『牧会者の神学』

Working the Angles The Shape of Pastoral Integrity

(Eugene・H・ピーターソン著 越川弘英訳 日本基督教団出版局、1997)

 

本書は、牧師の本来的な働きとは「聞くこと」であり、

また「神が聖書において、祈りにおいて、そして隣人たちにおいて語る時、

人々がその御言葉を聞きとる援助をすること」であると定義することによって、

牧師の召命を教会運営という宗教的事業経営のごときものに矮小化しようとする

強い圧力に対する解毒剤を提供する。

   (裏表紙のことばより)

この本は、「牧会とは何か?」、 「牧師の最優先すべき働きとは何か?」
といった問いを投げかけている。
それらの問いを通して、 牧師のアイデンティティが再確認される。

この本の原題は「角度を調節する」である。
著者は牧会における大切な3つの行為として
「祈ること」、「聖書を読むこと」、そして「霊的導き」を挙げる。

それら3つを三角形の「角」と考え、 牧会の働きを三角形のモデルで提示している。

そのモデルによると、
牧会とは、「祈り」「聖書」「霊的導き」という三つの角度を調節することによって、
三角形、すなわち牧会のかたちを形成することである。
その際、三角形の3つの辺を、目に見える牧師の働きと考えている。
目に見える牧師の働きとは、説教、教育、事務的働きである。
三つの角度は目に見えてこないが、実は非常に大切な土台である。

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アメリカの牧師たちは「会堂経営者」の一群に変容してしまった。彼らが経営するのは「教会」という名の店である。牧師は経営者感覚、すなわちどうしたら顧客を喜ばせることができるか、どうしたら顧客を、道路沿いにある競争相手の店から自分の店へ引き寄せることができるか、どうしたら顧客がより多くの金を落としてくれるか……、そうした経営者的な感覚に満ちている。

 ある者たちは、きわめて優秀な「経営者」である……しかしそれはあくまで「商店経営」にすぎない。……途方もなく大勢の会衆の存在はすばらしいことである。喜ばしいことである。しかしほとんどの信仰共同体が必要としているのは若干の聖人の存在なのである。……「成功した教会」など存在しないという事実を教会は教えている。存在するのは、世界中の町や村で、毎週毎週、神の前に集う罪人たちの集い(がある)にすぎない。