さて、今回はタイトルの通り
私のバンギャルの成り立ち~就活決意
までをおおまかに綴っていきたいと思います。

すべての始まりは高校2年生。

たまたま見たMステに出演していた某メジャー盤に心を奪われてあえなくご臨終(合掌)

ちなみにハマった盤は、とっくの昔に母親が音源を買ったり借りたりしていて(母はバンギャル要素0の可愛いもの好き)大変助かったのを覚えている。

思えばここで親の理解が得られたのが今後のバンギャル人生に大きな影響を与えているのはこの頃知るよしもなかった。
(ちなみに父はサラリーマンだが、ギタリスト)


高2の年末で日武のイベントライヴへ(母とw)行ったのがヴィジュアル系での正式なライヴデビューだった。
(夏に物販を買いつつリハの音漏れを聞きにわざわざ代々木第一体育館まで行ったりもしたがwww)

ライヴで生で本命麺を見てしまったら、もう加速度的に友人とバンギャル道まっしぐら(笑)

高3の夏にはホールを2本とセンター試験目前の年末に日武に行くというなんとも享楽的な受験生だった。

そんなライヴ行きまくりな受験生の私は、本命の大学受験に大失敗し、人生初めてといっても過言ではない大きな挫折に完全に心が折れていました←今考えれば当たり前だ。

おまけに受かった短大は大嫌いなギャルしかいなかったし…(´・ω・`)

そこで折れて弱りきった心を癒してくれたのは、そう。盤と麺だった。

入学当初に本命麺に出会い、心の拠り所は当時ここしかなかった。
バンドや麺にハマるのに伴ってお洋服の方も段々バンギャル路線へ。
まぁ、昔からコムサなどのモノトーン系しか着ていなかったからこっちの気質は昔ながらかもしれないが。

短大時代マイナー盤に走った私と仲良くしてくれた
いっこ上のバンギャルさん(当時既に社会人)が頭の先から足の先まで全身ヴィヴィアンという出で立ちという姿を見て、雷に打たれたような衝撃が!

この頃はPEACE NOWやセクダイやクローゼットチャイルドの古着でバンギャルを装っていた私にとって彼女は羨望の塊だった。

思えばこの頃の年の近い先輩バンギャルさんたちはヴィヴィエンヌ率が高かった気がする。

ヴィヴィアンを身に付けることがバンギャルのステータスといっても過言ではなかった。

「歳がいっこしか違わないのに、、、働けば私もライヴに行きながらこんなに贅沢ができるんだ!!!!!( ☆∀☆)」

…ここが、私の労働への意欲の原点ですね。

労働への招待!!←

働かざる者ライヴ行くべからず。
働けば贅沢は味方!!!!!

気付いた私に心折れてる暇は無かった。
入りたかった軽音サークルにも入らず、ただただ資格を取り続けた短大1年生夏。

私の青春は、内定の後にあると確信してやまなかった。

本日の一言
「動機はきわめて不純なほうが、モチベーションは上がります。やがて動機は、必ず純粋なもの、高尚なもの、尊いものに変わっていきます。最初から高尚な動機から始めると、つづきません。」
中谷彰宏


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