最近考えていること、、

 

声は、元々コミュニケーションツールではないと思う。

 

多分、クルマのサイレンのような役割で、思念波を乗せて増幅させ、現象界へ影響を与えるためのものでは?

 

では、言葉がどうして生まれたのか。

 

有史以前の、超古代文明のようなものがどうやらあったらしい。

 

アトランティスとか、ムーとか、古代エジプト文明や黄河文明の元になった?やつ。

 

その当時の文字は、ある面では残っているのかもしれないが、現時点では無い。

 

多分、それは、その超古代文明の人々が意図的に消したか、あるいは文字というものを使っていなかったではないだろうか。

 

アイヌ、モンゴル、漢字伝来以前の日本など、目に見える形での文字を元々使っていなかった人々がいる。

 

もちろん、古代エジプトのヒエログリフや、メソポタミアの楔形文字とかを使っていた文明もあるけれど。

 

声が言葉を相手に伝えるためのツールなら、どうして超古代の人々はテレパシーやサイコキネシスを中心にコミュニケーションしていたのだろう?

 

超古代文明は発展しすぎて滅んだと伝承されているが、実際は、皆で合意の上「終わらせた」ものらしい。

 

おそらく、地球に来て生きる目的を終えたのだろう。

 

思いが瞬時に伝わり、行きたい場所にすぐにいけ、得たいものがすぐに物質化し、愛と平和だけの世界に到達したのだろう。

 

なぜ、言葉を相手に伝えるためのツールが声とは思えないというと。

 

言葉というものが非常にあやふやだからだ。

 

その言葉にどのような気持ちをや意味を乗せるかで、全く異なった伝わり方に変わってしまうからだ。

 

平面に記された文字と、声そのものから伝わる情報量の差はとてもとても大きい。

 

ほんの一瞬思い浮かべたイメージですら、文字を使って描写しようとすると結構な時間がかかるだろう。

 

言葉そのものが現実化するのではなく、声のエネルギーに乗せて発したことが現実化する。

 

 

声の芸術家として、人々が本来持っている声を引き出すこと。

 

これはそういう楽しみがあるのです。

 

超古代の人類がフツウに使っていた、テレパシー能力の解放。

 

つまり、声を発することなく正確に相手に意思を伝える力。

 

別の言い方だと「在り方」で伝えるようなものです。

 

そして、声によって、本人の望みを現実化。

 

声の振動は、それそのものがエネルギーですから、声に乗せたエネルギーが現実化すると言っていい。

 

ワクワク、、

 


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