シュールな絵? -88ページ目
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ロベルト バッジオ

わたくし これでも大のスポーツ好き

(もう動けないので観戦ですが。。。)

サッカーは特に好きです。

その中でもケガからの復帰で

フィオレンティーナそしてユベントス。。。

そうです!私にとってロベルト・バッジオはヒーローです。


フランスW杯の時は日本戦もみましたが、

イタリアのバッジオ見たさに 

ダフ屋から買ったほどです。

1万円ですが

(イタリア X フランス戦) 


その後 ミラノに行き 

インテルでロナウドとバッジオが

始めて組んだ試合も見ました。 


実はその前後で 

一大事件が! 

たまたまバッジオの知り合いの方や

マネージャーの弟さんなどと仲良くなる。

 

私が熱烈なファンだと知ると

ロビー(バッジオの愛称)が

引越したばかりでパーティーをするらしく、

欠席者がでた事もあり

親日家のバッジオなら大丈夫という事で
なんと!ご自宅で お食事させて頂きました。 (びっくりです!)


その時に本人からいろんな話を聞かせて頂いたので 

彼の考え方や気持ちはある程度理解しています。


ですから最近のニュースで 

日本の監督もありえる的な記事がありましたが、

多分 記者のでっちあげでしょう。

あまりにも彼の考えと違うので

{昔、JOMOカップで日本にきた時もマネージャーには会いましたが、

国立競技場で TV局のインタビューに答えた時に

通訳が(もしくはTV局?)彼の言いたい事を

省いてたりして怒っていたのを覚えてます。}


実際、やりたいとは思うけど、他にもいろんなこと考えてるでしょうから。

でも、自分の決めた事や思った事は必ずしてきたロビーの事です。

できれば来て欲しいな~~~~。

 



VLADIMIR KUSH ウラジミール・クッシュ(ヴィラデミア・クッシュ)について

KUSH1

Vladimir Kush

ウラジミール・クッシュ ヴィラデミアでも良い


1965年 ソビエトのモスクワ北部に生まれる。

3歳  父の影響により絵を描き始める。
7歳  才能を認められ高等学校と芸術学校の二つに通う。
17歳  難関と言われるモスクワ芸術学校の試験に合格し入学する。
18歳  2年間の兵役義務中では軍事的な絵画の作成をさせられる。
22歳  米国大使館から肖像画の依頼を受けるも、KGBによる監視により作業を断念する。

     この事がきっかけとなり 当時のソ連美術協会にも疑問を感じていた彼は目を海外に向ける。
 
1990年 ドイツでの展示会が成功すると

その時に得たお金で アメリカ ロサンゼルスへ渡る。

しかし、湾岸戦争や社会主義的考えなどの様々なトラブルに合い

寝床をベンチで過ごすこともあった。

その後、創作活動の拠点をハワイに移す。

 

香港マンダリンオリエンタルホテルでの展示会により 生活も安定し始める。

 

そして90年代後半 アメリカ本土でも注目されるようになり

以降 シュール・レアリズムから 彼自身の世界メタフォリカル・レアリズム を確立する。

 

絵の依頼が殺到し始めた為 本格的に個人工房をつくり 版画制作に着手。

現在、アメリカのみならず

世界中で展示会を行っている注目のアーティストである。


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