私の中で彼は尊敬もしていたが、嫌悪する存在であった。なぜなら、感情のコントロールのできない施設長だったからである。よく介護職員は意味不明な事柄で怒鳴られ根拠のないフラストレーションを抱えた。そのような人間が上にいるという事実を受容できないものは退職して新たな介護施設へと旅立っていった。
 彼の尊敬する点は仕事が早くまるで踊るように仕事をこなすことだった。そのフロウが自分にはなかったため、よくロールモデルとしてそのシステムを盗ませてもらった。そんな彼が利用者の金を盗んでいた。という、情報が流れて職員たちはその事実に驚愕とともに、まぁ彼ならやりかねないなと思った。私は彼も悪いが彼を施設長にした会社が最も悪だと思った。実際、会社は彼のことを最後まで守っていた。日本は資本主義ゆえに成果というものを一番優先するが、それは数字的な成果であって、目で見えない成果というものをもっと重要事項すべきだと思った。たとえば、職員から慕われているか、退職者は少ないか、利用者様からの評判は良いか、など列挙すれば多々出てくるがそれらを成果対象にしなかったために起こった事件だと思う。つまり、資本主義の生んだ悲劇なのだと思う。
 同僚たちは笑いながら会社を揶揄して彼を馬鹿にした。きっと仕事をしながら彼らの頭の中は会議で大層な事を言われていたが、結局は犯罪者だったのか、と推敲していただろう。そこから施設の空気は大きく変容した。感情に支配された施設から冷静に常識の通用する通常の施設へと。彼の存在を墓に埋めて墓標を背中に介護職員は前進を始めた。
 まず、執り行ったのは。

〈続く〉