京都に通い始めてはや9年経つが、まだまだ知らないことがたくさんある。
 
この日は三条あたりから上賀茂方面まで散歩したが、道中で紫式部さんのお墓に出くわした!!
 
びっくり!!
 
ホント、今日は一歩歩けば遺跡に当たる。 まるでイタリア・ローマのようだ。
 
さて、妙顕寺。
 
ここは足利義満さんが懇意にされたお寺だそう。
もともと、日蓮宗を開いたお坊さん、日蓮さんのお弟子さん、日像さんが後醍醐天皇から許可をえて建てたとか。
 
 

 

三条から鴨川の辺りをテクテク。

 

川辺は三条大橋付近を除けば、どれだけ観光客が多い季節でも割と静かだ。

 

 

 

ぬはー

 

お花ええわ

 

 

 

途中、幸神社というところを発見。

 

ここには境内に要石が。

 

 

 

要石というと、通常の定義では地震を鎮めている石で、全国に四つとされているらしい。

 

これまで日本各地を巡って体感した感想としては、多分、地中には何らかのエネルギーの力場のようなものがあるのだろう。

 

それが地表に向けて噴出する場所に、こういった石が設置されている。

 

人によってはそれを龍脈と呼ぶ?かもしれない。

 

先日いった、伊勢神宮の裏山にある天岩戸神社の水源地も、それと近い役割だと思われる

 

それにしても妙顕寺。

まるで奈良の法隆寺の境内のよう。

 

整っていて爽やか

 

 

 

 

 

 

二条城のようなフォルム。江戸初期の書院造?

 

京都の建物は、歴史の流れの中で場所が変わったり建て直されたりが多い。

 

例えば本能寺なんて今でもあるし、敷地内にホテルがあるくらいだ。

 

 

 

 

美しき桜

 

 

仏塔。

 

 

思わずため息が出る。

 

普段のうるさい外国人観光客や、きゃっきやした学生さんたちも、だーれもいない京都。

最高!!

ずっとこのままだったらいいのにな。

 

 

ここは水火天満宮。スイカと読むそう

http://suikatenmanguu.com/

 

最も古い天満宮の一つだとか

 

こちらは境内、盛りだくさん

 

岩に泉に松に梅。

 

小さいながら深くて強力な神社だ・・・

 
と、ご覧のように京都の市内はようやく静かになった。
 
日本帰国直後、三月十日時点では、街中は学生さんたちの卒業旅行?でひしめいていた。
 
平和ボケも大概にしてほしいが・・・
 
 
医療崩壊、という不思議な造語がどんどんメジャーになっていっているようだ。
 
ハッキリ言うが、現代の医療など崩壊するべきだと思う。
 
そして新たな価値観を生み出す時だ。

 

私の生徒さんや友人には医者が何人かいる。 

 

その方達の奮闘ぶり、献身ぶりを見ているととてもスゴイと思う。 

 

そして、医療崩壊を起こさないように、政府の方々や関係者が必死に知恵を働かせ、不眠の努力をされていることも知っている。

 

その貢献心に頭がさがる思いだ。

 

それでも、医療制度など崩壊すべきだと思うには、三つの理由がある。

 

 

一つ目は、そもそも、現代社会は『病気を生み出す仕組み』が機能している点。

 

病気とは何か? その定義は、病気ではない状態を指すだろう。

 

しかしそれは非常に曖昧で、本来、定義にはなり得ない。

 

例えば、シマウマはブタではないといえば?

 

それがシマウマの定義だとしたら、シマウマが可哀想だろう。

 

人間の定義など、本質的には無意味だが、あえて現実的に言うならばそれは

 

『健康な状態』

 

と言えるのではないか。

 

健康を害する理由は、先天的な疾病を除けば、原因はたったの一つ。

 

ストレスである。

 

ストレスによって人は自己治癒力を失い、世界が定義する『病気』に当てはまる症状を有するようになるのだ。

 

大抵の人は満員電車とやりたくない仕事に耐えるだけで相当なストレスだ。

 

誰だって病気になる。

 

それを維持継続させようという仕組みがある以上、根本的な問題はなくならないだろう。

 

 

二点目は、病院自体の問題。

 

私の感想として、病院に行くと病気になってしまいそうな錯覚に陥る。

 

健康状態に戻そうというのが病院の役割のはずなのに。

 

近代栄養学の観点に沿った、栄養バランスの取れた食事を出すのだろうが。

 

どう考えても良いレストランの食事や寿司、新鮮な取り立ての野菜を食べたほうが健康になりそうだ。

 

最大の問題は、医者や看護師が、その人を『病人』として扱うことにある。

 

人は思い込みの生き物であるから、他人から『病人』として扱われれば、どれだけ抵抗しようと『病人』になってしまうものだ。

 

人がいかに思い込みによって生理機能まで変化するかは、昨今の医療研究でも実証されていることだ。

 

 

三点目は、死を忌み嫌って、避けようとすることである。

 

人はすべからく死ぬものだ。

 

だから限りある命を一生懸命に生きようとする。

 

にも関わらず、闇雲に寿命を伸ばそうとし、死なないように管だらけにして、脳死状態でも呼吸が止まっていても心臓を止めないようにする行いになんの意味があるのだろう?

 

治療しようと放っておこうと、人は死ぬときに死ぬ。

 

日本では特に、死なないために奔走する老人が非常に多く見受けられる。

 

嘆かわしく、愚かしい現象だ。

 

死なないように生きるなど、人の生き方とは言えない。

 

生きることを楽しむこと。

 

死を受け入れ、今を全力で生きること。

 

それが答えであると、私は確信している。

 

 

 

以上三つの理由で、私はさっさと医療制度など崩壊したらいいと考える。

 

 

多少の科学的な薬は必要かもしれない。

 

しかしそれよりもずっと、ハーブ、薬草の類が重要だ。

 

長く生きることよりもずっと、今この瞬間を楽しんで生きることが重要だ。

 

楽しくないのだったら、生きている意味なんてないのだよ。

 

病院に足しげく通う老人のモチベーションは、ちょっとした地域サロンと化しているからだろう? 友人知人に会えればいいんだったら、そんなとこにいって国の医療費を無駄遣いするな! 喫茶店や公園にゆけ! イタリアの老人たちをみよ。 街の四角や噴水の前に毎日集まって、昼間おしゃべりを楽しんでおる。あのような形が健全のように思う。

 

一番重要なことは、不安と心配を捨て去ること。

 

国や世界の秩序が完全に崩壊するまでにはまだ時間がかかるだろう。

 

日本人は、偉い人が右といえば右、左といえば左、というようなものがほとんど。

 

つまり、上が変わるのを待っていたら遅いということ。

 

今、この瞬間から、不安を手放し、一瞬一瞬を楽しく生きることに集中することだ。

 

そしてニュースだのSNSだの偉い人だのベストセラー本だの、一切読むな見るな。シャットアウトせよ。

 

そして、自分の心がどう感じるかを頼りにせよ。

 

そうやって生きるしかない。

 

それこそが私が伝えていることである。