熊野大社前で禊ぎ
サッパリ
温泉みたい、、
神社は、もともと聖地である場所を、人々が清らかに保つことで成り立っている。
よこしまな人の欲望は、神様をウンザリさせることがあるらしい。
ご利益を求める心?
そういう「くれくれ」という想いより、「神様ありがとう」という心で神社に来て欲しい。
生かされている、活かされている。
命をどう使うべきか、常に我々のまわりにはメッセージが降りてきているのだ。
右も左もわからぬ地球で、何をやればいいか。
やりたいことをやればよいのだ。
その願望も、その感情も頂き物である。
頂き物として、疑わず取り組むこと。