現代文読解の立場に立ったシナリオ解釈講座

現代文読解の立場に立ったシナリオ解釈講座

演技表現を大別するとインプットとアウトプットです。ところが多くの人はアウトプット=演技、お芝居にばかり目が行きがちのような気がします。このブログでは「インプット=シナリオ読解」をなるべく主観に頼らず、論理的かつ客観的に解釈する方法を模索します。

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理由と、言うわけで第2講目でやんす。
今回はいきなり結構核心、因果関係について。

因果関係なんて言葉、小難しい感じがするけど
まあ、簡単な事で、

原因と結果

のこと。
よく現代文の読解で言われるのが、
文章は「繰り返し」だと言うこと。
もちろん、同じ文面が繰り返されている訳ではない。
(たまにそういう人いるけどね)
話題を少しずつ変えるながらも、
大枠として一つの方向に進んでいるのだ。
例えるなら、そう。

ラセン階段

みたいな感じ。わかるかな。
上から見ると位置としては同じ所をグルグルしている。
でも横から見ると上に上がっていく。
まあ、授業でもよく使う例え。
おっと、少し横に逸れたので軌道修正。
因果関係に戻ろう。

実は、理由がない行為なんて存在しない。
頭をかくのも、貧乏揺すりも、やってる本人の中には
キチンと理由があったりする。
他人には理由が見えてないだけだから、
無意味に見えているのだ。

すっげー遠回りとした感じだが、
その因果関係はシナリオの中にも持ち込まれる。
台詞には全部因果関係があるのだ。

例を使おう。

彼はトイレに駆け込んだ。

と言う文面があったりする。
その理由は?
……ウ●コに決まってる?
果たしてそうだろうか。

じゃあ、上にこんな文面があったらどうか?

スマホの画面を見た途端、
彼はトイレに駆け込んだ。

もう分かるはず。
トイレに駆け込んだ理由は、少なくとも用を足しに行った訳じゃない。
彼の行為の理由はスマホの文面にある。

そんなのズルイ!って? まあ、先の例文は単純過ぎ。
しかし、だよ。
シナリオを読む際に、その因果関係を気にしてる?
声優志望者に多いのが、

「声優の誰それさんのような言い回し」

をしたがる人。
いやいや、モノマネがあかん、とは言ってない。
マネから入ることも、演技の向上にはアリなこと。

でもね、


真似ることとシナリオの理解は別問題

なのだよ。
よくダメ出しの時に、

「芝居があってない」
とか
「ちゃんと台本読んでる?」
とか言われたりしません?
それは往々にして、

因果関係の把握が間違ってるのだ!

……と思う。
因果の因は、動機であり、表現の方向性で、
果は、因を踏まえた表現、すなわちセリフ。

それは動機と言う方向性に乗っとった、一つの答のようなものだ。

そこを履き違えたまま、ちょいと個性的に読んでやろうとすると、
得てして大惨事を招いてしまうのだ。
変わった読みをするのではなく因=動機の解釈に幅を持たせてやると、
おのずと台詞の表現も変化するし、
演出家の前で素っ頓狂なことを言わずに済むはず! ……と思う。

 

今回のポイント

登場人物の言動(セリフ)には必ず動機が存在する。

シナリオ解釈の重要な要素は、その因果関係をきちんと掴むこと。

 

あー、ちょっと難しかったかな……

改めて読み返すと理屈が先に立ちすぎて、少し分かりにくいかも……

次回はもう少し因果関係に突っ込んでみようかなぁ。

 

作文などで原稿用紙を埋めるのに四苦八苦した人、
誰しも経験があるだろう。
例えば遠足の感想文。
大半の人が、こんな感じ。

朝起きてどこそこ行って、弁当食べて帰ってきた。
楽しかった。

なのだ。
あとは余ったマス目を埋めるのに必死になるが、
埋まりっこない。
理由は単純で、

書きたい物事をきちんとフォーカスしないから

である。意外に思われるかもしれないが、
一日の遠足の中で「面白かったこと」「怒ったこと」
などをひとつクローズアップしたほうが実は楽なのだ。
そうすると、全体の内容や出来事に縛られず、
範囲を限定して書けるから、楽なのだ。

まあ、作文講座じゃないのでそれくらいにして……

 

第1回は地の文についてフォーカスしたい。

作文でも、小説でも、シナリオでもそうだが、
これだけは肝に銘じてほしい。それは、

本文の中に無駄な表現など一つもない!

のだ。日常の他愛ない描写に見えても、
そこには何らかの意味や役目が
きちんと負わされているのだ。

実際自分で書いてみると分かる。

本筋にまったく関係ないものは、「書けない」のだ。
ミクロでみたらあまり意味がなさそうな表現でも、
マクロな視点に立つと大きな意味が負わされている。
そんなケースが少なくない。

何か適当な文章を作って解説してみよう。

【例文A】
太郎は花子の背中を見ながら舌打ちをした。
イライラとした視線を向けている。
しかし、とうとう声を荒げた。

シンプルイズベスト。
簡単単純、ああ、太郎君は花子ちゃんにイラついていたのね。
しかし、どうだろう。
なにか物足りない、と言うか、味が少ない。
理由は、Aの文の中には「描写」が無いのだ。
そこでこんな工夫をしてみるとどうだろう。

【例文B】
太郎は花子の背中を見ながら舌打ちをした。
太郎の貧乏ゆすりは、
部屋にミシミシと静かな音を立てさせ、、
テーブルの上の湯飲みの茶を波立たせる。

しかし、とうとう声を荒げた。

……どちらが太郎の怒りを伝達しているか。
一目瞭然、Bに決まっている。
たった二行の描写が加わるかどうかで、いわゆる臨場感が違う。
臨場感と言う言葉の意味は、
 

「場に臨んでいるかのような感覚」だ。
 

文章にもシナリオにも、その臨場感を伝えると、
読んでいる人間、芝居なら見ている人が、
「いっしょにその場にいるかのような感覚」を
共有できるので、面白いのだ。

ここで、ちょっと実験。

太郎の貧乏ゆすりは、
部屋にミシミシと静かな音を立てさせ、、
テーブルの上の湯飲みの茶を波立たせる。


と言う表現を、前に持ってきて、
少し前後をいじるとどうなるか。

【例文C】
太郎の貧乏ゆすりは、
部屋にミシミシと静かな音を立てさせ、、
テーブルの上の湯飲みの茶を波立たせる。

太郎は花子の背中を見ながら舌打ちをした。
そして、声を荒げ

どうだろうか。

いじった部分は、しかし、を、そして、に。

あとは「荒げた」を「荒げる」にしてみる。

「た」を「る」に変えると、いわゆる現在形になったわけだが、

 

英語の現在形は、

「いまやっている」と言う意味ではなく、

「いつもやっている」と言う永続性や習慣を示すのだ。

 

すると……


CはBとちょっと味わいが異なると思う。
太郎のイライラに日常性が生まれてくる。
太郎がいつもイラついている人間なら、花子役の「受けの演技」も
大きく変わってくるはずなのだ。

つまり、様子や表情の描写とは、説明

なのだ。様々な説明が込められている。
そこを読み解き、演者が解釈を加えると、
与えられた役、キャラクターが生々しくなり、
時に書いた人間すら気付かなかった解釈が生まれる。

とまあ、そこまではなかなか到達できないので、
まずはシナリオの一字一句をじっくり考えてみよう。

《今回のまとめ》

その1.シナリオや文章に無駄な表現はない。
その2.地の文やト書きは説明である
    =解釈をしっかりたてると、
     演技プランを立てられるようになる。


あい、今日はこれくらいにしておきます。
次回は「因果関係」について話そうかなぁ。

おじさんも気がつけばもうすぐ49歳。

気がつけば還暦まであと十年とちょっと。

まあ、いつぽっくり行っても仕方がない年なのである。

49歳と言うと、なんだかベテラン俳優と思われがちだが、

実際はちがう。なぜならデビューが遅いからだ。

おじさんのデビューは40歳。

もっとも声の世界に飛び込んだのが35歳。

プロダクションに所属している時には仕事がなかったのに

フリーになったとたん、立て続けに外画に出演した。

 

トゥルーロマンス https://filmarks.com/movies/39839/no_spoiler

幸せになるための10のバイブル https://filmarks.com/movies/43578

 

その後も作品に出たり出なかったりしている、

不整脈みたいな声優人生を歩んできたが、まあ、それなりに、

学びの場にも多く居たし、声優だけでなく、この素晴らしいルックスを生かして

ここ1,2年は顔出しの仕事もすっかり増えた。

去年だけでいうなら顔出しの方が多かったかもしれない。

 

で、舞台公演とかだと、たまにまったくの未経験者とかちあったりする。

まあ、ほとんどの新人さんは「お芝居をする」と言う所に意識が行き過ぎて、

 

シナリオの内容を解釈しようとしない。

 

セリフを「どう言おうか」と言うことにばかり気にとられてしまい、

どうしてそのセリフが出てくるのか、と言う所に意識が行かない。

例えるなら、

 

楽譜も読まないで演奏しようとするようなもの

 

なのだ。

だが、ここで待ってほしい。

言いたいことはよくわかる。

 

「お前、役者としてたいしたことないやんけ!」

 

はい! その通り。ぐうの音もございません。

しかし、私には役者人生のダブルスコア以上の年数、取り組んできたことがある。

 

国語の塾講師としての指導法

 

これだ!(どどーん)

つまり、このブログは、売れない役者が好き勝手なことを言うのではなく、

長文読解の指導でおよそ30年飯を食ってきた「国語のプロ」と言う視点から

シナリオ読解(解釈)を切り込んでみようと言う考えなのだ。

 

演技が上達しないで苦しんでいる役者の人はもちろん、

国語の長文読解が苦手な受験生にも、

国語の指導法が迷走している先生にも、効果はある!

 

と思われるので、しっかり読んでね!