ネガティブになる、

落ち込む、なんだか暗くなってくる。

その向きにも二つの方向がある。

 

前向きなネガティブと後ろ向きなネガティブと

 

前向きなネガティブは、

この先にみえるものを見すえたうえで落ち込んでいる。

落ち込むときのタネが未来と今をみつめてのもの。

 

後ろ向きなネガティブは、

未来のことにむかうための”問題”を過去に見て。

過去の内容について落ち込む。

 

その違いは、氣のうごいている向き

前向きなネガティブから発せられる氣は一点にぎゅうっと集まるためのもの。

超新星がおこるときのように、エネルギーがぎゅぎゅっと集まるために起こるネガティブ。

 

後ろ向きのネガティブから発せられる氣は、一点にぎゅうっと集まり、裏返っていくように世界の中へと沈んでいく。

前向きでも、後ろ向きでも。良いも悪いもない

前向き、後ろ向き。ただ、向きが違うだけ。

そこには、良いも悪いもなく。

 

今、このときに。そんな状態が起きているというだけ。

それぞれのときに応じて、必要なネガティブがやって来ているだけのこと。

 

やってきたネガティブにさらされている長さは

人によっても、

みつめておきたいモノコトによっても違うけれども。

 

起きているネガティブ、感じてあるネガティブは

じぶんに必要があって起きているモノコト。

 

そうとは知っていたとしても、

なにか。なんとか。解決したいと思ってしまう。

ネガティブあらわれた!...どうする?

ネガティブあるとおもうとじぶんの内にざわめくような感覚もあるけれど、それでも、そのことをなかったことにはしたくない。

意味を持って、いま。目の前に現れているモノだから。

 

対処のしかたは、あらわれたネガティブの種類によって変わってきます。

前向きなネガティブだとしたら「時期を待つ」

日々できること。今、動けるものをやりつつ、

気持ちや状況が浮き上がるときを待つ。

 

日常を過ごす力は、大いなるモノのしくみに組み込まれてあるパーツのひとつ。

大いなるモノのしくみは、ときの流れもつかさどっている。

 

日々できることをやっていくことは、ときの流れをす~っと動かしている大いなるモノのしくみに、じぶんのことも明け渡す感覚につながっています。

じぶんを時節へゆだねて、ときを待つ。時機を待つ。

 

ひとりでいるようで、こわくなってしまうなら。

身近な人に話を聞いてもらう。文字にして内に在るものを書き出してみる。

今の状況を、じぶんのうちから外へと出す。

外へと出したものは、そのあと動き始めるじぶんの大きなヒントになってきます。

後ろ向きなネガティブだとしたら「自分を抱きしめる」

過去のときの中に生き埋めにされた感情が、今このときを選んで噴き出してきているとき。
だから、過去のじぶんを抱きしめる。
今このときに出てきたということは、きっと、もう大丈夫。
今のじぶんならば過去のじぶんを抱きしめられる。
 そんなタイミングだから現れている感覚。
 
過去のおもいにまどわされないで。
今のじぶんがなにを感じているか。
そのことを感じながら、過去に寄り添う。

 

焦りは禁物。ごゆっくり。

ネガティブが出た!

そこにばかり気が向いてしまうと、わたしはつい「他のだれか」になろうとします。

 

あの人、きっとうまくやってそうだな。

あの人みたいだったら、こんな風になってないだろうな。

...「他のだれか」のようにふるまうことでネガティブから目をそらしたくなる。

 

でも、今。意味を持って「ネガティブ」も起こっている。

そうだとしたら、じぶんのままで。

 

今のじぶんのままで、ネガティブも、

じっくりと味わう。

 

必要以上にあわてることもなく。

必要以上におびえることもなく。

 

ネガティブの後ろに何を置いているのだろう。

過去のときに何を忘れてきてたのだろう。

 

じっくりと見たうえで「やっぱり無理」となったら、いったん保留。

 

そんな風にじっくりと。じぶんのままで向かってみよう。

 

空も、晴れたり曇ったり

 

だから、

ひとのこころが晴れたり曇ったりするのも自然のこと。

 

じぶんのままで。じぶんと向き合う。

そのことは、覚えておこう