
実家の片付け奮闘記
私のブログに越しくださり
ありがとうございます
母が亡くなり
2週間が過ぎました
今は速やかに
実家の片付けを
始めていますが、
1週間で、
母が着ていたものを
全て片付けることが
できました
あっ 着物は別![]()
母が好きだった服も
懐かしいコートも
1枚も残すことはしませんでした
ただ
祖父の家を解体した時に
その家から持ってきたであろう
骨董が山のように残っていて・・・
とりあえず
把握しようと
全部出してみました
以下 ↓↓
狭い実家で
収納スペースもない家で
この量を上手く
しまっていたことが
不思議なくらいです
母が書いた謂れや
説明書きがあるものは
ひとつひとつ読んだり、
古い箱は
壊れないように
そ~っと開いたり・・・
次の段階に進む前の
作業も
楽しみながらでは
ありますが、
実は日に日に
疲れてきている
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いつもの日常に、
ちがう要素が入ると
バイオリズムって
崩れるものなんですね・・・
ふう~
お片付けサービスでは
感じたことのない
疲れでありことは
間違いないです
桐たんすから出した
亡き父や母の着物
欲しいモノは
私と義妹が引き取り
残りのこれらは、
バイセルさんに査定を
お願いしました
結果報告は
また後日にしますね~
このあとの
片付けもどうなっていくのか?
早く済ませたいような。
思い出を味わいたいような。
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今日もご訪問
ありがとうございました。
母の最期を看取るまで
私のブログに越しくださり
ありがとうございます
前回のブログをアップして
丁度一週間後に母が
亡くなりました
2月2日の早朝
満月だった日
亡くなった日から
3日後には通夜
4日後に葬儀
あっという間に
2週間が過ぎ
やっとブログを更新できます
97歳でした
すでに昨年11月中旬頃から
老衰が進行し、
食べることも
水分を摂ることも
ホンの少しになってきました
途中から
お腹に点滴をやりましたが
看護師さんに尋ねたら
ただの水分とのこと
ただの水分でも点滴で
体に入ると体力も
もつようで、
週3回の点滴だけで
とうとう2か月も
生きてくれたのです
痛むところもなく
苦しむこともなく
亡くなる4日前から
眠りに入り
そこからは声を掛けても
体をゆすっても
目が覚めることは
ありませんでした
でも
最後まで呆けることもなく
会話も少しはできたし、
手や肩や腕をさすれば
気持ちいいと
喜んでくれました
最後の夜は
初めて部屋に泊まり
2時間おきに
看に来てくださる
ヘルパーさんとともに
見守ることにした
付き添いのベッドがないので
イスに座って
母のベッドにもたれたまま
母の様子を伺う
母は
ただす~す~と
安らかに眠ったまま
もう血圧も測ることができない
状態になっている
私もうとうとするも
眠った5分の間に
息を引き取ったら・・・
と、思うと寝られない
口が動いているか?
胸のあたりの布団は
動いているか?
何度も確認する
夜中の2時に
ヘルパーさんか来た時に
母の様子から
1時間おきに来た方がいいね
と、言って部屋を後にした
多分、
もうすぐなんだろう・・・
相変わらず
す~す~という
呼吸
これが虫の息なのかな・・・
お布団の中に手を入れると
暖かいが指先は冷たい
顔も白くなってくる
寝ているため
顔のシワさせ伸びて
だんだんキレイになっていく
話かけても
返事はない
ふたりだけの部屋で
私は心静かに
そして穏やかに
その時を待つ
心の準備はできていた
明け方5時に
ヘルパーさんが来てくれた
虫の息の母の呼吸は
さらに小さく小さく
なっていく
そして、
母の舌ベラが
止まったことを確認
5時20分~25分
私は
最期の瞬間まで
母のそばにいられて
母を看取ることができた
涙が流れることはなかった
そばにいられたこと
先生の終末期宣告から
徐々に心の準備が
できていた
むしろ
達成感さえ感じることができた
どうか最期は
痛みもなく
苦しむこともなく
こんな最期になりますように・・
と、願っていたとおりの
逝き方をしてくれた母に
娘としては感謝さえ感じる
ママ
本当は、最後まで
自分の家に居たかったよね
サ高住の皆さんは
優しくて良くしてくれて・・・
私もスタッフさんを
頼ってしまったけれど。
4年間、
家に戻れなかったのは
寂しかっただろうな・・と、
胸が痛みます
9人兄姉弟の中で
最後まで長生きして、
父や義姉妹も先に逝き
きっとみんな天国で
待っているね
いやいや
2月2日の満月に
亡くなった母は
もしかしたら
かぐや姫?
あの美しい月は
まるで母のようでした
多分20代の頃
母40才
私小学6年生
弟小学一年生
お正月
父と母
晩年の父と母 旅行先での1枚
お読みいただき
ありがとうございました














