やっと、インターネット復旧です。心配して連絡をくれたお友達の皆様、本当にありがとう。
心配の電話を頂いて、とても勇気がわいてきました。
有難く、涙があふれてきます。現在も余震が続いていますが大丈夫です。
11日の午後2時半過ぎの地震発生、岩手県、内陸の南にいる私は、訪問介護で独居の女性宅を車で出たところでした。信号待ちで弱い揺れ、ずいぶん風が強いとその時は思いました。赤信号から青信号に変わり、前にいた車両が走り出しました。
私も続いて発進し交差点を過ぎたところで、揺れがひどくなり、強風ではなく地震だと気が付き停車。
アスファルトの地面が大きく波打ち、まるでゴム製のように揺れる電柱が折れて車に落ちるのではないか、との恐怖心でいっぱいの数分でした。
長い揺れに、船酔いのような気分になりながらも、先ほど出てきた利用者の女性が心配でたまりませんでした。
彼女は足腰に慢性的な痛みを感じており、歩くこともままならないのです。
やっと揺れが収まり、信号が停止しているなか、他の車両が停車する街を走り抜け、利用者様のお宅へ。
玄関の外壁がはがれ、落ちておりました。
玄関を開けると、そこには這って出てきた利用者様が。
「○さん!大丈夫?!」
声をかけると、彼女は気丈にも何ともない、と答え、私の介助で外へ避難。
断続的に大きな揺れが襲う中、外へ出ましたが雪が降り、冷気が強風でさらに冷やされ、手足の霜焼けが悪化している彼女の体力を奪っていきます。普段気丈な、彼女の目には涙が、「戻ってきてくれて、ありがとう」
彼女は何度も、何度も、私の手を握り、頭を下げていました。
揺れが収まった中、玄関へもどり、寒さ対策をし、次の利用者様へ向かいました。
連れて帰りたい。一人にはしたくない。
そんな気持ちでいっぱいでしたが、その時はまだ、今回の地震はそれほど深刻だとは思わないでいました。
その理由は、数日前の地震と、普段から地震が多いので変に慣れてしまっていたからだと思います。
ぐらぐら来ても「ああ、またか」位にしか思わなくなっていたのです。
多少なりとも大きな地震を経験しているのも妙な過信へつながっていたのだと思います。
だから、信号が機能しなくても、数時間もすれば元に戻るだろう、と思う程度でしたが。
他の利用者様の安否確認に走り回っている間、通り過ぎるコンビニエンスストアに長蛇の列。
ガソリンスタンドやスーパーを始め商店は軒並み閉店。
幸いにも、利用者様で怪我人は居ないことが分かり、一安心したのが日が暮れかけた夕方。
時間がたつにつれ、事態の深刻さを理解。
コンビニや商店では電池、カセットコンロ、カセットガス、電灯、カップラーメン、インスタント食品、他の食料。
はもう手に入らない状態でした。
地域では大規模な停電。私の自宅では水、ガスは出ましたが、地域によってはライフラインが全て断たれている場所も多く。
車のライトだけで走る町の中は異様な雰囲気でした。民家から見える明かりも、街灯も、信号も、ネオンの看板も、全てが暗闇に紛れ、静寂に包まれています。
深夜、大きな幹線道路野交差点には警察も見当たらず、信号も機能停止したため、ほぼ無法地帯と化していました。
国道は横断がかなり危険でした。法定速度50~60Kの道路を100K以上で走り抜ける車の群れ。
国道に関しては譲り合いなどどこ吹く風、我先にと車は通り過ぎていきます。
横断中の車が高速で走り抜ける車に接触した鈍く、激しい金属音があちらこちらで聞え、パトカー、救急車の音が絶えませんでした。
スタンドが機能しないため、一時は緊急車両の燃料不足が深刻に。
我が家の夜は家にあったアロマキャンドルをともし、過ごしました。数個しかなかったため、これがなくなったらどうしよう、と思いながら過ごしました。
食料は小さな商店街の店舗から十分ではなくとも、なんとか得ることができました。
手動で動かす防災ラジオから、津波、沿岸での状況を聞きながら、これからどうなるのか不安でいっぱいの夜。携帯電話も圏外になり一切通じません。
夜通し、親子、兄弟、夫婦、親戚親類、同僚との連絡が付かない、聞いていたらラジオ局へメールするように、との安否を確認する人たちの切迫したメッセージがラジオから流れていました。
今ようやく、ライフラインが復旧し始めています。
ネットもつい先ほど復旧しました。
仙台へ旅行中の友人一人と連絡が取れません。沿岸地域にいなければ良いのですが・・・。心配でなりません。
友人の実家があった場所が(仙台)がれきの山になっております。
連絡が一切とれていません。
彼の勤務先の本社も、岩手県の釜石市にあり、連絡が取れていません。
テレビで映る惨劇の場は、旅行や仕事で何度も訪れたことがある場所ばかりです。
胸が痛みます。心臓が少々弱い私は映像を観るたびに動悸がします。
内陸地方は食料等の在庫が少なくなり心配です。
私の勤める福祉法人の一施設では、デイケアを利用される独居の方や入居者の方が一階へ集められ、ベッドを寄せ合い過ごしています。
今現在、電気なし、水出ていません。
食料は緊急用のものを(カップめんのようなもの)12日の朝まで、それ以降は缶詰を食べて過ごすそうです。
未だ、食料が届いていません。
高速道路も通れないため、物資の供給が途絶え、沿岸地域へ援助が集中すことを予想すると、今ある分がなくなれば今よりも混乱は大きくなると思われます。
我が家ではプロパンガスですが、ちょうど交換時期に被災したため、ガスが尽きてしまえばおそらく止まると思われます。
深刻なのは移動に必要な燃料です。
独居の方の場所に行きたいのに、燃料がなく車を出せません。
ガソリンスタンドでは緊急車両のみに給油しているところ。一般に販売するスタンドは(一車両10L~20Lのみ)し2~3㎞の渋滞。ほか売り切れ閉店しているスタンド。の3種類です。
田舎で地域が広いため、車で片道30分かけていくお宅が殆どです。移動距離が多く、通常ガソリンが満タンでも5日ほどしか持たないのです。
今日、利用者様宅へ行くためガソリンを少しでも分けてもらおうと、数か所回りましたが、どこも余裕がなく、身分証明書を提示し懇願しましたが、福祉というだけでは緊急車両に該当しないため分けていただけませんでした。
沿岸地域のコンビナートは内陸への燃料の供給地点です。そこが壊滅状態にあるため、内陸には現在ある分の燃料が尽きてしまえば、身動きがとれません。
エネオスやコスモ石油うのスタンドの方からも、供給地が壊滅しているため、燃料が入荷する予定は現在のところ一切なしと言われてしまいました。
電気が復旧しても燃料がないため、一般の市民も生活が立ち行かない状態です。仕事、生活がままなりません。車両での移動を必要とするような企業等は機能していないと思われます。
現在利用者様はご家族が居る場合等、訪問は控えています。が独居で、親戚親類の居ない方。子供たちが他界してしまっている方、半身まひ、言語障害がある方もいらっしゃいます。食事は作れません。調理等の介助なしでは食事ができないです。また食料も少ないです。
ライフラインが復旧していない山奥では、町の中心部より(作業が手つかず、世帯数が少ないせいかもしれません)飢えと寒さに耐えている方もいらっしゃいます。心配でなりません、しかし燃料がありません。
甚大な被害のある沿岸地域。先に記したように行方不明な友人が心配です。亡くなった方にも心が痛みます。しかし、報道されている以外の地域でも助けが必要な方がいらっしゃいます。
沿岸の地域で被災された方、心よりお見舞い申し上げます。亡くなられた住民の皆様、ご冥福をお祈り申し上げます。
救助中亡くなられた消防、自衛隊の皆様、本当に本当にお疲れさまでした。。。ご冥福をお祈り申し上げます。そして今原発で被爆の危険を顧みず作業に当たられている皆様には頭が下がる思いでいっぱいです。。。。
どうか、どうか御無事で、待っている人たちの元へ帰れます様に。
今私にできることは何でしょうか。
そればかり考えています。
長くなりました。
この大変な状況を、乗り越えていけるよう、力を合わせ、助け合っていきたいです。