ヒトの感情を知ること。
ヒトが抱く感情の動きを知ること。
そのことは、わたしの中でのおおきな目的のうちのひとつ。
その理由は、
わたしの感情の動き、もしくは、その表現が周囲とずれていると感じてきたから。
まわりのヒトとのコミュニケーションがとりづらいと感じてきたから。
じぶんは「これで、どうかな」とおもって接しても、
相手の反応は思ったようには返ってこない。
まったく、ひとのことを考えていないかのように言われることも多い。
さて、困った。
困ったわたしは、あたま(思考)に頼った。
物語や医学論文などを通じて、多くの対応・反応についてのバリエーションを増やそうとした。
じぶんの内に湧いてくるもじょもじょとした”感じ”を名付けることをあきらめた。
周囲のひとたちとコミュニケーションをとるためにとるべき「正しい」反応を
小説、アニメなどの物語や精神医学論文をよみ、
カウンセリングやコーチングの実例を学び、経験してきて
あらゆるヒトの感情や状況に対応するためのバリエーションを増やしていこうとしてきた。
でも、実感として
感情を理解できた。と感じられたことはほとんどなかった。
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わたしはヒトの感情を理解できない。
わたしには感情を表す方法がない。
それは、ある意味で正しい表現でした。
内に感情がおこったとしても、
それを他のヒトのかたちをつかって表現してたから。
じぶんではない他のなにかに化けてしまっているから、
じぶんの感情をひろいあげるには、
めんどくさくなってる部分をほどいてから、本体の感情をひろいあげる。
そんなかんじのひと手間以上がかかってくるから、ヒトづきあいも自然とめんどうになってくる...(お互いに)
あたまはお休み。それでよかった。
もっと、シンプルなかんじだった。
じぶんの内におこる”もじょもじょ”をあるんだなとみつめ、
じぶんで”もじょもじょ”に名付けるだけでよかった。
ふとわいてくる、感覚からつながることばに目を向けるとこから始めるだけでよかった。
じぶんでないものに化けるから、あれこれと面倒になる。
でも、
じぶんで思っていた以上に、
じぶんでない、他のなにかに化けてしまう分かれ道のなんとおおいことか!!
周りに、ついあわせてしまったり、
世間の目?を気にしてしまったり。
たくさんの知識から導いた「標準的回答」にあわせたり。
...じぶんフィルターがかかってる以上、標準化もほんとはできてないのだけど
「我が道をゆく」
それが、これまで外を気にしすぎてしまってた人のはじめの一歩。
「我が道をゆく」ことは、自分軸との対話の始まり。
はじめのうちは、まわりの声から物理的に離れられる環境にして、
じぶんの内側にある感覚やことばをみること。
その繰り返しでじぶんの感情やおもいが呼び戻されてくる。
......ということが、ひとつきかけてみえてきたこと。
我が道を行くこと。
意識してこころがけてみてゆきます。
慣れていないうちは、それくらいがちょうどいい
今日も素敵な一日♡ ありがとうございます
わたしは今 しあわせです♡
わたしはとっても運がいいです♪
きょうも時の流れに乗って過ごします