ペットの最期

老衰で穏やかに眠りについてくれるのが一番だけど

 

痛みで苦しんでいる姿に飼い主が耐え切れず

「安楽死」という手段を用いることがありますよね。

 

一度だけの

二度と会えなくなる手法

 

これが「人間のエゴ」という声が多い。

もちろん飼い主の都合で、まだほかにまだ手を尽くせるのに

もう面倒だから、という理由で使うのは論外

 

痛みを相当我慢するといわれている動物たちが

耐え切れず苦しい声を上げる、暴れる。

 

反対派の人は「彼らはそれでも生きようとしているのだから」

 

そうね。

 

でも人間だって生き物としては同じ

どんなに辛くても苦しくても痛くても、体は生きることを続けようとする。

 

ただ人間は「苦しさから逃れるために自ら死ぬことを選ぶ」ということを知った。

 

 

 

そもそも人間が動物をペットとしたのは随分昔からですが

餌や医療の質が向上したのは割と最近のこと

おかげでぺットたちは今までになく長生きできるようになりました。

 

その結果として今まで気づかなかった(そこに至るまでに命が尽きたから)成人病や

痴呆症、がんをはじめとしたさまざまな病気にかかることが増えました。

 

…人間も同じよね

江戸時代の人が現在にタイムスリップしてきたなら

現代の老人の多さにびっくりするでしょう。

 

…ウォシュレットにもびっくりするとおもうけど…

 

 

動物は口がきけない(人の言葉をしゃべることができない)からといって

飼い主が勝手にその命を終わらせていいはずがない というアンチ安楽死の主張

 

その人たちは、自分のペットがもし万が一事故にあったとして…

内臓が破裂して骨も折れて

手術もできないぐらい衰弱して、でもまだ生きて苦しい息だけしているような

そんなときでも「楽にしてあげたい」とは思わないのかな

 

それでもまだ生きているんだからって思うのかしら。

わたしだったらもう楽にしてやってくださいと頼んでしまうと思う。

そのまえにそんな事態にならないよう散歩の時は(あ、犬もいるのです)

道路では伸縮リードは伸ばさないし(公園に人がいないときだけ伸ばす)、歩きスマホもイヤホンで音楽聴いたりもしないで周りに気を付けるようにしていますが

 

 

アンチ安楽死の人たちは

実際にペットを飼ったことがないか、幸福な死(穏やかに衰弱するような)しか経験したことがないんだろうな

 

さて、今日も猫は生きています。

スプーン一杯程度だけどゴハンも食べてくれました。

水も飲むし、おしっこもしてるから、今日は大丈夫かな

明日も大丈夫だといいな

 

頭部の腫瘍のせいで鼻や目から出血して、片目はふさがってしまっているという凄惨な見た目になってしまいましたが

黒い猫なので遠目からはわからないのが幸いかしら

 

猫風邪を疑って病院につれていってからもう一年以上

その間の検査で「腫瘍化しそうな細胞」が見つかり

それが腫瘍として固まって来たときは

腫瘍の場所(頭部)ゆえ手術が難しいものになること

そして

猫の年齢体力から手術はむしろリスクが大きいという説明があり

放射線治療という手もあるのですがそれは別の理由で選択しませんでした

治すのは無理としても、せめて悪くなるのを遅らせるという消極的な治療を選びました。

 

なので時間をかけて覚悟を決めてきたつもりではありますが

水を飲んでいる姿にうれしく

ご飯を食べてくれればもっとうれしく

 

でもこちらを向けば血が固まってしまった顔(痛がるので拭けない)に

生きてくれればそれだけ猫の苦痛は増してしまうのだろうかと心が痛み

…飼い主の心が痛んで猫の痛みが和らぐならいくら痛くなってもいいのに

なんならおなかが痛くなったっていいのにな

 

名を呼べば可愛い声で返事をしてくれて

撫でれば喉も鳴らしてくれる

 

腫瘍ができたのがこの場所でなければ

まだ手術できる可能性が高かったのにな

 

とにかく

昨日まで生きていてくれたことに感謝し

今日も生き抜けることを祈ります。