恨みだけは一人前。自分を省みる能力はどこへやら
世の中には、驚くほど執念深い人間が生息している
何年も前の出来事をいつまでも根に持って、何十年経っても恨みを手放さない。
過去の一件を何度も蒸し返して、いつまでも相手を悪者にし、自分は永遠の被害者であるかのように振る舞う。たった一個のコメントで・・
いったい、いつまでやっているのか。
昨日のことなら、まだ分からなくもない。だが、何年も、何十年も・・
普通なら、とうの昔に人生の過去の一部になっているような出来事を、いつまでも保管し、何かあるたびに取り出しては恨みを再燃させる。
その記憶力と執念には、ある意味、感心。
もっとも、そんな能力を発揮する方向が、他人への恨みなのだから救いようもないのだが。
何十年も前の相手の言動は忘れない。相手の非はいつまでも許さない。
ところが、自分がいつまで同じことに執着しているのか、自分の言動がどれほど醜くなっているのかについては、まるで考えようとしない。
他人の落ち度を数えることには熱心なのに、自分を省みることには驚くほど無関心。
他人の過ちは永久保存。
自分の問題は検討すらしない。それも80歳近い老婆だよ。
なんとも都合のいい頭の使い方。呆けている?
しかも、こういう老婆ほど、自分の恨みには立派な理由があると思い込んでいる。
自分は傷つけられた。自分は被害者だ。だから、いつまでも怒っていていい。
相手を悪く言ってもいい。周囲に自分の言い分を吹き込んでもいい。
なるほどな。過去に一度でも傷つけられたら、その後は何十年でも他人を責め続けていいらしい。
しかも、捏造までして。
そんな便利な特権があるなら、世の中の人間関係はさぞかし楽なことか。
自分が誰かを傷つけたときには事情がある。自分が間違えたときには理由がある。自分が不適切なことをしたときには、それなりの経緯がある。
でも、他人が自分に何かをしたときには、事情も経緯も一切認めない。
自分は無限の言い訳を用意するくせに、他人には一切の猶予を与えない。
自分に都合のいいことしか認められない人間と言うべきか。
さらに滑稽なのは、何十年も恨み続けている自分の姿を、少しも恥ずかしいと思っていないこと。
年月を重ねれば、人間は多少なりとも視野が広がり、自分の未熟さにも気づいていくものだと思っていた。
でも、年だけ食って、考え方は昔のまま。
過去の出来事にしがみつき、同じ怒りを繰り返し、同じ相手を責め続ける。
年取ることと、成熟することは別なのだ。
長く生きてきたからといって、人間としての器まで大きくなるわけではない。それに、経験が増えたから、知恵が身につくわけでもない。
何十年という時間を与えられても、身についたのが反省ではなく執念だったとしたら、いったい何を学んできたのか。
過去に受けた傷が簡単に消えないことはある。
裏切りや侮辱を、無理に忘れる必要もないし。
でも、傷ついたことで、いつまでも相手を責め続けるのはいかがか。
許せないことと、自分の人生を過去の恨みに明け渡すことは同じではないだろ。
まして、自分の恨みを正当化するために事実を歪めたり、周囲を味方につけて相手を攻撃したりするなら、もはや過去の被害だけを語って済む話ではない。
醜い老婆だ。
自分が傷つけられたことは声高に主張する。
自分が現在進行形で誰かを傷つけている可能性については、きれいさっぱり忘れている。
自分の被害には敏感。他人の被害には鈍感。
自分の感情は絶対。他人の事情はどうでもいい。
これほど自己中心的な理屈も、なかなかない。
結局のところ、いつまでも被害者でいたいヤカラにとって、恨みは単なる感情ではないかもしれない。
自分が正しいと思い続けるための材料だったり、自分を省みずに済ませるための言い訳だったり、他人を責め続けるための都合のいい武器。
恨みを手放せば、自分自身の生き方にも目を向けなければならなくなるし。
いつまでも相手のせいにしてきたこと、自分にも選択できたこと、自分の言動にも問題があったかもしれないこととかね。
そういうのを認めるくらいなら、永遠に相手が悪いことにしておいたほうが楽なのだ。無意識を装って、自分にウソを吐いて。
だから、いつまでも終わらない。
過去が終わっていないのではなくて、自分の中で終わらせようとしない。
そして、自分が過去に縛られ続けていることまで、相手のせいにする。
ここまでくると、執念深いというだけでは足りない。
自分の人生の主導権を過去の相手に預けたまま、その責任まで相手に押しつけているから。
相手を恨み続けることで、自分の人生が豊かになる?
何十年も怒り続けることで、失われた時間が戻ってくる?
周囲に自分の言い分を広めることで、人間としての器が大きくなる?
それでも恨み続ける。
責め続ける。自分は悪くないと言い続ける。
そうして人生の貴重な時間を費やしながら、最後まで自分を被害者だと思い込んだまま棺桶に入る。
他人の過ちには何十年も執念を燃やすのに、自分自身を見つめ直すことには一生かかっても手をつけない。
なんとも見事なまでの他責思考老婆。
恨み続けることを立派な信念と勘違いし、執念深さを正義と取り違え、自分を省みないことを棚に上げて他人ばかり裁く。
そんな生き方を続けて、いったい何が残る?
過去の恨みと、他人への不満と、
自分は間違っていないという根拠のない自信くらいは残るか・・
80年近くも生きてきたんだから、そろそろ気づいてもよさそうなものだ。
他人を許せないこともだが、自分を省みられないことのが、よほど深刻な問題だということに。