いつも不安で生きてきた

アラフィフみよちです



心の病みで真っ暗だった50年 


 

 

そこから一転

 

 

本質的な幸せを感じられる心を

取り戻すことが出来た


そんな私の過去のストーリー

を綴ったブログです









私は2度離婚している。



自己破産もした。



今は高1の次男と一緒に暮らしている。






私、今、仕事休み中…。土曜日に発熱して月曜日には熱は下がったけれど、コロナの検査をした。



次の日連絡がきて、陽性を告げられた。



今日家でダラダラしてたら、私に中古の車をお安く売ってくれたおじいちゃんから、電話がきた。



「車あるから休みだろう?枝豆あるからとりにきて〜」


ありがとう…。だけど私今、コロナ…。



「え!じゃ駐車場側のベランダから渡すよ!」




ってすぐに持ってきてくれた。




ザルごと!茹でて冷やして氷につけて、塩も振ってある〜。ありがとう〜。




今流行りのモノに、かかっちまったか〜!お大事にって、笑いながら帰って行った。






このおじいちゃんはとっても、優しい。いつもよくしてくれる。私にも、他の人にも。





以前、【なんでも出来るねー】っておじいちゃんを褒めたら、【出来ないのは女だけ〜】って言っていた。







このおじいちゃんと出会う前、私は、ひとりこのアパートに越してきた。離婚をするにあたって別居を始めたのだった。…離婚はしたかったけれど、【円満】に済ませたかった…。そうも行かず、私は役場など色々回って、【法テラス】を教えてもらい、弁護士さんをつけることが出来たのだった。





調停をしながら、同じ家に住んでいるのは危険。どうにか住処を!って最初に言われた。




子供達は、父、母どちらがこの家に残ろうともこの家から離れたくないとの答えだった。




調停が始まるギリギリのところで、別居が出来た。





2ヶ月後には、次男がその父と暮らせずに私のところへやってきた。




その離婚しようとしている人は、結婚する前に、身一つで私のアパートに転がりこんで、私の貯金、車全てを自分の物にしていった。ブラックリストに載っていたその人に変わって、気づけば私がブラックリストに載っていた。





養育費なし、慰謝料なし、財産分与なし、それでもいいから早く断ち切りたかった。





手当てをもらうにも、親権も決まらないからもらえない、山のような私名義の借金…。日々暮らせなくなっていった。




自己破産を決めた。





私にとっては自己破産って、最も(恐ろしいこと)だった!人生で【これだけ】はしてはならないって、決めつけていた!




心が囚われていたのだった…。




幼い頃から、父に【自己破産は人間失格】だのずっと聞かされてきた。私は私に【これは大罪】と、ずっと心に決め込んでいた。だからこれをするのはものすごい覚悟だったし、私は人間失格なんだって思った
…。




心の囚われに気が付かなかったら、死ぬまで働いて、ただただ借金を返すだけの人生になっていたと思う。






自己破産手続きで、すぐに車が引き上げられた。それから一年、車無し生活だった。私の地元は車社会…。





会社までは歩いて20分ほど。




その道中に、一台の『黒の軽自動車』がある。古いけどキレイ。誰も乗ってない?そんな感じで置いてあった。




一年して気がついた…。




私、無意識にその車に話かけていた!



最初は【このくらいでいいんだけどな〜。大きくなくて】【もったいないな、誰も乗らないなんて】くらいにしか思ってなかった。





だけど、雨降れば【良かったね、屋根付きの車庫で】吹雪であれば、【凍らなければいいね】炎天下なら【陰になって良かったね】【誰かお手入れしてくれてるの】【乗ってくれる人いるの】【かわいいね】etc





無意識にずっと話しかけていた!その『黒い軽の車』に!
…自分でもびっくりした!






私は昔、車を憎んでいた。






交通事故にあった(50年抑圧されていた)車に引きづられた事もある。貧乏なのに父や、元旦那が新車買って、大変な目にあった(笑)





私が車にひかれたのに、私をひいた【じーさん】は悪くなくて、ひかれた私が悪者だった。よってたかって責められた。うちの人達は異常に【年寄りを大事にする】人達だった。




私のやりどころのない、憎しみは車に向けられていた。





車の【せい】でって関係のない車を憎んでいた。





ある日、わりと大きな交差点で、横断歩道を渡っていた私に、車が突っ込んできた。あと少しでぶつかるところだった。年寄りだった。悪びれてもない。私の身体の奥から湧き出る怒りが止まらなかった。





立ち止まって、しばらくにらみつけた。なんなら、運転席から引きずりだしてやろうかっ!ってほどだった。




何も怖くなかった。逆に守られているとしか感じなかった。人にも、法にも、何よりも【自分に】





50年も禁じられた「感情」がやっと出てこれたのだ!




交通事故の時、私達はちゃんと横断歩道を渡っていた!それなのに責められた。







私、何度も何度も車にひかれそうになる人だった。




大体、運転手が反対側ばかり気にして、私を見ていない。歩行者優先を知らんのか、右折、左折、車が突っ込んでくる。ベビーカーごと轢かれそうにもなった事もある。



この怒り】と【憎しみ】の感情が出せるまで、再生していたのか!






車は何も悪くない(笑)






抑圧された記憶を出してしばらくしたら、母が中古車で30万円くらいなら出してあげるって!





さっそく、いつも中古車を安く手に入れてる、私の叔父に連絡した。そしてその【出来ないのは女だけ】のおじいちゃんを紹介された。え!もしかして、毎日話しかけた【あの車?!】






ではなかった(笑)





あの車じゃないの?って聞いたら、「あー、あの車は古いから売るのはチョット…。代車として貸してあげてるんだ」って。



そっか。



だけど、私はその『黒い軽の車』がキューピットになってくれて、今、30万円で買った車と仲良く毎日いれる気がする。そして、優しいおじいちゃんからも良くしてもらえて。




無意識でずっと語りかけていた…。車とやっと和解出来たみたいな(笑)車に対して【愛おしい気持ち】がようやく出来た。その『黒い軽の車』に一度、代車で乗った事がある。快適だった!そして、おじいちゃんが大事にしてるのが、ヒシヒシと伝わってきた!私も、お礼を言った。




『一年間、話し聞いてくれてありがとう。ようやく奥底から感情を出せたよ』って。





今は車をぶつけたり、トラブったりは全くない。毎日快適に暮らせている。



どしゃ降りの日も、炎天下の日も、私の行きたいところへ連れて行ってくれる大事な車。





昔はそう思おうとしても思えなかった。




心の奥底に【見たくないもの】を見えないように、なかったことにしたから。




だけど【なくなることなどはない】




無意識領域にはしっかりいるのだから…。