おれはその重さを愛おしむが如く原稿用紙を持ち上げる。約二万字を綴るのに用いた万年筆のインクの実際には殆ど無視出来る質量の増加への寄与を愛らしいと思うしまたそう思うべきなのだろう。そしてその寄与を為した五十日の営みの意味を思っている。考えるのでは無く唯思っている。仮に筆者たるおれでは無い何者かによって意味付けられ得るものが生み出されたのだとすればおれはそれを大いなる嬉しさと喜ばしさと共に迎えなければならず同時に生み出したのでは無く生み出されたのだということに対して能動的筆力とでも名付けるべきものが自身に於いて欠落していることを省みなければならない。少なくともおれに若しかしたらおれ以外の誰かに有意性のある何らかを齎したかも知れぬこの著述を顧みているおれは眠っている。しかしながら眠っているというその如何にも尤もらしい言を免罪符として抱え続けることに確かに倦んで来てもいるのだ。おれは筆を置いた。
そろそろ終焉に向かっての記述が始まるわけですね。そう手始めに某衛星都市の低層ビルの一室。相も変わらず腕組みをしつつ描写が困難な顔をして彼は座っている。既にこの困難に立ち向かう程の文字数は残っておらずそもそもその必要性及び心算は皆無であるとおれは思っておりそれ故に彼についてのこれ以上の記述は今後一切無い。文学的実質なんてものが存在しないことのその理由の委細もとうとう述べられぬ儘だが永遠に機会が訪れぬかも知れぬと書いておいたのだから最早更なる言及はしなくてもよかろう。複数の「彼女」についての描写は勝気な店主の描写と並んでもっと活写すべきであったしまたその機会を設けるべきであった。二度も夜道を彷徨っちまったことでその機会を失ったのだ。それにしても遂に抽象的に語る域を出なかったのだよなあ。せめて抽象的活写が出来れば良かったのだがそんなもの在るのかなあ。無論在るんだろうなあ。あっ残り一枚。
携帯電話の振動音によってやや不快な目覚めを強いられたおれは見知らぬ電話番号からの着信を確認して慌てて上半身を起こした。振動は未だ続いている。この時期になると午前九時などといったおれに取り大変な早朝に電話が掛かって来ることはそう珍しいことでは無く多いときには週に三度の着信を受けることもある。「××高等学校の××と申しますが  先生の携帯電話で間違い無いでしょうか」「はい」「もし先生の来年度のご予定がまだ決まっておられないのでしたら是非当校で勤務して頂ければと思いまして」「成程」「いかがでしょうか」「伺いたい点があるのですが宜しいでしょうか」「はい」「給与体系についてなのですが」「はい、まずコマ給ですが、一コマ五十分で、週に一コマ担当して頂くと九千六百円です」「えっ」「えっと、一コマ九千六百円となっております」耳を疑い言葉を失った。開いた口が塞がらないとか二の句が継げないとはこういう状態のことであろうか。


暫し呆けたおれは漸く次の言葉を捻り出す。「成程、承知致しました。折角のお話なのですが、既に他校からより良い条件の講師依頼を頂いておりまして」嘘も方便とはよく言ったものだな。電話を置いたおれは自らが四十六日振りに赫怒していることに気付く。あっ確かにおれは怒っている。九千六百円とは何たることか。「原稿用紙一枚につき八百円でいいですよね」と言ってのけた忘れもせぬあの  の再来の如きこの九千六百円。おれは断ったから良い。しかしながらコマ給九千六百円で雇われる人間が何処かに発生するであろうそのことが腹立たしく従っておれは憤然としている。「仕事を選ばないことと自分を安売りすることは同一の概念じゃあないからね」同一の概念どころか近接した概念でさえ無いことを今おれは噛み締めている。
顔を上げると煙草を吹かす店主の姿が目に入る。確かにその通りであり自責や悔恨の連鎖は断ち切らねばならずそもそも自責や悔恨の情など持つべきでは無いことも分かっておりでは何をすべきなのか一考すれば即ち省み改めるべきであると心得てもいる。そして今、昼間の陽気が嘘であったかのような酷寒の夜をおれは歩いている。やはり車で出掛ければ良かっただろうか。引き返すべきか迷ったが残り僅か数分の道程ではないかと悴みつつある身体を励まして歩き続ける。気紛れに徒歩での移動を選択した自身の判断の甘さを何と微笑ましいことであるかと感ずる程度には己に対して寛容でなければならぬのだろう。途次に自動販売機で購入した温かい缶珈琲を飲みながら寒風吹き荒ぶ川沿いの道を進む。新月の暗い夜道。着着と膨らんでゆく心細さが缶を握る両の手に力を込めさせている。


やや広い道に抜けたおれは左右どちらに向かうべきかを考えるのだが既に忘れてしまっており思い出すことが出来ない。最早忘れてしまうことに驚愕や恐怖を感ずることは強がりではなく一切無い。そして呆然とする間をも惜しんでおれは来た道をゆっくりと戻り始める。目的を失って何も為さずに帰るその帰路の物悲しさをおれは幾度味わったのだろうか。この寒空の下にあってはその物悲しさは数倍して感じられるのかも知れぬ。そしてこの展開この筆致は望ましい結果を生まぬのでは無いかとおれは思い始めており従って差し当たっては昨日言及した昼間の陽気の描写へと移る。啓蟄の冴え渡った空気が大変に清清しくおれは思わず深呼吸を繰り返す。肺にきゅうっとした痛みを覚えるまでそう時間は掛からない。あっ。麗らかな陽気の中を穏やかに散歩するさまを描くには未だ早かったか。何しろ最後には寒さに圧倒される姿に行き着いてしまうのだ。
自分の驕慢を皆に知られるのが怖いか。案の定彼女は眉根を寄せておれを見たが最早始まったこの饒舌を止めることはおれ自身を以てしても叶わず彼女も止められぬと承知しているからこそ何も言わず或いは場面の転換著しきこの作中内に於いてさえも猶突如たる今回のシーンの移行に戸惑っているのかも知れぬがそれはおれも同じであり一体此処は何処なのかと思う。周辺の諸情景の描写が無いということは必要が無いということでありそれ故に恐らくは以下おれの心情の表白本心の披瀝ということになるのだろうなあ。再開。おれは常に貴女の味方でいようとは思っておらずそもそも貴女にとって耳触りの良い言葉だけを選択して提示し得る知性も語彙も配慮も無くて貴女とおれとは強情頑迷片意地張りなところが共通しているもののその上で人生哲学に決定的な相違がありお互いがそれを認識していながらしかし非妥協的であるが故に歩み寄ることが出来ずにいる。


「でもね、結局歩み寄らなかったことが幸いしたのだとわたしは思うんです」だって彼女がおれに抱いていた敵意と同じくらいに若しかしたらそれ以上におれは彼女を憎んでいてそしてそのことに気付いたのはずっと後だったから「わたしは彼女と共に生きてゆきたかったけれど」お互いに相手の生き方に反感を持っていたにしろ少なくともおれの方は彼女を羨ましく思っていて「状況が許してはくれず」でも彼女の方は?「     」運ばれて来たミルクティーは極端に甘かった。テーブルに備え付けのこの角砂糖を放り込んでもきっと溶け残ってしまうのだろう。その甘さの示唆するものが何であるのか考えた儘に数年後の自身をおれは見ている。数え切れぬ程の約束を交わしてその全てを反故にして来たことの罪深さを繰り返し繰り返し繰り返し夢に見て悔いている。数年後ならば文字通りにあっという間に訪れる。その未来を「自責や悔恨と共に迎えるべきじゃないよ」
狭心症急性心筋梗塞冠動脈血栓大動脈解離心臓弁膜症心タンポナーデなどといった物騒な言葉たちが直ちに次次とおれの思考のうちに羅列され殆どは単語を見知っている程度の知識しか無く具体性を持たないこれら物物しい用語はだからこそ本来の語義を超克した驚くべき迫力を付き随えて急迫し周章は恐怖を伴ったものとなる。あっとうとうおれの許にもやって来たか。この症状が何に因るものであるのか知っている自身が恨めしい。決して虚血性心疾患他では無いのだ。時刻は午前二時半を少し回った頃であり誰かに電話などして助けを求める訳にはゆかぬと携帯を手に途方に暮れたおれはしかし今こうして原稿用紙に向かっており先の危機を如何にして脱したのかを思い出そうとしているのだが全く思い返すことが出来ず無念さに打ち震えている。忘れてしまっては意味が無いではないか。譬えどんなにか苦しく辛く悲しいことであったとしても忘れてしまったその先にある喪失感は幸せな思い出を失くしたときのそれと同等のものだ。話を掏り替えてまで陳腐で使い古された亜流的文句を書き連ねることの効果をおれは注視する。
視界を遮るものは何も無く南向きに開けたその場所から見下ろした先には鏤められた無数の光があり大変に美しく正に絶景だ。これら美しき光のうちには数万数十万の人人のそれぞれの人生が在りともすれば大半が悲哀憂戚苛酷悖理不条理に占められているのかも知れぬそれらであってもこのように遥かな高み遠みから眺めれば何と絶佳たることか。生憎の混雑に閉口しながらもおれは目的の大体を達したであろうことを実感して肩の力を抜いた。この辟易するような混雑にしかし救われたのだろうなあ。有らぬことを口走るような不覚を取らずに済んだのだ。翻っておれの自宅である。ふと覚醒したおれは未だ嘗て経験したことの無い強烈な動悸に狼狽えた。寧ろ苦痛により目覚めたのかも知れぬ。
「紅茶を戴けますか」おれが飲みたいものは温かいミルクティーでありこの人にはおれが今飲みたいものがそれであるなどといった些少で詰まらぬことにさえも知悉しているのでは無いかと思わせるような情調がある。詳しく述べずとも温かいミルクティーが運ばれて来るであろうその水準に迄この人とおれとは認識を同じくしていると思うしまたそう思っておくべきなのだとも考えている。前回の注文の際には暫しの潜考をしたのだったなあ。今回深思すべきものは既に決まっており即ち数年振りに会った彼女は。当初考えていたよりも登場人物が多くなりややこしくなって来たが区別は読者に一任すべきであろうしそもそも彼女の名を出すべき勇気度胸正当なる権利が今のおれには無いのだ。彼女が遂行しているのであろう日常の激務しかし変わらぬその美貌に違和を感ずることが無かったと言えば嘘になりそのぎこちなさを認めていてさえ見惚れてしまった自身が情けない。そして突拍子の無い告白。おれは平静さを装うことが出来たのだろうか。平静さを装うことに気を取られたその様こそが動揺の露呈となっていたのでは無いだろうか。
やはり戻って来ることが出来たのだなあと思う。あの端的で且つ多くの示唆を含んだ物言いで以て訊かれたくないことをまた訊かれるのかも知れないがそれはきっと少しく心地の良いものに違いない。他方その心地良さへの期待を高く持ち過ぎてはいけないことも深く心に留め置いておかねばならずおれはこの美しい店主の前では然も何らの期待をも持ってはいないのだという態度で些か喪心した風に珈琲なり別の飲み物なりを啜りつつしかも泰然としていなければならない。然ればこその次の店主の言葉。「久し振り」おっと期待を裏切る言葉。その発語の際から今も猶はっきりとこの人は微笑んでいる。眠っていたおれのその寝顔を眺めつつ微笑んでいたであろうとの推量は眠っていた当の本人であるところのおれの側からの描写が少なくとも以前には為されていないことにより推量で在り続けるしかない。対して今はっきりとおれに向けている微笑みは実際にこれが実質的初見となるこの人の感情の発露である。


おれに取っては勿論描写が無い以上は若しかしたらこの人に取っても本当に久方振りの再会なのかも知れず大変に情感の籠もった先の「久し振り」であったとすればきちんと答えておかねばならない。唯でさえこの人の言葉によって回想が想起されたりすることが多多あり従ってその言葉の殆どを無視しているんだもんなあ。「お久し振りです」おれの言葉を受けた店主からは心做しか嬉しそうな様子が見て取れぬことも無い。おれの心模様が反映されているのかも知れないな。何しろ筆者がおれなんだもんな。それにしてもこの人何歳なのか。少しばかり読み返してみれば年齢に関しては妙齢であるとの記述があるのみであって此処で改めておれと同じく二十代であることを明記しておこうと思うのだがこの叙事にどのような実効があるのかは全く分からず分かる必要も無い。あっ。年齢が二十代であることは少なくとも作中内事実であり従って叙事と書いたが創作である以上作中内に於ける叙事は全て叙情と見るべきなのだろうか。


これ触れたく無かったんだよなあ叙事とか叙情とか。面倒だなあ。例えば詩ってのは本来的に叙情するものだと思うんだけど叙事詩なんてのもあるんだもんなあ。あと抒情ってのがある。叙情と抒情では意味が異なるとか言う人いるけれど、漢字の違いに因る意味合いの違いはあってもこれを意味の違いとまで言い切れるのかどうかおれには分かんないの。理解していないことを書きたくないというのは我儘なのかね。某衛星都市に実在する低層ビルの一室に舞台が移りそうになったときに声が掛かる。「次も珈琲?」この店を後にせぬということは店主とおれとの共通認識であることが明白となった。何か頼まねば。二杯目の苦い珈琲は身体が欲していない。
少なくともこの細細とした灯りたちが消えてしまう前には覚醒しなければならぬと半ば恐怖へと移行した憂懼を感じながらおれは思う。急いて乱暴に目蓋を閉じることへの言い知れぬ懸念。その懸念を描写する時間さえ惜しいこの場面に於いてしかしながら深く息を吐(つ)いてゆっくりとゆっくりとゆっくりと目蓋を閉じる。次に見る光景は那辺のものだろうか。心躍る絶景が眼前に展開することへの期待くらいは持っておくべきなのかも知れぬ。瞑目したからだろうかやや過敏になっている風の聴覚が舌足らずな声を捉える。何かから目覚めるために目を瞑らなきゃいけないなんて滑稽だよね。(確かにその通り。けれどもっと滑稽なことなど幾らでもあり彼女とて知っている筈だ。僅か数枚の原稿用紙に収まる程の、情緒も余韻も不充分な滑稽極まる死に様。従っておれは彼女を未だに許すことが出来ずにいる)極端に苦いその珈琲を飲み干すのに十日以上も掛かったおれをじいっと見ていた様子の店主はもしかしたら微笑んでいたのかも知れない。