自死した19歳長女への想いを手紙に綴ったブログ

自死した19歳長女への想いを手紙に綴ったブログ

自死した19歳長女への思いを父親が綴ったブログ。2011年11月、私大1年のピピちゃんが都内の自室で縊死しました。中学3年の二女と1年の三女は帰らぬ姉の名を呼び、泣き続けています。なぜ旅立ったの?何で生きるのが嫌になったの?

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◆合成写真


 「今も元気に生きている親友たちと、死んだピピとの成人式の合成写真なんて見たくない!そんな悲しいポートレートを部屋に飾ったら、ピピはこの世にいないという考えたくない現実を毎日思い知らされることになっちゃう。あまりに悲しすぎる…」

 ママがまるで子どものように声を上げながら、泣いた。両手で顔を覆いながら「どうして彼女たちはあんなに明るくて元気いっぱいなのに、ピピだけいなくなっちゃったの?なぜなの?」と漏らし、痩せた肩を振るわせた。

 当時大学1年だった長女のピピが自死して5カ月。ママが泣き崩れたのは、ピピの親友3人が最近、僕とママを励まそうとわが家を訪ねてきた直後だった。

 3人はいずれも19歳の女子大生。
自死した19歳長女への想いを手紙に綴ったブログ-成人式イラスト
彼女たちは「ピピちゃんは永遠の友だちです。来年の成人式の際には4人一緒の記念写真を撮りたいと思っています。よろしければ、合成写真作成への御理解をいただきたいのですが、よろしいでしょうか」と持ち掛けてきた。僕は「ピピは良い友だちを持てて本当に幸せです。みなさんの暖かい心配りに何とお礼を言っていいか分かりません」と感謝した。この時は、ママも僕と同じ気持ちだと思っていた。


◆乱れる心


 3人は中学時代からの大親友。いつも4人一緒に行動していた。スターバックスなどに立ち寄れば、5時間も6時間もガールズトークに花を咲かせる大の仲良しグループだ。昨年11月の葬式の際は、僕たち家族と一緒にピピの名を叫び、泣いてくれた。合成写真のアイデアは、3人のピピに対する友情の証しであると同時に、悲嘆に暮れる僕とママを励まそうという心遣いの表れでもあったはずだ。

 ところが、ママは3人が帰宅した後で「合成写真は嫌だ。断る」と言い出した。振り袖で着飾っているであろう3人の元気なお嬢さんと一緒に、普段着姿の生前のピピの写真を合成すれば、きっと寂しく、哀しい印象の、見るに堪えないポートレートになってしまうというのだ。そしてこの写真は、ママの心をえぐり続けることになると「予言」するのだ。

 僕は泣きじゃくるママの肩を抱いて「分かった。この話は僕が引き取った。仮に写真を作成するにせよ、少なくともママの目に触れないようにするよ」と約束した。

 ママは合成写真だけでなく、明るく元気に満ちあふれた友人たちが自宅を訪れること自体にも抵抗を感じているようだ。「彼女たちと話していると、ピピがいないことを強く意識せざるを得ないの。だから、彼女たちの言葉はちっとも励ましにならないの」と暗い顔をしてつぶやくのだ。


◆振り袖を着ないまま…

 

 ピピと親友3人。この4人は友情という固い絆で結ばれている。でも生死の境目が、ピピと、残る3人をへだてているのも事実だ。4人の記念写真は、僕とママにとって、生死の違いを乗り越えた「友情の結晶」となるのか。それとも、3人とピピの生死の溝を浮かび上がらせるだけの「悲しい一枚」となるのか。今の僕には分からない。

 
自死した19歳長女への想いを手紙に綴ったブログ-振り袖
1月15日は「成人の日」だ。ピピが生きていれば、来年は成人式に出席するところだった。茶髪を黒く染め直したロングヘアのピピが、振り袖姿で笑顔を見せてくれるのをパパもママも楽しみにしていたんだよ。ピピ、分かるかい?ママが二十歳の時に着たピンクと白の振り袖を、ピピも「かわいいね。私、気に入った」と言っていたよね。でもピピは袖を通さないまま旅立ってしまった。ピピがいない「成人の日」をどう迎えたらいいのだろう。ママは、いつも以上に泣くことになるのかな。成人式のニュースを見ながら、ピピのいない食卓で取る夕食は、どんな味がするのだろうか。寂しいな。悲しいな…