先日の晴れ間に、小学生のおいっこ&めいっこたちと妹と海の中道海浜公園へ行ってきました。

 

わたしは、樹木の下の木陰でごろごろ。
 

 

ひざしもつよく、気温はぐんぐんあがってゆきます。

木々の香りが、土のにおいがからだをつつみこんでいく。


 

こんな風に公園で過ごす時間を持つことにしたきっかけは、トースター磨き。

ウシシ

 

公園へと出かけるまえの、とある日。

わたしは思いついた。

 

よし。

トースターを磨こうむらさき音符


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我が家のトースターは、とっても働き者。
 
パンを焼いてトーストを作るだけでなく、
 トレイを入れて魚の切り身を焼いたり、
 アルミホイルで包んだ野菜を蒸し焼きにしたり...大活躍です。
 
使い終えた後に少し本体の温度が冷めてから、
 濡れふきんなどで汚れをふき取り、
 時々は重曹水をつかってそうじしてみたりしていたのだけれども、
長年つかってきて、洗剤で拭いても、スポンジでこすっても落ちないくすみがこびりついてました。
 
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「ふと」 トースターを磨こうと思い立った昼。

分解できる部分はすべてはずして、トースターを磨き上げてしまったウシシ

 
 
▽ガラス面も透明にハート 嬉しくて妹にLINEを送る

 

そうしたら、そのあとで妹より電話。

 

「姉ちゃん、最近、なにかしんどい??

 考えすぎるようなこと、起きてる??

 行き詰まってる感じする??」

 

へ???

「ふと」磨きたくなってトースターを磨いただけなんだけど??

 

 

「姉ちゃんは、ふだん、片付けられないけれど  (←これ、どうかと思う(笑)

 しんどい気持ちが出てきてるときには、やたらとガラスや金属をみがくよね?

 だから、何か起きているのかと思って」

 

 

 

おおお滝汗 そういえば、そうかも。

なにかあると、ガラスや金属みがいてきたわ

 

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離婚するかも、と悩んでいた時期。

部屋中のガラス、鏡、カトラリーを磨きまくったな。

 ...部屋はおもしろいくらい片付いてなかったけど、

ガラスだけはぴかぴかしてた。

 

うつ病での休職明けに仕事復帰したころは、

 オフィスのはいっているビルで鏡をちまちまと磨いていっていたな。

 

実家や友人宅へ「そうじ隊の派遣」といって

電子レンジやオーブンを磨かせてもらいにいっていた時期、

収納アドバイザーの勉強をすると周りに言っていた時期は、

ちょうど、子供がなくなったころや流産したころに重なるよな。

 
 
そうか。
わたしがガラスや鏡、油汚れを徹底そうじしたくなるときは、
なにかに「行き詰まって」いたり(閉塞した感じをもっていたり)、
「しんどいって言えない」と思ってたりするんだ。

 

 

わたしの内に在ることばにできない感じ(いらだちや怒りやしんどい感じ)を

「ガラスなどを磨く」行為をわたしが表現として選んだのね。

 

ことばとして表現していなくても、行動で表現できていたのね。

表現というと、つい、ことばで。と思ってしまいがちだったけれど、

行動も表現の一つだということを、あらためて納得。

 

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「ふと」鏡をみがきたくなったとき。 ←これは、わたしの場合。

 人、それぞれに違った表現があるはず。

  お風呂が長くなる。とか、

  洋服を買いたくなる。とか、

  やたら凝った料理を作りたくなる。とか ね。

 

そんなときには じぶんの奥に向かって聞いてみる。

じぶんの奥をのぞいてみる。

 

わたしは、何を感じている??

 何を表現したいとおもっている??

 どんな感じがこころの奥にある???

 

こころの底へ触れるように じっくりゆっくりと。内にこもる感覚を味わってみます。

 

 

そこからでてきた、今回の「トースター磨き」の理由は??

「うまくやれない」という感じを持て余したことが原因だったようです。

 

なんとかして、形をみせようとする焦りや

あこがれやうらやましさを認めたくないと思うかたくなな思いが

「わたしはうまくやれない」とおもう種を作ってしまい、

その種が内へ向けて折りたためられていって、ぎゅうっと大きな力を出して超新星のように。

ネガティブなエネルギーを作ってじぶんで、じぶんの内へ向けて深く深く傷つけていくような感じ。

 

 

でも、ことばにならないものは、ことばにできないからことばになってないことだってある。

ことばにできないことだって、理由があるはずだから。

 

そんなときは、無理をしすぎず。

まず、こころをほどいてみるところから。

  または、じっくりと。あらわれてくるときをまつ。

 

わたしがこころがほどけていくと感じているのは、

瞑想をしている状態から浮かび上がってきて、身体のセンサーが再接続しているとき。

自然の中へ身を置いているとき。

 

音やことばをつかった誘導瞑想も好きだけれど、

自然の中に身を置いて、空っぽになっていく感じも好き。

 

風と光と。空の下にいる感じを強く感じているときに、

わたしはとても心ほどける感じがしてます。

 

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ということで、

先日、福岡へおじゃましたときに、せっかくなので公園でピクニックをしてきました。

小学生のおいっこ、めいっこ、妹もいっしょに、お弁当をもって。

 

行き先は海の中道海浜公園。

博多駅からJRで40分ほどの場所にあります。海の中道駅で降りるのが便利。

(博多港から市営フェリーを使えば20分ほどで到着)

参考: アクセス 海の中道海浜公園

 

 

公園の中はちょうどあじさいの花の季節。

春の花を咲き終えたものを次の季節に向けて植え替えているのも見られました。

園内はかなりひろく、花の時期を考えて整備しているそうです。

 

子供たちは、アスレチックへ向かって走る。とにかくあそぶ。

残念ながら、アスレチックは対象年齢12歳まで。

おとなの妹とわたしはアスレチックができません(笑)

 

アスレチックを堪能しているこどもたちのあとを追いかけていくように、

妹とわたしとは公園内散策。

 

▽噴水を見て「ソフトクリーム食べたい」と思ったり

 

▽未知との遭遇 (笑)

 

ここちよい木陰をみつけて木の下でごろごろと過ごし、

公園の中で未知との遭遇も果たし(笑)

また元気を取り戻し、傷ついてるなと思った部分はおひさまの元へならべて、

じんわりと、わたし暮らしな日々に戻ります。
 

 

今日も素敵な一日♡ ありがとうございます虹

 

わたしは今 しあわせです♡

わたしはとっても運がいいです♪

きょうも時の流れに乗って過ごします