もうすぐ、数波をはじめて4年になります
あっという間
でも、子供の時以来・・・くらい、
新しいことだらけの毎日のような氣がします
毎日数波入力をしていると、
必ず新しい氣付きがあるし、
その時の自分のコンディションが、
入力する詞に現れるのです
「氣持ちいい
」ってどういうことなのか?
「生きる」と言う、メカニズムの一端を、
まだまだほとんどわかっていない、カラダの仕組みの中から、
受け取ることが出来る
素を創ることは出来ないけど、
素を基本に循環サイクルに乗せるのが、
役割なんです。・・・たぶん。
全てに、素がある。
それが知りたいと思うのは、本能じゃないかなぁ。。。
小さい子が何でも口に入れてみるのは、
口なら、毒か毒じゃないかを判断できると、知っているから。
目に入れて、たしかめている子を見たことがないんです。
入れたり出したりして、
口に入れなくても、経験的に「これは大丈夫」
「コレは食べ物じゃない」って、判ってくる。
ことばもそれと同じだと思うんです。
感情と言ってもいいのかも知れませんが、
どんなことばを使うと、元氣になって、
どんな意識でコトバを選ぶと、具合が悪くなるか・・・
口から出ることばそものもは、
酸素と二酸化炭素とナンカ・・・であって、
目に見えなくて、
音も目には見えないけど、
鼓膜を震わせることでと、脳に信号が届いて、
見えなくても、認知される。
ことばを発すると、空間にそのコトバが規定されて、
同時にそれ以外の空間(意味)が失われる
数波は、その規定の枠を外す可能性に満ちている
球体理論と言われるのは、そういうことだろうと感じます。
「だ」と
「い」と
「す」と
「き」それぞれに、どんな意味があるか?
「だ」に「だ」「い」「す」「き」4文字の1/4のパワーがあって、
ちょっと好きを感じたりしませんよね??
でも、「だいすき」になったら、ちゃんと意味として捉えてる
「ぶ」と
「さ」と
「い」と
「く」もおなじです。ひと文字づつに罪はないけど
「ぶさいく」って、「ひどい
」っておもう。。。
コレが、目に見えないパワーですよね~
「だいすき」も、
「ぶさいく」も、
一文字づつの羅列に過ぎないとも言える
じゃ、ひと文字の羅列だったとしたら、
そのコトバには、他にどんな捉え方が出来るのか??
それが、数波方程式の教えてくれること
一つのことばから、無限の可能性が広がっていく。
一つのコトバのチュウシンから、全十方に光を放ったら、
色々見えるけど、
「どれを選びますか?」ということ。
虹は球体の一部が人の目に見えていて、
あの円形は完ぺきな円を描いているそうですが・・
人には赤から紫までしか見えないけど、
あの中も外も、普段見えてない空氣自体が、
本当はあーゆー円創が連なっているんですよネ
なんか、こういうこと、子供の頃から、
自分の中の誰かといつもしゃべっていたような氣がします。
姉は塾で母はレッスンしていて、
一人の時間が多かったから。
小さいときにはみんな感じてたことなんじゃないのかなぁ。。
覚えていないだけじゃないのかなぁ。。
オトナに正しさで蓋をされて、
感じる時間を、覚える時間にすり換えることを教えられて年をとると、
ふた言目には「わからない」とか「難しい」とかいって、思考停止を是とする
大人になっちゃうんじゃないかなぁ。。
ちなみに
「むずかしい」は、
◎もっと自由にさせて下さい
◎まず自分自身に向き合おう
◎そうですね
などのことばと、
「わからない」は、
◎割り切れない
◎生きるために必要なエネルギー
◎変わらない
などのことばと、同調しています。
これらをまたどう規定していくかは、本人次第
ワケわからないことを言われた時には、
即数波入力!!
他の捉え方を示してもらえれば、
嫁姑問題も、親子げんかも即刻解決
なハズ
楽しい大人に、ふたの存在を知らされず、
その分他を観察して、蓋があるらしことを学んできて、
間もなく数波人4才
の数波認識は、こんな感じです
わからない≒生きるために必要なエネルギー
かなりヒットです