お久しぶりです(ごめんなさい9ヶ月ぶり笑)
本当に本当に色んなことがありました。
とことん暗くて辛い体験談になるので、今落ち込みたくない人は読まないこと推奨します。
全て詳細書くと、ギネス申請するの?ってくらい長い文になるのでまず流れを書いてはしょってみると…
→留学先決定♪
→父の体調思わしくない
→祖父他界
→いきなり孤独を感じパートナーとの結婚決定
→ROM(入籍)予定予約
→父が動けなくなり救急車
日本帰国を決め2日後のフライトチケットを買い、次の日にシンガポール中の病院を調べ、PCR検査診断書を24時間以内に出してくれるRaffles HospitalのEmergency Unit?で陰性を叩き出し羽田へ行き、ハイヤーで帰宅しました。
父が動けなくなった理由は前立腺末期ガンでした。
去年の7月は父の不整脈手術の為日本に帰ったんですが、手術後ご飯を普通に食べていたし、車乗ってテニスしていたんですよ。
12月から食欲がどんどん無くなっていると聞いてはいたけど、外来の精密検査で問題が見つからなかったので、父が動けなくなり病院に運ばれるまで誰も末期ガンに気付きませんでした。
そもそも、食欲がなくて食べられないとしても、ベッドから動けなくなるって何?え??
とにかくどったばた隔離を終え、入院している父に会おうと思ったけど、会えないんですね。
コロナってそうなんだな…って。
父との会話は基本看護婦さんを介しました。父はスマホを使う元気もありませんでした。
一度看護師さんに介助してもらい電話できました。恐ろしくゆっくりで掠れた声で、母を頼むと言われました。
そして、やって欲しいことがあるか聞いたら、スマホの解約です。
言葉にならない。
無我夢中で手紙を書き次の日に看護婦さんに渡したら、看護婦さん経由で「愛してる」との言葉をもらいました。
会社に相談し、シンガポール支社でなく日本支社配属に変えてもらいました。シンガポールには簡単に戻れなくなりましたが、最期まで父といようと思ったのです。
ガンは骨や足や頭蓋骨に転移し、PSAという前立腺が作る酵素?は7以上だと高くこれを下げるのが前立腺ガンの肝なんですが、8000あると言われ…病院にはもう出来ることがないと言われました。
父の希望で自宅療養をすることに。
看護師
介護士
介護用品手配人
医者
薬剤師
みんな家に来てくれるそうです。しかも介護保険や医療保険のお陰で負担額も大きくかかりません。日本の医療制度のすごさに震えました。
なにより父に会える!
この方達とミーティングを行い、父に一瞬顔を出してもらいました。8ヶ月ぶりに見た父は骨と皮になっていました。
「痩せただろう?」
と笑って言ってましたけど、車椅子に5分と座っていられない体力だったので、必死で笑い明るい雰囲気を作ろうとしたんでしょうね。
退院時は介護タクシーを使いました。横になったまま乗り、車椅子で家の医療ベッドまで運んでくれる特別なタクシーです。
そして母と私での介護開始です。帰宅早々、父の言っていることが分からなくて焦りました。
耳はよく聞こえて理解しているけど、言葉が上手く出てこないんです。何回もよく分からない単語をしゃべり、途中でおむつ替えが必要なのだと分かりました。
おむつ変えやマッサージや点滴を止めたり、全てが初めての作業でした。
骨盤や頭蓋骨や膝の骨の形が分かるくらい痩せているのに、意外と暑がっており、布団は重いと言っていました。
痩せすぎて目や口は開きっぱなしで、目薬や歯磨きは痰が込み上げて気持ち悪いから嫌だと言われ、滅多にできませんでした。
拡大印刷した家族写真や母の写真を壁に貼ったり、Amazonで海や桜のタペストリーを買い、寝たきりベッドの周りを囲みました。
寝返り打てず同じ場所を見ていることが多いので、天井にうさぎのステッカーを貼ったり、音楽を流しました。
昔飼っていたうさぎにそっくりなぬいぐるみを取り寄せ、誕生日プレゼントにあげました。こんなに笑っている父をみたのは久しぶりでした。
誕生日の次の日ついに全く反応しなくなり、その2日後に母と私でおむつを変え保湿剤を塗ってマッサージしていたら、息を引き取りました。
骨にまで転移していたのに最期まで痛みが出なかったのは幸いですが、本当に苦しく、そして幸せな2週間を送ることができました。
葬儀も終え納骨先を決めました。グリーフペンダントっていう納骨できるペンダントも買いました。あとは仏壇や不動産名義変更など、とにかく色々やることがあります。
留学は引き続き9月からリモートもしくは現地で行います。
入籍は4月予定でしたが、今の仕事をやめる8月末後から留学前の間にできればな…と思っています。
とにかくね…
何が言いたいんだろう笑
本当は何か言いたいことがあったからアメブロを久しぶりに開いたんですけど、言葉が出てきません。
人生って辛いんだな…
とりあえず、なるべく辛くないようこうして生きていきたいです。
出来ることは元気なうちにやる
好きな人にはちゃんと伝える
死に囚われないようにする
何もない日常や食欲があるというような当たり前のことに感謝する
あと、見えないものを信じる気持ちがあればな…と思います。
どうか、つい2ヶ月前他界した祖父と1ヶ月前他界した父が、母を見守ってくれていますように。
あああほんっと日本帰る決断してよかった
長くなってすみません。何が言いたいのか分からん文になりましたが、読んでくれてありがとうございます。