わたしの「夫婦は対等じゃないの?」の発言に

「(なぜ)俺とお前が対等だと思うの?」と返されたことがあります。

 

天と地ほども差があるけど、ぐらいのい言いっぷりだったので、その後何も話せませんでした(笑)

 

 

しかし夫は、わたしの意見・行動をとりあえず全部否定した上で、一緒にやろうとします。

 

なぜなんだと思っていたら、このような気持ちだったんですね。

 

もし
ターゲットが
一人前の人間の様に
独立した人間の言動をした場合は

モラハラ夫から見ると
それはむしろ、

このターゲットの方が
特権意識を持っているかのように映り


「何様だと思っているんだ!!」

という気持ちになります。

 

 

〜中略〜

 

============
本来、相手には
一人前の人権(自律性)は
無いべきなのに

社会からは(不当に)
それが認められてしまっている
============

という不条理?を
憤っている感じです。

 
わたしが「おかしいと言われるし」「わかってないと言われるし」「わたしの意見は通らないから」「あなたが好きにやればいい」とやる気を見せないと、
 

「なんだその態度は」

「不貞腐れてる」

「大人気ない」

 

と言います。

 

とはいえ、このままだと放置で何も進まなくなるのを私が気にしてしまって、しばらくしてから、わたしから『買ってもいい?やってもいい?行ってもいい?契約していい?などのお伺いをたてる感じ』になります。

 

 

夫の思うがまま....

 

数年前の長男0歳のクリスマスの日、夫は昼過ぎまで起きてこないし(起こすとキレる)ので、触れないでおき、抱っこ紐で2人で地下鉄でショッピングセンターへ行ました。

 

長男にクリスマスツリーなどを見せ、小さなぬいぐるみを買ってあげて、ショッピングセンター内の機関車に乗って帰ってきました。

 

 

結婚してから、誕生日・結婚記念日・クリスマス・正月などイベントは、何もありませんでした。

 

なんかしないのかと聞いたら、俺がどうでもいいと思うから何もしないという返事でした。

 

 

それを真に受け、そういう人なんだと夫を刺激したくなかったので、その後わたしは、結婚記念日と夫の誕生日をスルー。わたしが独身の時と同じレベルで、自分の誕生日に自分の分のカットケーキ買って静かに食べていたのですが、

 

「自分の誕生日は祝うんだな〜」とバカに?嫌味?っぽく言われ...

 

 

次からは、わたしは夫に相談することはなく、自ら自主的に「夫さん誕生日おめでとう!」と書かれたホールケーキを予約するようになります。

 

 

モラハラ夫は
ターゲットに対して

自分の一部として
何かを要求するだけではなく、

むしろ、
ターゲット自身が
モラハラ夫が何を望むかを
自ら察知するべきだと考えます。
(自分の一部だから)

そして、
その察知した望みを
ターゲット自身が
自分の事のように自主的に叶えたいと思い、
(自分の一部だから)

そして、
その望みを
実際に叶えるところまでを
当然だと考えます。
(自分の一部だから)


その上で、

それについて
ターゲットが

「私自身がこれを
 叶えたかったから叶えたけど、
 叶えて良かった?」


というふうに、
モラハラ夫に
お伺いを立てることを望みます。

 

 

 

まさに夫の思うがまま...

 

会話しているとき、夫はわたしの表情を意外と見ていて、わたしを見て「怒ったでしょ」と言いますが、謝ることはしません。

 

「怒ったでしょ」は、申し訳ないとか心配と言ったニュアンスはなく、からかうような少しバカにしたような格下の相手に対する態度です。

 

 

わたしが、そうじゃないよと説明しようとしても

 

「いーや絶対怒ってた」(私の気持ちをなぜお前が断言するのか?)

「ほら怒ってる!」(怒らせようとしてる?)

と、変な方向に持っていかれるので、

 

埒があかず、かつ、地雷が多い夫に説明するのも面倒で、そうだねと夫にノってしまうことが度々にありました。

 

なぜこうなるのかわからなかったのですが、多分マインドコントロールのジャブだったのかなと思います。

 

 

こちらの記事を見て考えました。

相手の気持ちを察しないと
マインドコントロールはできないので、

モラハラ夫に
相手の気持ちを察する能力があるのは
当然のことです。

 

〜中略〜

 

「相手の感情は理解できる」のに、
そこへの「共感」はしない

という、

他人に精神的な虐待を
やって当たり前な体質に
なってしまうわけです。

 

インターネットの漫画広告ってありますよね。そこに最近出てくる、女性向け漫画が、王に見染められた身分の低い私って感じの内容だったのですが、

 

こういうのってハーレクインロマンスで、わたしが子供の頃からある王道パターン。今でも人気あるんですね。

 

ハーレクインロマンスのパターンはこちらが参考になります。

 


ハレぺディア

ハーレクインヒーローと言えば億万長者!と言っても良いくらい、ハーレクインには数多くの億万長者ヒーローが登場します。

 

「ヒロインがリッチな男性と出会い幸せな結婚をする物語」

 

やっぱ王道!

 

こちらは、友達に喫茶店でおもしろく説明してもらった感覚になる記事爆  笑

 

メタ認知(心理学用語)ってご存知でしょうか?発達・教育心理学でよく出てくる言葉です。Facebookが改名した社名のアレです。

 

「客観的な自己」「もうひとりの自分」などと形容されるように、現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力

 

わかりやすく言うと、第三者目線で自分の考えや行動を見る能力です。

 

 

発達障害(ASD、ADHA、LDなど学習障害)児のメタ認知が低い傾向について、色々学術的研究がされています。

 

[PDF] 発達障がい児・者の認知発達: 発達障がいにおけるメタ認知とその支援についてhttps://ushimane.repo.nii.ac.jp/record/1877/files/MCNB201903003.pdf

 

こちらのレポートをかいつまんで説明すると、

 

・発達障がい児・者のプランニングやモニタリングなどメタ認知は十分に機能していないことが認められた。

 

・メタ認知の低下によりコミュニケーション・スキル の低下など社会制御や学力や学習にも影響している

 

という事実があり、それついての研究云々のあとの結論が以下

 

(1) 発達障がい児者は、プランニングやモニタリングなど が十分に機能していない。

 

(2) メタ認知の支援として、自己モニタリ ング指導、ASD 児の自己評価にフィードバックを与えることが ASD 児のメタ認知にとって有効である。

 

    

”定型発達児に比べ ASD 児は自分の成績を過大に評価する” ので ”メタ認知が弱め”、しかし、適切にフィードバックを与えればメタ認知が育つらしいとのこと。

 

 

ずっとこのままだー(絶望)ではないのですね。

 

フィードバックはビジネスの場だと指摘や評価のような意味合いで使われますが、要は相手の行動に対しての反応(感想)です。

 

ここで相手にネガティブ・フィールドバックすると「ダメ出し」になります

 

 

こんな感じでしょうか、例えばASD 児が、60点のテストで「ボク結構頭いいね!」と喜んでいたとき。

 

<よくないフィードバック>

「60点だぞ!現実がわかってないな!」と怒鳴る。

 

これだけだと、メタ認知の弱さを責めているだけなので、”怒られただけで終了”ですね。

 

 

<よいフィードバック>

「すごいね!」(認める、受容)

「クラスで一番高い点数は100点で、平均点は80点だったんだって」(事実)

 

アレレ?と、本人で認知を変えられるようなフィードバック!

 

 

 

 

   

ここでわたしの話になりますが、

わたし自身、30代になっても、メタ認知ができない人間でした。

 

 

「自分の行動を第三者目線で見るのは大事」ってのは、知識としてはありましたが、家族がアレだったので、自分がこう思って良いのかがわからない。

 

安心して話せる友人もおらず、世間一般的(常識的)な意見はネットの書き込みを参考にするヤツでした。

要は、仕事や子育ての問題、夫から言われた言葉の「アリかナシ」を、ネットの誰かさん書き込みで判断していたのです。

 

わたしの場合、自ら発言はせず、似たような意見を探して回答を見るタイプです。わたしの考えっておかしくないよね?って自信をもちたかったのだと思います。

 

Q&Aサイトや知恵袋をROMるのが日常(書込は一切行わない)でしたが、そのうち、忙しくてサイトを見れない時期がありました。

 

それでも、こう思うのは変かな?という出来事は起こります。でも知恵袋見る時間ない...

 

    
そうこうしてるうちに、知恵袋の見過ぎか、頭の中で一人知恵袋をしていたのです

 

質問者:〇〇でしょうか?

回答者:それは〜〜〜ではないでしょうか。なぜなら...

 

回答者は「わたしだけど、わたしじゃない人(誰)」

 

一人知恵袋は、はじめて自分の意見を自分で客観的に見ることができた体験(30代w)でした。これは、今でも役に立っています。

 

その後、発達障害の息子をきっかけに大学で学ぶ中「メタ認知」という言葉を知り、「このこと(一人知恵袋)か?」と考えるようになりました。

今までの私の誕生日と結婚記念日は全てスルーしてきた夫なので、わたしもなんの用意してませんでした。喧嘩の原因はそれではありません。普段の些細なことです。

 

売り言葉に買い言葉で、わたしが「もう一緒に生活できない出ていく」と言ったのですが、もし離婚となった時に、親権で不利にならないよう(育児放棄の証拠とか取られないよう)子供に夕飯を食べさていたら、「俺が出ていく」と夫が出て行きました。

 

夜は久々に高校時代の友人と長電話できたし、Netflixで映画鑑賞もできて、いい結婚記念日でした。

わたしの父は『パターナリズム』が強い人でした。

 

毎年正月になると、「神棚(神)(注:新築の家に置くただの神棚)を拝んでもいいことは何もない、稼いでくるお父さん(俺)拝むんだ」と小1の娘に言っていました。わたしは、正月にたくさんの人が神社に行くのが不思議に感じていましたでした。

 


 

 

 

相手が子どもで自己決定する能力がない場合、親が意思決定するのがOKと認められる場合もありますよね(=弱いパターナリズム)


しかし一般的に「パターナリズム=モラハラ」、「パターナリズム=老害」という記事も多くみられることから、少なくとも心身の成熟した成人に対する過剰な介入は、「余計なお節介」であるとして批判されることが多いです。

 

 

 

しかし、元々のパターナリズムには”温情主義”が含まれていて、「あなたのためよ」が根底にあります。家父長=男性→パターナリズムという単純なものではなく、性別は関係あありません。

 

 

権力や能力のある者が弱い者に対して「あなたのため」として干渉ないし温情的に扱うことをいう。

 

法哲学の分野では、Dworkin,G.( ドゥオーキン)がパターナリズムを「強制される者の福利、善、幸福、必要、利益あるいは価値になるという理由だけで正当化される当該者に対する自由な行為への干渉」と定義

 

 

子連れ心中する親は、心神喪失状態だったとは思いますが、パターナリズム的な思考が強い人だったのかなと思います。

 

 

 

2歳下の妹は、わたしが年長の頃からすでに「めんどくさい奴」という感情を持つ存在でした。

 

友達と遊びに行こうとすると、決まって「おねーちゃん、おいてかないで〜まってー」

と、わたしの友人と遊んでもついてこれないのに、ついてこようとする。妹のことを気にしないで遊びたいのに、来ると面倒見ざるを得ない。

 

姉としての働きを期待していた母から、妹のことで怒られる事が多く「おねえちゃんって損」と思っていました。うまくお姉ちゃんらしくできれば、母とも妹ともよい関係を作れたと思いますが、「めんどくさい」と思っていました。

 

 

   

 

 

小1でになる頃には、すでにお互いに掴みかかって腕を噛んだり、鼻血を出すぐらいの喧嘩をしていました。(自分の子供は仲が良いので、とても信じられない...)

 
歳の差でわたしが勝つけど、当然母に怒られて、ますます妹が嫌いになるような状況でした。

 

小学生になると、わたしは父への反抗的な態度から家を追い出されたりしていたので、妹は私を「家庭に問題を起こす奴」と思っていたと思います。

 

 

   

 

親に対するスタンスが違う(姉のわたし:反抗的、妹:逆らわない)ので、お互いの気持ちを言い合ってわかりあうなど交流もありませんでした。

 

それでも、同じ家に住んでいて同世代なので、同じおもちゃで遊んだり同じTV番組で笑う、ぐらいの関係はありました。

 

あるとき、漫画やアニメ・仲良い友人姉妹から、変な影響を受けて”お姉ちゃん”ぽくアドバイスしてみたりしたことがあります(笑)

 

元々信頼関係もない上、マウントっぽい言い方だったので、妹は「えらい人に言われるならともかく、姉みたいな(人間的に優れてない)人にそんなこと言われたくない」ってキレて怒ってました。。余計なことした・・・

 

   

 

大学進学で家を出たので年数回しか合わなくなったのと、20代になったこともあり、一瞬仲が良くなった時期もありました。

 

20代、わたしで東京で働いていて、妹は基本的に田舎から出ていません。たまに会えば、都会のマウント風吹かせる姉。

 

わたしは、結婚もせずに働いていることを親から否定的にとられていたので、せめて妹にマウントとりたかったのだと思います。普通に嫌なヤツです。妹はいくつかのバイトをして、20代で結婚しました。わたしは30代半ばまで独身で仕事をしていました。
 
   
 

40代の今の関係性は、ここ数年直接話しをしておらず、母を通して近況を聞くぐらい。今更、お互いの人生に必要になる感じもしないし、親の葬式で話はすると思いますが、ひっそりとこのままかな思っています。

実家の父とは疎遠です。

親になって親に感謝と聞くけど、親になって「よく子どもにそんなことできたね」って思う事の方が多いからです(笑)

 


昭和の親父なので、平日は帰宅が遅く、専業主婦母のワンオペ子育て。その分、週末に父親が朝から夕方まで勉強を見くれてました。父は学歴劣等感を持っており、長子のに多少期待があったのでしょう。父の教育は、こどもしてはいけないという内容すぎて、反面教師です。


 

 

 劣った存在だと教えてあげる

 

  • 「こんなこともできないのか」「(○○ができないなんて)劣ってる」「だらしない」と言う
  • 子どもが嫌がったり否定すると「本当のことを言って何が悪い」と黙らせる
 

例えば家で物を探しているときに「◯◯しらない?ないんだよね」と聞くと「だらしないからだ」と一言、「そんな風に言わなくても...」「本当のことを言って何が悪い」(一緒に探すなどはしない)

 

 

 

 

 父の考えを正しく理解できているか確認する

 

父の正しい考えを、図に書いて説明する。

  • 子どもがわかったようなこと(=父が望む答え)を言えば正解!(褒める)
  • そうじゃないと「考えてから話せ、適当に話すな」と考え直しさせる。
  • 理解が悪く反抗的なら「誰のおかげで生活できるんだ」と追い出す。
 
適当に考えたわけではありませんが「適当に話すな、考えて話せ」と言われるので、もはや父の考えていることを当てるゲームw

 

 

 

 誰のおかげで生活できているのか?

 

口答えか反抗的な態度だった場合、首根っこつかんで追い出されていました。

 

靴なしでどこへも行けず、マンションのアルコーブに、2〜6時間ぐらい体操座り。アルコーブにドアつけて絨毯引いて、自分だけの部屋にする妄想ですごしていました。

 

小5まで週1ぐらいはこんな感じでした。

 

 
出ていけ出ていけ言われ何回も言われてたけど、お金がないので、小2〜3時点で「子どもはお金がなくて辛い、大人になりたい、早く家を出たい」と夜に布団の中で泣く子どもでした(今、自分のこどもを育てていると不憫で泣ける)
 
色々反省しきゃいけなかったのでしょうが、「靴下で外歩けないから、靴欲しかった...」と後悔た記憶しか残ってませんw 

 

 

 

 

 アルコールは偉大

 

毎晩飲酒。

  • 飲んでる時は別人、すごぶる機嫌がいい。
  • 欲しいものは、飲んでるときに頼めば大概OK
 

こちらの話を通すには、飲んでる時を狙うしかないと、小学生ですでに学んでいました。

 

「要領がいい」と母から言われることが多く、自分で要領がよいと思ったことはないので、なぜか全くわからなかったのですが、酒を飲んでいる父をおだてて頼むのが上手だったからかもしれません。

 

 

 殴る蹴る壊す

昭和という時代もあるし、仕方ないと思っています。

 

 

「お前は人を怒らせる名人だな」

 

とよく言われていたので、自分がいけないはと思いつつも、なんでわたしのせいなの?お父さんが怒らなきゃいいだけじゃないの?と思ったりもしました。

 

 
雑誌の付録の工作を壊された時があって、宝物ってわけじゃけど、大泣きしたんですよね。壊されたことが悲しいのではく、父はわたしのものを壊す人なんだってのが、辛かったんだと思います。心の底から、小学校低学年の娘によくそんなことができたなと思います。
 
父は、お金はだしてくれました。しかし、期待に添えず、実にもならず、本当に申し訳ないと思っています。親になって教育費を出してくれたことだけは、感謝しています。

 

    

お母さんが味方なってくれた、兄弟が助けてくれたという、展開はありません。都合のいい彼氏も出てきません。

モラハラ夫と結婚しましたw

 

メンタル話です。長男ではなく、勉強を見る母側の。

 

年長から勉強を見ていますが、本格的に見るようになったのは小2からです。療育や塾が合わないとなって、いよいよ自分で見なければいけない(他はあてにならない、責任感)ではじめました。ネガティブメンタルからのスタートです。夫は、子どもの勉強を見るたびに怒鳴ってしまうので、自然ともう見ない姿勢になっていました。わたしもそれを了承していました。

 

小2で小1の勉強ができておらず、学校からテストに合格できていないと連絡があって、家庭学習するように言われて焦っていました。この頃は、平日は1時間、休日は3〜4時間ほど勉強したこともありました。長男はわたしの期待に応えたい子なので、嫌だけど大好きな母に付き合う、という感覚だったような気がします。

 

長男はついこの間やったこともすっかり忘れてることも多く、同じことを何回も怒らずに説明しなければなりません。毎日やっても現在の学年の問題は解けないし、追いつけない。無駄なことをさせているかも、と感じていてしんどかったです。夫のことがあるので、絶対怒ってはいけないと堪えていたので、ストレスは半端なく、早死したいと思うぐらいでした。

 

ある日の休日も、何回も根気よく教えていました。なのに、わかんないを連発する長男にイライラ...ふっとプチっときて怒りがおさまらなくなり、ボールペンで長男の頭を何回か叩いてしまいました。そして、うぉーと図鑑を床に投げつけ、大きな音が出たとこで、長男が大号泣。別室にいた夫にやめろ!と怒鳴られて我に帰りました。

 

もう「何度も根気よく教えるのはやめよう」とだけ思いました。長男にも心から謝罪しました。それからは、できないと言ったら「できる問題だけやろう」に変えました。もう教えるのが心底しんどかったのです。

 

数ヶ月後、過去にできないと言っていた問題(↑でキレた問題ではない)を、長男が一人で解けるということが起こりました。半年以上前に教えたことがあったけど、理解できずに後回しになってた問題で、スルッと解いていました。それを見て、この子自身のわかる時期があるのかも、と思うようになりました。


今も、できないと言った時は「できる問題だけやろう」としています。それでも「ボクやってみる」と言う時がある(進歩)ので、挑戦させたり、1回だけ教えたりするのですが、それでもできなかったら、できる問題だけします。

 

今はわからなくても、来年ぐらいにはわかってくれれば...と思えるようになったので、だいぶストレスに感じなくなりました。