約1週間ほど、更新をおやすみしておりました。

本当に突然の事だった為、心の準備も何もない状態で、義父とお別れをしました。


たまたま義父は「QOLが下がってしょうがないから」と痔の治療の為に入院し「明日の昼に退院だから、迎えよろしくな」と週末はお見舞いなどがNGだったこともあり、義母と電話でやり取りをした直後、院内の洗面室で倒れました。


大動脈解離というものでした。


何か予兆があるわけでもない

防ぎようもない

年齢も性別も体型も関係ない

そういうものだと説明を受けました。


大きな持病などもなく、内科的に治療や闘病をしていたわけではなく、本当に数日で済む入院の予定でしたから、一報が入った時は義母が何を言っているのか理解できないくらいでした。

高齢ではあるものの、電気関係の仕事をしており、入院も一つ現場が終わったため、次の現場に入るまでに取れた時間でのものでした。


最終の新幹線に飛び乗って、家主の地元に着くまでの約1時間が、今まで生きてきて1番長い1時間に感じました。

(祖母が急逝した時に飛び乗った新幹線の約6時間は、2〜3時間くらいにしか感じなかったから、人間って不思議です)


深夜、セレモニーホールで10ヶ月ぶりに会った義父は、居間でテレビ観ながらうたた寝してる時と変わらない。変わらなさすぎる。

なのに、もう起きてくれない。

義父との再会がこんな風になるなんて思ってもなかった。

そこからは、延々と続く打ち合わせを終えると、通夜、本葬儀、四十九日法要、納骨。

私たちや義妹家族が実家地元を離れているということもあり、一気に進んでしまいます。

涙は出続けるのに、悲しむ暇がないんです。


11月とは思えない、笑っちゃうくらいに暑い、ほぼ夏日の気温の中、雄大な富士山と、振り返ったら駿河湾という、観光客が大喜びしそうな景色の中での最期のお別れでした。


あまりに急で、家を出るにしても何を持ったか定かではないような状態でしたから、家の中も勿論、夕飯を終えた直後のままです。

更には、義父亡き後の問い合わせや手続きにおいて、私が出来ることが無さすぎるんです。

土地勘もない、乗れる車もない、あくまでも嫁は他人という日本の制度。

なので私は一足先に自宅に戻ることになり、昨夜帰宅しました。


まだ暫くは落ち着いていつもの生活に戻るというのは難しいけど、これから少しずつ、戻していきたいなと思います。


更新をお休みしている間も、沢山の方がここに遊びにきてくださりありがとうございました。