今日 ふと「緊張と緩和」と言う言葉が
浮かびました。どういう事なのでしょう。

まぁ 「すぐに緊張に戻る証」と言えるね。


実際は 今の自分に違和感を覚えていて
疑問を抱き 魂の答えを受け取れている。
が 緊張していると答えに気付けない。

答えを意識する瞬間には 緊張から離れ
ていたけれど すぐにまた緊張に戻った。
故に その言葉だけが残ったまでの事だ。 

仕事中の君は 常に 気を張っているよ。
まるで そうするのが仕事かの様にね。

だから 常に 違和感を覚えているのに
その考えで蓋をして 見えなくしている。

君が そんな自分への魂からの答えに
無意識に「緊張と緩和」を選んだのだよ。

自分では そんなに緊張しているとは思えないのですが

君が考えている
緊張は あがり症のようなハッキリ自覚
出来る体験の記憶に限って線を引こうとしている選択だ。
だが 魂の真実では 
精神が考えている状態の全てだよ。

精神
にすれば 選んで当たり前としている「考える」自体
を「緊張」と思えないからこそ 無意識に とことん考えて
緊張の極みまで体験して そこでようやく緊張を意識する。

どんなに 「~していれば安心」と信じていても 実際には
不安への準備をしているから 緊張状態に変わりは無い。

つまり 緊張は不安を無くす為に考えている不安な状態。
「不安な概念の中で どれが一番不安が少ないかを選ぶ」
不安の種の話と同様 大きい小さいは本質と関係がない。

なら
ば この真実を忘れている状態が緊張でもあるだろう。

えぇ 確かに。改めて そう説明されると 納得です。
ここに来るまで ずっとそうしてきたのと同じですね。

…そういえば 昔 「してはいけないこと」を教えられると
「そう思い続ける苦痛から解放されるんじゃないか」って
わざわざ
「してはいけない」と教えられたことを選んで

それで 本当の解放になったのかい?

いいえ。
 「してはいけない」という概念を手放すことには
ならない処か やってしまったという罪悪感が残りました。

そうだったね。「してはいけない」という幻の概念を「在る」
としている限り どんなに足掻いても 無くなることは無い。


例えば 「人を殺すよりは 殺される方が良い」と言うのも
あくまで 幻の上で「右より左の方が楽」にしているだけで
どんなに正しい選択の様に思えても 魂の真実では無い。

こんな風に 「いざという時 一番良い選択が出来る様に」
を念頭に置き 今に準備する為に考え続けているのだから
君達の多くが殆どの今を緊張していることにならないかい。

そこで 「緩和」とは 何か?


考えるのを止める事です。


そう!実に シンプルな答えだ。君達はシンプルになると輝く。
処で ここぞという瞬間に
君はいわゆる「天然」を発揮するね。

えぇ…
こけたり 言葉がテレコったり 鏡に映る自分に会釈したり…
決して 人を笑わそうとしている訳では無いのに よく笑われますね。

それは 自分で緩和に導いているのだよ。
本来 君達はこの世界に生きている限り
自然に 「緊張と緩和」を繰り返している。 
故に ずっと緊張したままではいられない。
緊張が長く続く分 一気に 緩和に向かう。
それが 君の無意識な選択として表れる。
だから 体験に及んでから 選択を知れる。

そんな時 よく「どうして…」と考えてしまいますが…


自分も人と一緒になって 存分に笑えばいい。
理解しようにも 考えては答えが出ないからね。

ただ緊張から緩和に戻る体験が在っただけだ。

自分で自分の緊張に気付けば 手放そうとするだろう。
しかし そうなっている意識が無いからこそ そうなる。


考えを巡らし続けるうちに
頭の中が真っ白になる体験
は考えの行き場を失くした瞬間に全てを手放す選択だ。

意識的ではなくとも この方法で在る状態に自分を導き
緊張を緩和させるのは 魂と精神のコンビネーションだ。

緊張
と緩和。二つが在って君達の喜びになる。
だから 「どっちが良くて どっちが悪い」はない。

何もかもが 本当の君達へと導いているから…


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