す、スマホが水没して死んだ。。。

 

電話もラインもできないわけだが、、どうしよう

 

さて。

 

こちらはシドニーから立ち寄ったブリズベン。

 

ゴールドコーストというサーファーの聖地に近い、とても整った町である。

 

 

ここはシティホール。

ものすごく人が多い、、、

 

それもそのはず!

 

この日はクリスマスイブなのだよ!

 

ナポリ介

「なんで行列作っておるのだ??」

 

ブリズベン住民

「サンタクロースがくるのさ!パレードだよ!」

 

 

ほー

 

ブリズベンの街は、小さなシドニーという感じであった

 

川ぞいにでもいってみるか!

 

おぉー


川ぞいにスピーカーが設置されている!

 

そしてそこそこの音量でクリスマスソングがリピート再生されている。

 

ナポリだったら、多分piazzaにどでかいスピーカー置いて、延々と大音量で流し続けるだろう・・・

 

オーストラリア人たち市民の概念の存在を強く感じる。

 

イタリアではフィレンツェやミラノ、ヴェネツィアでたまに感じることだ。

 

市民??ワッツ?

 

投票権、税金の使い道、先住民族に対しての接し方、「みんなのもの」を大切に扱おうという意識、国が定めたルールを守ろうという意識のことだ。

 

こういう意味では、日本人は公共精神が世界的にみて非常に高い。

 

オーストラリアで道にポイ捨てする人など皆無。

 

ところが、シチリアにしてもナポリにしてもローマにしても、道端にゴミを捨てる人がとても多い。

 

中世ヨーロッパの名残で、家の敷地から一歩出ればそこはもう他人のスペースだから、自分の家の中だけ整っていればいい、という身勝手な考えだ。

 

イタリア、、、

 

公共心という言葉を産んだ国なのだが、、、、

 

オーストラリアにいて思うのだが、この国に移住した人々は変化を遂げる。

 

イギリス人は伸びやかに。

 

アメリカはおんなじ。

 

イタリア人は、英語を話せるようになり、しかもまともな人間になる!

 

日本人はサーファーのように色が黒くなる人が多く、心の余裕を持てるようになる。

 

タイ人は変わらず。

 

雰囲気のなせる技である。

 

 

 

想っていることが現実化する。

 

自分の発しているエネルギが現実を創り出しているのだ。

 

オーストラリアにはいい気分の人がとても多い。それが雰囲気のベースになっている。

 

これだけ物価が高くても世界から移住者が殺到するオープンな国だ。

 

世界一、人口密度が低い。

 

それも素晴らしいことだ。

 

雄大な日暮れ、ビーチの波音を聞いていると、その穏やかさが日常に変わる。

 

一瞬一瞬を幸せに生きることほど大切なことはない!

 

都会からドロップアウトせよ!!