形とダイナミックな滝の直線と曲線の抽象形態。
無人の絵でさえ、神というより人間の存在を感じさせる。
北斎は、宇宙の深淵への接触を目前にして命が尽きたが、未完の大悟こそが死を普遍化し、いまだに死からのメッセージが今日まで届け続けられていることを感謝したい。

評・横尾忠則(美術家)