書くことは「だれか」に届けたいことばを形にする動作。
わたしの内から発する祈りの一種。
「だれか」は、家族。友人。知人。
まだ逢っていない人、空へ還った人。
以前のわたし自身。未来のわたし自身。
意識していたとしても、
意識をしていなかったとしても。
書くことで人は祈っている。
とても楽しく喜ばしいことがあったときには、
届け、と意識するまでもなく ことばを発して在ることだろう。
感謝の気持ちもにじみでてるだろうから、
なにもないような、ごく普通のときや
不安な時やつらいと感じたときこそ、ことばを残しておこう。
「きょうは、特に書くまでもないけれどこんなことがあった。」とか
「きょうのぐるぐる不安は、こんな風だった」とか。
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わたしは、今。過去のわたしとお話し中。
ぎゅうぎゅうと押しつぶれそうだったわたしに伝えよう。
何年かたったわたしは、こんなにも顔あげてるよ。
過去のあなたがとった行動は、いまのわたしにとって嬉しい選択。
あなたのおかげで、いまのわたしがある。
そして、仲間かもしれない、友人とよんでもいいかもしれない。
そんな人たちが周りにいるよ。
だから、不安を持っていたとしても、最終的には大丈夫になっているよ。
そして、未来のわたしには、いまこのときのわたしが見ている世界を伝えたい。
未来のわたしへ。
もう、うんと軽く。でも真面目に動いてますか?
ぎゅうぎゅう、ぐるぐるもまだ得意でしょ?
ぎゅうぎゅう、ぐるぐるで立ち止まりたくなってることもあるかもしれない。
それでも、あなたのぐるぐるは、もう今とは違う次元。
だから、不安持たなくていいよ。大丈夫だよ、と。
特異点をみつけることもうまくなってるから。
ぎゅうぎゅうが、くるくるぽんっ。で別のルートにつながって
止まっていたと感じていたことすら、お役区立ちになってるからね。
わたしはわたしの暮らしをしていて、笑ったり、泣いたり。喜んだり楽しんだり。
実際に会える人は少ないけれど、見えない部分の潜在的な集合意識ではあなたと会っていて、つながってる。
その位置の遠さ近さはあるかもしれないけれど。
だから、いまを記録しておくわたしのことばは、
未来のわたしにむけて励ましのことばとなる。
過去のわたしにむけて書いたことばは、
よく似たここちの誰かのところへと届く。
あなたのなかに含まれている、ごくわずかな「わたし」成分にむけて。
大丈夫だよ。とはげましていたり、
大丈夫?と励まされていたり。
祈りのように。ことばは 場をわたっていく。
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すべてのことは、すべての時間につながっていて
すべてのことは、すべての愉しみになっている。
なにがあっても、つじつまがあっていて
なにがあっても、先の形へ続いている。
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