秋分の日。といえば、秋のお彼岸のころ。
つい、先日。旧暦のお盆でご先祖さまたちをおまつりしたけれど、お彼岸はもう少し身近になったご先祖様をおまつりする日、お墓参りに行く日です。
(地域によって、いわれや風習が異なるので。わたしの育った地方でのお話とお考え下さいね)
春のお彼岸やお盆には、かなりにぎやかに。遠方に出ている親戚たちもよりあつまってご先祖様をまつるのですが、秋のお彼岸は、それらに比べてひっそりと。近くにいる家族だけでおまつりをします。
広い範囲のご先祖様というよりは、自分の知っている(会ったことのあるくらいの血の近さ)ご先祖様をおまつりするのです。
それだからか、秋分の日には家族でゆっくりと過ごすことが多かった。
いまでも、出来るだけお出かけせずに。家族と過ごしています。
ゆっくりすごすと、いつもだとお話しないようなことが話題に上ることあったりして。
これからも、家族で過ごす時間について。
これからの、自分の生き方について。
改めて見直すときにもなっています。
街の中で暮らす今。なかなかヒガンバナの咲く土手に座ることはないですが、いまでも秋のお彼岸で思い出すのは、真っ赤なヒガンバナの咲いた道です。
ヒガンバナの咲いた道で、お供えしたあとのおはぎを食べたときもあったな。
そんなことも、思い出しつつ。
あの、小さかった頃に「なりたかった大人」の姿。
いまのわたしはなれているのか。近づけているのか。
これから先、おばあちゃんにわたしがなったとき。
今のときを「わたし」でいられたとふりかえることできるかな。
きょうはゆっくりと過ごしてみます。
じぶんのこと。身近な家族のことに目を向けて。