岩手県の盛岡市で活動している団体です。


一人一人の力は小さくても、集まればきっと大きな力になります。


勇気を出して、私も微力ながら、ご協力させていただくことになりました。


近郊にお住まいの方、遠方の方も是非↓をご覧くださいませ。


http://sviwate.wordpress.com/


日本中から、そして世界中から様々な支援の手が差し伸べられています。


今まで、被災地の人間としての立場になったことがなく、どちらかと言えば微力ながら、募金や支援物資などで

支援する立場にあった私。


被災地に該当するとはいえ、被害と言えば物資的なものが多く、沿岸地域や福島県の原発問題に直面されている方にすれば、深刻なものではないと思っています。


それでも、小さなことでも、ほんの些細なことでも、今まで気が付かなかった人のありがたさを身にしみて感じています。地域を超えて、国を超えて、人種を超えて。会ったことのない様々な人たちの温かい心を感じます。


そして人の強さや、日本人の誇りを改めて感じることができています。


三陸の海産物は私が胸を張って他の地域の友達や県を訪れた知人に紹介でるものでした。


岩手の肥沃な大地、そして三陸の美しさは私の誇り。


当分、友達には岩手の美味しい海の幸をお届けできませんが。


また、胸を張って美味しいものを届けられるように、長期戦となる今回の被災地の皆さんの戦いを、微力ではありますが、私も長期戦で応援したいと思います。









虹を見るためにがんばる、女子ブログ


路面に男性の影が映っています。


彼が写した一枚の写真。


彼が大船渡に行ったとき、現場でかなりの衝撃を受けたそうです。



斜めに線のようなものが何本も見えますよね。


これ、実は電柱の残骸です。


電柱はこうした鉄筋が何本も入っているのですが、周りのコンクリートが全てなくなり、鉄筋がむき出しになってしまうほどの大きな衝撃が、沿岸地域の人々を襲いました。


近くに製材所があり、津波によって流された丸太などが車を粉々にしている写真もありました。現地の人たちの話では、助かった人と、犠牲になった人は本当に紙一重だったそうです。沿岸地域には、昔から三陸大津波の犠牲と、教訓を生かそうと何年も何年も繰り返し語り継がれてきました。



災害の数日前に地元テレビで放映された映像に、高校生が作った大津波のを再現するジオラマで小学生たちが学ぶ姿を、津波が模型のなかで自分たちの家がある場所を飲みこみ、それを驚きの表情で眺める子供たちの顔が忘れられません。


教訓を生かし、犠牲を出さないように語り継がれてきた沿岸地域さえ、今回の甚大な被害を出した津波は、想像すらできない災害だったと思います。私も現地にいたら、助かっていた自信がありません。


高台だから、と避難しなかった方々が、多く犠牲になったそうです。


彼が訪れた場所でも分かっているだけで6人の方の安否が確認できていないそうです。


救助活動から、復興作業へと切り替わった現場では未だがれきの中には沢山の御遺体があると思われ、線の切れた電線、泥、薬品、生ものが腐敗した匂いがたちこめています。


行方の分からない人たちが早く確認され、家族の元へ帰れることを祈っています。





自衛隊の車両を見ました。十数台がつらなり走って行きました。


ナンバーは普通の車両と違うため、何処から来た方たちなのかは知りえませんでしたが。


車に括りつけられた布には「災害」の文字が。沿岸へ向かうと思われます。


縁もゆかりもない方たちですが、彼らの姿がとても頼もしく、誇らしく感じました。


その一方で、怪我のないよう、無事に勤めを終えて待つ人たちの元へ帰宅されるように祈りました。


今日は彼氏が急な仕事のため、大船渡へ行きました。


24時間、交代で、2日間、復旧作業のお手伝いをしています。


大船渡へ行くことになった。


と昼過ぎに電話が入り、家に戻ってから準備をしました。


車の中で寝泊まり、食事は会社よりお弁当を渡され持参。


私はちょっぴりパニックになりました。


まだ余震は続き、また大きな地震が来る可能性が否めないからです。


寒さ対策に、簡易毛布、温かい飲み物をポットに作り、ミネラルウォーター、野菜ジュース、果物、飴やチョコレートなど非常食になりそうなもの。タオル、水がないだろうからお絞り、等など。


その荷物を見た彼。


「多すぎるよ、こんなもの(むいた果物)なんていらない」


私は、せっかく用意したのに・・・そんな言い方ないじゃない!とむくれ。。。


「飲むことも食べることもままならない人たちがいるんだから、俺だけこんなに食べるわけにはいかない、だろ?」


と言われ。


しらないもん!←(精いっぱいの憎まれ口)


と彼に吠えつつも、納得。


復興のお手伝いに赴く彼に、これだけ動揺する私。。


しかし、今現在もっと危険な作業を、危険な場所で、そして相当な覚悟で行う方々がいらっしゃいます。


その方やご家族の方たちのことを考えると、胸が痛みます。。。


そして、どうかご無事で。。待っている人たちの元へ帰れます様に。。


そう願います。


先ほど現地から電話が。


「大船渡へ着いた、すぐ後ろが警察署、目の前までがれきがあって、かろうじて難を逃れたみたいだ」


と色々現地の様子を聞きました。


がれきは道路を確保するためよけただけなので、まだ中には御遺体があるだろう、と現地から説明があったそうです。明日、彼の居る付近へ救助隊が来ることになるらしいです。


今日も冷えそうです。


避難されている方たちにも死者が出ています。せっかく津波から助かり避難できた人たちが、病気の悪化、凍死、餓死なんて現実がとても悲しいです。


どうか一刻も早く、支援の手が届きます様に・・・・。

被災地で、現在混乱が続く中。


壊滅的被害のある被災地の方たちに、何か援助ができないか、考えてしまいます。


私もなにかしたい、でも、現実は自分たちの生活を立て直すことすらままなりません。


遠方のお友達から色々親切にしていただき、「うちにおいで」「何か必要なものがあったら送るから」

等のお言葉まで・・・しょぼん


心配して電話をくれる子、かけ直してくれる子。


本当にありがたいです。


今日、緊急対策本部へ出向き、緊急対策として、仕事用に10Lのガソリン券を頂きました。

緊急車両扱いとして、一度限りの給油券です。これでようやく利用者様に回れます。

でもこれも、どれだけ続けられるのか全く見通しが立っておりません。


ガソリンが給油できない人が増えています。スーパーは殆どものがありません。冷静な対応をしてくれる人たちばかりでいることを、祈るばかりです。治安が悪化しないか不安です。


家族が行方不明、家がない、食べ物がない、等の人たちに比べたらまだ恵まれている私の地域ですが、状況が状況だけに混乱が続き、みな精神的な余裕がありません。


彼と二人、自分たちに何ができるのか話し合いました。


結果、私たちはまだ人のために何かをする物資的な余裕も精神的な余裕もなく。


一番大事なのは、冷静に極力、今までの生活を続けること。


今は、できる限り、仕事をし、自立した生活をすること。

もっと深刻な状況にある人たちが、一刻も早く温かい食事ができるように、家族と再会できるように。


私たちまで援助が必要になるようなことは、避けなくてはならないと思うのです。



今日は、アパートのガスの供給の見通しが立たないことを、個人的にガス会社に確認し、節約が必要だと言うことが分かりました。集合住宅で6本のプロパンガスがありますが、10世帯賄われています。


ガスの交換時期に被災したため、残りはいくらか全く予想できません。


混乱するガス会社から、世帯数、ガス供給の仕組み等聞き出し、同じ共有世帯を一軒一軒、回りました。


被害にあった沿岸の石油コンビナートと一緒で、ガスの供給地も港にあったようです。ガスの供給地も、絶望的だと思われます。韓国などではガスの援助もしてくれるようですが、それがこちらに届くのか、政府からの援助があるのか全く分かりません。


同じ棟に住む住民の方々に、ガスが供給されないこと、もうじきガスがなくなること、いつ供給されるかわからないこと、なくなったら煮炊きすらできなくなることを説明し、理解していただき、協力を求めました。


給湯器での入浴は、極力控えること。最低限の煮炊きで抑えること。


どの道無くなってしまうかもしれませんが、2日使えないのと1カ月使えないのでは不便さが違います。


みんなで節約し、一日でも多くガスを使えるように。


とお話しすると、年代も性別も様々な世帯の皆様が、快く理解を示してくれました。


中には、必要性すら意識していない方が多く、話して初めて「ああ、そうなのか」といった反応が多く見られました。私は一入居者で、管理人ではありませんが。。。


こうなっては、行政や管理会社が何かしてくれるの待っていてはいけないと思うのです。


自分たちの生活を自分たちで何とかしなくてはいけないのです。


援助されるだけでは、いけませんね。


こんなときだからこそ、助け合い、譲り合いの気持ちを忘れないでいたいと思います。






やっと、インターネット復旧です。心配して連絡をくれたお友達の皆様、本当にありがとう。


心配の電話を頂いて、とても勇気がわいてきました。


有難く、涙があふれてきます。現在も余震が続いていますが大丈夫です。


11日の午後2時半過ぎの地震発生、岩手県、内陸の南にいる私は、訪問介護で独居の女性宅を車で出たところでした。信号待ちで弱い揺れ、ずいぶん風が強いとその時は思いました。赤信号から青信号に変わり、前にいた車両が走り出しました。


私も続いて発進し交差点を過ぎたところで、揺れがひどくなり、強風ではなく地震だと気が付き停車。

アスファルトの地面が大きく波打ち、まるでゴム製のように揺れる電柱が折れて車に落ちるのではないか、との恐怖心でいっぱいの数分でした。


長い揺れに、船酔いのような気分になりながらも、先ほど出てきた利用者の女性が心配でたまりませんでした。

彼女は足腰に慢性的な痛みを感じており、歩くこともままならないのです。


やっと揺れが収まり、信号が停止しているなか、他の車両が停車する街を走り抜け、利用者様のお宅へ。


玄関の外壁がはがれ、落ちておりました。


玄関を開けると、そこには這って出てきた利用者様が。


「○さん!大丈夫?!」


声をかけると、彼女は気丈にも何ともない、と答え、私の介助で外へ避難。


断続的に大きな揺れが襲う中、外へ出ましたが雪が降り、冷気が強風でさらに冷やされ、手足の霜焼けが悪化している彼女の体力を奪っていきます。普段気丈な、彼女の目には涙が、「戻ってきてくれて、ありがとう」

彼女は何度も、何度も、私の手を握り、頭を下げていました。


揺れが収まった中、玄関へもどり、寒さ対策をし、次の利用者様へ向かいました。


連れて帰りたい。一人にはしたくない。


そんな気持ちでいっぱいでしたが、その時はまだ、今回の地震はそれほど深刻だとは思わないでいました。


その理由は、数日前の地震と、普段から地震が多いので変に慣れてしまっていたからだと思います。


ぐらぐら来ても「ああ、またか」位にしか思わなくなっていたのです。


多少なりとも大きな地震を経験しているのも妙な過信へつながっていたのだと思います。


だから、信号が機能しなくても、数時間もすれば元に戻るだろう、と思う程度でしたが。


他の利用者様の安否確認に走り回っている間、通り過ぎるコンビニエンスストアに長蛇の列。


ガソリンスタンドやスーパーを始め商店は軒並み閉店。


幸いにも、利用者様で怪我人は居ないことが分かり、一安心したのが日が暮れかけた夕方。


時間がたつにつれ、事態の深刻さを理解。


コンビニや商店では電池、カセットコンロ、カセットガス、電灯、カップラーメン、インスタント食品、他の食料。

はもう手に入らない状態でした。


地域では大規模な停電。私の自宅では水、ガスは出ましたが、地域によってはライフラインが全て断たれている場所も多く。


車のライトだけで走る町の中は異様な雰囲気でした。民家から見える明かりも、街灯も、信号も、ネオンの看板も、全てが暗闇に紛れ、静寂に包まれています。


深夜、大きな幹線道路野交差点には警察も見当たらず、信号も機能停止したため、ほぼ無法地帯と化していました。


国道は横断がかなり危険でした。法定速度50~60Kの道路を100K以上で走り抜ける車の群れ。


国道に関しては譲り合いなどどこ吹く風、我先にと車は通り過ぎていきます。


横断中の車が高速で走り抜ける車に接触した鈍く、激しい金属音があちらこちらで聞え、パトカー、救急車の音が絶えませんでした。


スタンドが機能しないため、一時は緊急車両の燃料不足が深刻に。


我が家の夜は家にあったアロマキャンドルをともし、過ごしました。数個しかなかったため、これがなくなったらどうしよう、と思いながら過ごしました。


食料は小さな商店街の店舗から十分ではなくとも、なんとか得ることができました。


手動で動かす防災ラジオから、津波、沿岸での状況を聞きながら、これからどうなるのか不安でいっぱいの夜。携帯電話も圏外になり一切通じません。


夜通し、親子、兄弟、夫婦、親戚親類、同僚との連絡が付かない、聞いていたらラジオ局へメールするように、との安否を確認する人たちの切迫したメッセージがラジオから流れていました。


今ようやく、ライフラインが復旧し始めています。


ネットもつい先ほど復旧しました。


仙台へ旅行中の友人一人と連絡が取れません。沿岸地域にいなければ良いのですが・・・。心配でなりません。


友人の実家があった場所が(仙台)がれきの山になっております。


連絡が一切とれていません。


彼の勤務先の本社も、岩手県の釜石市にあり、連絡が取れていません。


テレビで映る惨劇の場は、旅行や仕事で何度も訪れたことがある場所ばかりです。


胸が痛みます。心臓が少々弱い私は映像を観るたびに動悸がします。


内陸地方は食料等の在庫が少なくなり心配です。


私の勤める福祉法人の一施設では、デイケアを利用される独居の方や入居者の方が一階へ集められ、ベッドを寄せ合い過ごしています。


今現在、電気なし、水出ていません。


食料は緊急用のものを(カップめんのようなもの)12日の朝まで、それ以降は缶詰を食べて過ごすそうです。

未だ、食料が届いていません。


高速道路も通れないため、物資の供給が途絶え、沿岸地域へ援助が集中すことを予想すると、今ある分がなくなれば今よりも混乱は大きくなると思われます。


我が家ではプロパンガスですが、ちょうど交換時期に被災したため、ガスが尽きてしまえばおそらく止まると思われます。


深刻なのは移動に必要な燃料です。


独居の方の場所に行きたいのに、燃料がなく車を出せません。


ガソリンスタンドでは緊急車両のみに給油しているところ。一般に販売するスタンドは(一車両10L~20Lのみ)し2~3㎞の渋滞。ほか売り切れ閉店しているスタンド。の3種類です。


田舎で地域が広いため、車で片道30分かけていくお宅が殆どです。移動距離が多く、通常ガソリンが満タンでも5日ほどしか持たないのです。


今日、利用者様宅へ行くためガソリンを少しでも分けてもらおうと、数か所回りましたが、どこも余裕がなく、身分証明書を提示し懇願しましたが、福祉というだけでは緊急車両に該当しないため分けていただけませんでした。

沿岸地域のコンビナートは内陸への燃料の供給地点です。そこが壊滅状態にあるため、内陸には現在ある分の燃料が尽きてしまえば、身動きがとれません。

エネオスやコスモ石油うのスタンドの方からも、供給地が壊滅しているため、燃料が入荷する予定は現在のところ一切なしと言われてしまいました。


電気が復旧しても燃料がないため、一般の市民も生活が立ち行かない状態です。仕事、生活がままなりません。車両での移動を必要とするような企業等は機能していないと思われます。


現在利用者様はご家族が居る場合等、訪問は控えています。が独居で、親戚親類の居ない方。子供たちが他界してしまっている方、半身まひ、言語障害がある方もいらっしゃいます。食事は作れません。調理等の介助なしでは食事ができないです。また食料も少ないです。


ライフラインが復旧していない山奥では、町の中心部より(作業が手つかず、世帯数が少ないせいかもしれません)飢えと寒さに耐えている方もいらっしゃいます。心配でなりません、しかし燃料がありません。



甚大な被害のある沿岸地域。先に記したように行方不明な友人が心配です。亡くなった方にも心が痛みます。しかし、報道されている以外の地域でも助けが必要な方がいらっしゃいます。


沿岸の地域で被災された方、心よりお見舞い申し上げます。亡くなられた住民の皆様、ご冥福をお祈り申し上げます。


救助中亡くなられた消防、自衛隊の皆様、本当に本当にお疲れさまでした。。。ご冥福をお祈り申し上げます。そして今原発で被爆の危険を顧みず作業に当たられている皆様には頭が下がる思いでいっぱいです。。。。


どうか、どうか御無事で、待っている人たちの元へ帰れます様に。


今私にできることは何でしょうか。


そればかり考えています。


長くなりました。


この大変な状況を、乗り越えていけるよう、力を合わせ、助け合っていきたいです。