====================
コメント&メッセージ
いつもありがとうございますm(_ _)m
ひとつひとつ大切に読んでいます。
有難うございますm(_ _)m
====================
最近、あ〜私、
親がこうであって欲しい・・・って
痛烈に思っている意識があるんだなぁと
気づいた事がありました。
私は定期的に母の体調を聞きます。
しま:おかーさん、最近の体調はどう?
母 :良くない。だるい。
しま:そうかぁ・・・(会話終了)
母にしてみれば、
オールウェイズ・体調は不調なわけで。
この質問を母にすることすら愚行なのかと。
いや、
でも
体調を気にかけないことは
悪なんじゃないかと。
モヤモヤしていた自分がいました。
それはこんな思いが
あったんです。
なんで、
嘘でも
子どもに心配かけないように
「今は大丈夫」って言えないんだろう・・・。
みたいな気持ちがあったんだと思います。
でも、それはこちらの
「母のり想像」の「押付け」だったと
気づくことがありました。
こんな会話を以前聞いたことがあったんです。
子:おかん、体調大丈夫なんか?
母:大丈夫だよ。それよりあんたは大丈夫かい?
そう、
そう。
こんな感じの会話。
これを見て、
私達親子との会話の差を感じて、
少し心がチクっとしたのは、
親は子に心配をかけないように。
親は子を心配する生き物だ。
という自分の「理想の親」像が
どこかに根強くあったんだと
気づきました。
でも、
それは、
自分の押し付けであり、
母は母であり、
一人の女性である。
無理してそこに当てはまってほしいというのは
私の勝手なエゴで。
「母」は母であるんだよな〜・・・・なんて。
そのままの母を受け入れていない自分に気づいていました。
(´・ω・`) 母は健康であって欲しい
(´・ω・`) 親は子を心配して欲しい
(´・ω・`) 親は自分より子を優先する生き物
こんな思い込みが
あった自分に気づいたら、
それを手放してみようと思いました。
モヤモヤしていたのは、
自分が「理想像」を押し付けて
その差に勝手に悩み、モヤモヤしていただけで。
母との会話も、
スムーズにできるように押し付けていたと
反省&気づいたのでした。
2016年の大きな気付きをくださった師匠に感謝。