本からの学び #1 ジェーン・オースティン「マンスフィールドパーク」父の反省
こどもの頃何気なく読んだ本が大人になってから大きな意味を持って心に響くことがある。それもその多くはストーリの大筋に関することではなく、端にちらっと出てくるところであったり、いつものこととしてただ読み過ごしてしまうところなのである。そうやって人は本を読み、人生を学ぶ。学ぶべき時がもう少し早ければ、と思うことも多々ある。特に道徳的な観点における教訓は、教訓として読む限り、頭に入ってこない。道徳の授業はそれなりに心に響くのだがすぐに忘れてしまう。だがのちに、自身の体験がふと、その一場面に、その一言に意味を与える。Jane Austenの小説は、実はそうした教訓にあふれている。そして150年の時を経て、どれだけ時代が変わろうともそこにある真実は決して変わらない。「マンスフィールドパーク」の終盤、トーマス卿が自身の子育てについて反省する場面がある。以下原文を抜粋する。Too late he become aware how unfavorable to the character of any young people must be the totally opposite treatment which Maria and Julia had been always experienced at home, where the excessive indulgence and flattery of their aunt had been continually contrasted with his own severity.He feared that principle, active principle, had been wanting; that they had never been properly taught to govern their inclinations and tempers by that sense of duty which can alone suffice. They had been instructed theoretically in their religion, but never required to bring it into daily practice. To be distinguished for elegance and accomplishments, the authorized object of their youth, could have had no useful influence that way, no moral effect on the mind.Bitterly did he deplore deficiency which now he could scarcely comprehend to have been possible. Wretchedly did he feel, that with all the cost and care of an anxious and expensive education, he had brought up his daughters without their understanding their first duties, or his being acquainted with their character and temper.(「マンスフィールドパーク」より抜粋)トーマス卿は自身の厳格さと対極にある叔母の盲目的な甘さが起こす重要性に気づかなかった。宗教教育は表面的に行われ、そこで学んだことを実生活に活かすことを求めず、高価な教育も彼らのモラル意識を高め、律することにはつながらず、見栄えだけはいい娘たちになってしまった。教育におけるもっとも初歩的な一歩、子供たちの性格や気性を、父として、正しく理解することを怠ってしまったのだ。自身の話を少し挟ませていただく。私の父は非常に厳格な人だった。ルールに厳しく、父が定めたハードルを娘(私)が飛び越えない(いや、飛び越えようともしない)ことに苛立ち、時には物や金銭をその代償に目標を達成させようとした。そのハードルとは定期テストの結果であったり、英検であったりした。その時の私はただ楽することを求め、将来の展望、自身の未来など何も考えていなかった。そして、その割に自分は他の人はどこか違うのだ、といううぬぼれに浸っていた。結局大学受験に失敗し、2次募集の私立大学に何とか滑り込み、それなりに卒業した。その初等教育の甘さと私自身の怠惰の結果、さまざまな困難にぶちあたることになる。何とかかんとか、そこを乗り越えた今の私を完全に否定するつもりはつもりはない。でも、大変傲慢な言い方になるのを承知で言うとするならば、もし....私の父が、「教育におけるもっとも初歩的な一歩、娘の性格や気性を、父として、正しく理解すること」をしてくれていたとしたら。今、私には20歳になる娘がいる。偉そうに言えた義理ではないが、私はまず娘の性格や絶対に嫌がることを理解しようとしてきた。短期的な目標を定めず、大きな目標を共有した。今のところ、それはうまくいっているようだ。この先はわからないが。