絵本探究講座第3期
第1回振り返り
『私と絵本の最初の出会い』
わたしの絵本についての遠い記憶を辿る。
それは父に毎晩絵本を読んでもらっていた4歳の頃、
多分まだ、“読み聞かせ”なんて言葉も聞かなかった頃の事で、何故か母ではなく、父が読んでくれていた記憶だ。
その頃読んでもらった一冊に、
題名もストーリーも覚えていない、犬の目がぐるぐる回る絵と、兵隊さんがポケットの中にお金をザクザク入れているシーンにドキドキした絵本があった。
20代前半、わたしは幼稚園に勤めていた。その幼稚園では週に3回、子どもたちにグリム童話かアンデルセンの素話をすることになっていて、そのため毎日の電車ではそのどちらかの文庫本を読むことにしていた。
そしてそんなある日、いつものようにアンデルセンを読んでいると、身体が震えるような瞬間が訪れる。
『火打箱』という題名のその物語、
なんと、かつて父から読んでもらっていたあの絵本とぴったり重なるシーン 〜〜兵隊さんがポケットにお金を入れるシーン〜〜 があったのだ。
読み進めるうちに、わたしは確信し、思わず『これだ!』と叫びたい氣分になった。
壷井栄の『二十四の瞳』の中に、こんな場面がある。
大人になった12人の子ども達と先生が、一枚の写真を見ながら思い出を懐かしく語っている。
戦争で視力を失い盲目になってしまった青年に氣付いたひとりが、
『ごめんなさい。写真見えないのに…』というと、
『見えますよ。ほら誰それの隣に○○がいて笑っているでしょう。前にいるのは××でしょう。』とまるで見えているかのように話すシーン。
ここでわたしが学んだこと、
作者が言いたかったのでは?と思ったことは、
本当に大切なことは見えなくなっても心に残る。
心に残ったことは失うことがない
ということではないか?という事。
それと同じように、幼い頃の絵本体験は、理屈や理論ではないのではないか?
今回、自分の絵本体験なんて振り返りとは関係ないことを書いてしまったが、
“振り返り”に何を書くかを考えている時に、絵本体験が書きたいと思い立った。
そう思い立ったら、積極的に原稿の準備をする氣になった。
*
ミッキーより
自分の成長を楽しんで自分に響いたことが大事。
整理して格納することで、使える知識になる。
と言われたことに共鳴した。
今まで『これ好きだから…』とか、『なんか可愛い』とか、
感覚で絵本を選択していたが、
第2期の講義を受けて、
(子どもに理論や歴史を語ることはしなくとも)、
こちら側が理論や歴史を知り、作家を知り、知識を得ることも大切なことだと感じたし、
絵本のバックグラウンドに思いを馳せ知ることは、大きな力になると確信した。