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この投稿も今日で最後にしよう。
これ以上続けるとサイトジャックになってしまう。このブログはもともと野球チームのものであり、個人的な文章を書き連ねる場ではないのだ。連投によってアクセス数が飛躍的に伸びることも実証できたので、野球チームの面々も暇があったら書いてみて欲しい。
最後はいささか地味ではあるが、私の生涯に残った印象的な屁を紹介する。
とある場所に旅行に行った時のエピソードである。ビジネスホテルに某氏と泊まった。
23時を過ぎた頃であろうか。すでに某氏は寝入って1時間ほど経っていた。旅に出ると寝付きが悪い私は、悶々としながら寝返りを打ち、ビールでも買ってこようかなどと考えていた。
ふと屁意をもよおした。某氏はイビキをかいており、すぐに起きそうもなかったが、音を立てては悪いと思いスカした。
「スウウウウ~~~、プシュル~」
きれいなすかし屁だった。
尻に手を当てて匂いを嗅いだところ、非常に臭い。私の屁は元来、大根のぬか漬けの香りをベースにしているのだが、この時はそれに加えて肉臭のエッジが効いており、湿っぽさも手伝って染みとおっていくような広がりを見せた。徐々に屁が部屋に蔓延してくる。
そのとき某氏がイビキを止めた。そして、鼻をヒクヒクさせはじめた。
クンクン、クンクン、クンクン
何かを調べるような警察犬のようないぶかしさと執拗さがそこには同居していた。
クンカ、クンカ、クンカ、クンカ
その後、おもむろに
「屁した?」
と尋ねてきた。寝起きだし、シチュエーションが分からないから、真剣そのものの表情で私に聞いてきたのだ。そのスッピンぶりが妙にリアルであった。
「うん、した」
「臭くって、おきちゃったよ。臭えなぁ。」
そう言って寝返りをうって寝入ろうとしたものの、部屋には屁が立ち込めており、すぐには寝られなかったようである。
普通、寝入りばなの人間はなかなか起きないものだ。体を揺すったり物理的な刺激が与えられれば、その限りではないかもしれないが、私の場合は屁一発で起こした。しかも音無しに。
おそらく、これが質・量ともに私がした屁のベストであろう。部屋を覆い尽くす悪臭は、単なる屁の領域を超えていた。ピンポイント攻撃ではなく、部屋をガス室にしてみせたのだ。臭い屁はこくが、これほどの量はなかなか出せるものではない。
また、人間が臭さで起きるとき、鼻をヒクヒクさせるものだと初めて知った。皆さんも、近くに寝ている人がいたら屁をかけてみるといい。起こすのはなかなか難しいぞ!
そんなこともあり、この実験的連載も終了の運びとなった。
コーヒーの利用による連発屁の方法や、炭酸を飲んでから屁になるまでの時間経過の実験報告など、他にも書きたいことは幾つかあったのだが、このサイトをそんなに臭いものにしてしまうわけにはいかない。
最後に屁の短歌と俳句を一つずつ紹介して締めることにしよう。詠み人はいづれも私の父である。
働けど働けど
我が暮らし楽にならず
ぶっと屁をこく
石川啄木の有名な「働けど働けど我が暮らし楽にならず じっと手を見る」の翻案である。一人働くものの悲哀が屁に表れている。
屁をしてもひとり
尾崎放哉の名句「咳をしてもひとり」から取った。喘息持ちの放哉は、咳をすることで自分の命が終わりに近づいていく。そんな寂寥の思いを句にしたわけだが、屁に入れ替えてみると喘息持ちだけでなく、誰しもそんな物悲しさに打ちのめされることが了解されるだろう。一人、歳をとりつつ、こいた屁を臭がってくれる相手もいない。そんな「もののあはれ」が見事に表現されている句と言える。
屁はいつも日常に有り、かつ屁の道は遠いのだ。
屁は日常生活のいたる所に遍在している。
今でこそ屁を気軽にこける相手はなかなか出来なくなったが、若い時は周りでいくら屁をこいても許される人間がたくさんいた。高校生のあたり、よく屁をかけて遊んだ。
思い出の屁を幾つか紹介してみよう。
高校生も3年になると授業のカリキュラムが減り、毎日のように昼前には学校を出て飯屋・パチンコ屋・予備校をブラブラしていた。なかでも予備校は金がなくても自習室があるし、自販機でジュースを買って駄弁る日常は、艶がないながらも楽しく安穏とした生活であった。
机の横で勉強している奴に近づき、二の腕に肛門を当てて屁をこいたことがある。彼いわく「屁で腕がふるえた」のだそうだ。こういう屁は印象深い。なぜなら、本来は音と匂いだけのものであったはずの屁が、物理運動に還元されているからだ。普段は肛門を通過する空気を震わせて音を出すわけだが、この場合は肛門に加えて腕の肉もフルフルさせて屁は音を出したのである。思えば、普段よりも高音で「プィ~~ピーー」って感じの、細く細く遠ざかっていくが、同時に耳には良く残る音であった。トランペットでの高音を出すのはエネルギーとテクニックがいるから、この屁のときもかなりの高等技が実現されていたのに違いない。惜しむらくは、匂いがそれほど残らないことであった。
予備校で思いだしたのがもう一つの意外な経験であった。
我々が通っていた某予備校は、自習室が二ヶ所あった。一つは昼には食堂として機能する場所で、自販機があり、比較的雑談などもしながらノートや参考書を開いて駄弁っている学生の溜り場。もう一つはガチの自習室で、机が並び、誰も一言も漏らさずに必死に勉強している。こっちもこっちでいつも人が多かった。
受験生であった私達は、時と場合によって居場所を使い分けていた。今思えば、それなりに勉強への意欲があったということだろう。どうしてあんな馬鹿どもであった我々が自分から自習室を選択したのか分からない。勉強についての会話もほとんどなかったし、遊んでばかりいた気がするのだが。それでもガチの自習室に籠り、皆シコシコ勉強していた。
そのときの私は数日から数週間にわたって屁をこくチャンスをうかがっていた。上手いこと自分の尻の真正面で誰かに屁をこいてやろうと考えていたのだ。もちろん、赤の他人相手ではない。当時つるんでいた仲間の誰かが、そのポジションに来た時には「やるべし!」と固く決意していた。
来た。ガチの自習室で上手いこと2列空いていたのだ。私の後ろには某氏が座った。カモになっているともしれず、しかつめらしい面をして本など読んでいる。私はスポーツ新聞を広げ、屁が溜まるまで読んでいた。自習室とは言っても1時間くらいすると誰かが休憩に出てしまい、それにならって仲間どもは皆休憩所に行ってしまう。そうなったらアウトである。だから、ちょっとした焦りもあった。
20分ほど経過した。屁意がこみ上がって来ると同時に、私自身にも得も言われぬ高揚感と緊張感、ニヤケ顔が湧きあがってくる。まずは表情を悟られないように真面目な態度を取ることを心がけた。できるだけゆっくり、とは言え屁意が引っ込んでしまわないように素早く新聞をたたむ。落ち着くことが大切だ。休憩に出るようなふりをして、席から立ち上がる。椅子をしまう。ちらっと見遣ったとき、某氏の顔が私の尻の直前にあった。
「ブウウウウゥゥゥゥ~~~!」
それは祝祭の合図のようであった。当時、携帯電話も普及していなかったので、自習室で突然音がすることなどなかったのだ。私にとっても会心の音であった。あの部屋の隅から隅まで響き渡ったであろう。緊張感のない時でも、あの音量はなかなか出すことが出来ぬ。比較的低音ながら、よく乾いていて通りが良い。しかも、二段式でなく最初の放屁で最大音量を出せたこともインパクト大であったと自負している。
私は何事もなかったかのようにスタスタと歩いて部屋を出た。匂いはあまりしなかったと思う。それよりも私にとっては達成感・充実感の方が強かった。
満足に浸っていたら、すぐに某氏が出てきた。笑ったような怒ったような困った顔をしていた。「おいおい」と軽く小突かれたのだったかどうか記憶は定かではないが、印象に残ったのは「恥ずかしくてあそこにいられねぇよ」というコメントであった。そうか。屁はした方ばかりではなく、かけられた側にとっても恥ずかしい振舞いだったのか。また一つ、屁の効能について勉強した瞬間であった。
個人的にも好きなスポーツで、いろんな意味でテクニカルなのが卓球である。サーブ一つ取っても様々な打法があり多様な変化をする。これに屁を掛け合わせると複雑さはさらに増してくる。まさに球道無限、臭道無限である。
ここで得意な技のレシピを一つ紹介しよう。
まずシェイクハンドのラケットを用意します。ペンホルダーでも良いでしょうが、どちらかと言うとシェイクのほうが表面積が大きいので有利です。これはのちに団扇の役目を果たします。
練習および試合が始まったら、まずは屁が出そうになるまで自分のペースを作ります。虚勢を張って大声を出したり、わざとよそ見をさせてサーブを打ったり、ダーティーなプレーヤーだということを印象づけておきましょう。精神的に汚い人間だと思われておけば、後に物理的に汚い攻撃も許容されるようになります。もっとも、ダーティーだと印象づけながらもコミカルに振舞い、常に相手を苦笑させる程度に留めておくのがベストです。本当に怒らせたら試合になどなりません。また根本的な面で否定されてしまったら、放屁する余裕もなくなります。少々汚いが許せる範囲のキャラクターで在り続けなければなりません。
さて、そろそろ放屁の準備も整ったかと思います。自分のサーブの番になりました。
ここでボールをおもむろに尻のあたりに持っていきます。そして相手に聞こえるように屁をこきます。あまり大きな音である必要はありませんが、臭そうな音でなければなりません。
「ブビ、ブビビ、ブビリ、ブビリ、ブシュー」
湿っているのがいいでしょう。大きな音が出ないようであれば、ボールを肛門部に持っていったとき「ウン、ウムム~、ムハ~ッ!」という感じで力み声を発し、同時に表情を作っておきましょう。大事なのは渾身の屁をこいたということ、これからの自分のサーブは今までのステージとはモノが違うのだと相手に伝えることです。『ドラゴンボール』で敵キャラが変身するときのような感じも参考になりましょう。
もちろん、屁は臭くなければなりません。少量で構わないのですが、とびきりの臭さが必要です。少々の空気で撹拌されても攻撃力は失わないぐらいの勢いが求められます。
ボールを肛門付近に持ってきたときに屁をこきます。そこでボールを持った手で屁を握り込みます。まずは握り屁です。ボールと一緒に屁を握り込む技術が必要になりますが、ピンポン玉は大きくないので難しくはありません。それよりも演技を心がけるべきです。いかにも大事そうにゆっくりとボールを引き上げます。臭さのオーラがまとわりついたオーヴです。あくまでも焦らず、急がず、セレブのようにゆっくりとサーブを開始します。奇をてらったサーブはよくありません。周囲の空気をなるべく動かさないようにします。
敵は屁で汚染されたボールが打ちこまれると思って警戒しています。確かにこのサーブの目的の一つとして屁ボールサーブは重要なのですが、それだけだと当り前のサーブにしかなりません。そんな程度なら生尻でも出してピンポン玉にウンコをなすりつけて打ったほうが効果的です。
重要なのは次です。サーブを打ってボールは相手陣内へ飛んでいきますが、手に握り込んでいたのはボールだけではなく、屁そのものでもありました。だから、シェイクのラケットをやさしく団扇のように扇いでサーブをすることで、ボールと同時に屁も相手陣内へ送り込むことになるのです。
♪屁の風に~♪
♪屁の風になって~♪
♪あの大きな空を~♪
♪吹きわたっています♪
これです。こっちが眼目なのです。相手は完全にボールに屁がかけられたため、そっちのほうしか注意していません。万が一サーブを返せないとなれば、屁の球を手に持たねばならないというプレッシャーのため、後から訪れてくる屁のそよ風には完全に無防備になっています。だからこそ、ボールを返した後に臭さにのたうちまわる結果となります。
このサーブはかなりの高等テクニックであり、少量の濃い屁をこくことや完全な握り屁ができることなど、非常にハードルが高いと言えるでしょう。しかし、難しいぶん成功したときには、屁の元気玉をぶつけたような高揚感と万能感があり、場をコントロール出来た快感に浸れます。何度か挑戦していれば、卓球場自体に屁の匂いを染みつかせ、空間自体を自分のものとすることができるでしょう。成功率は低いですが、頑張ってほしいと思います。
とは言え、屁は美学に属するものだ。何の工夫もなく嗅がせるべきではない。相手を縛りつけて顔の前でこくべきではない。また恋人と同じベットの中でこいて嗅がせるものでもない。何の工夫も努力もない屁を私は評価しない。臭い屁を作るために念入りに準備をして、状況やタイミングを吟味した上、なおかつテクニカルにこかなくてはいけない。また、こういった下ネタの類は嫌いという御仁もあろう。そういう人に対してもこくべきではない。それはガスハラである。ガスハラとはアルハラ以上セクハラ未満のハラスメントである。人間関係が修復不可能になることもあるから、誰それ構わず安易に屁をかけたりしなほうがいいだろう。
さて、そんな屁のこき方であるが、今日はスポーツ編を書きたいと思う。様々なスポーツに屁をこくシチュエーションがあるが、その中でも個人的に印象に残った放屁のシーンを書き記していきたい。
子供の頃、バスケットボールをやっていた。それなりに背が高かったのでセンターなどもやったのだが、リバウンドを取る瞬間、スクリーンアウトというものをする。つまりゴールにあたって跳ね返ってきたボールを取るために良いポジションを確保する目的から、体を入れて敵のプレーヤーをエリア内に侵入させないようにするのである。相手の前に入って背中で止める。このとき、殊に体が密着したときなどに一発屁をこくのである。そうするとほぼ100%の確率でリバウンドが取れるようになる。しかし、場合によっては逆ギレされて乱闘が発生する場合もあるから注意が必要だ。
この屁の妙味は体を密着させるため、音の振動が直接相手に伝わる点にある。「ブリリリリ」という音と同時に「ぶるるるる」と体が震える。このリアルさはなかなかに類を見ないものである。
これと同様に柔道の組み稽古でもテクニックを行使することができる。背負い投げの場合だ。通常、柔道では「一、二、三」の掛け声で背負いの型を練習し、最後に投げるパターンを取るが、背負っている最中、相手を自分の腰に乗せた所で「ブビビボッ!」とやると相手は避けることができず、100%屁を染み込ませることができる。
だが、問題なのは、両方のパターンにおいても動きながらの放屁となるので、あまり緊張感のないときしか発射できないのである。しかも、なるべく仲の良い勝手知ったる相手でないと屁をかけることはできない。赤の他人と柔道で組んで、いきなり屁をかけようものなら険悪な仲になること請け合いである。
もう一つ、ちょっと面白いのが水泳における屁だ。
市民プールなどに行くと、コースごとに分かれ、皆が馬車馬のように泳いでいるのを目にするだろう。この一員になり、すぐ後ろから相手が泳いできた時などに屁をこくのである。これには高等技術が必要で、一気にこいては駄目だ。水泡が大きいとすぐに浮上してしまい、相手がやってくるまで水中に漂っていない。下痢が漏れそうなときにする屁の感覚で、「ミリ、ミリ、ビリ、ビリ、ビビビ~」と細かい気泡の放屁をしなければならない。そうすると、屁の泡はユラユラと水中を漂いながらゆっくりと上昇する。後ろからきた泳者は、その泡の中を進んでいかなければならない。昔のファミコンソフト「バルーンファイト」を彷彿とさせる名シーンがよみがえる。
履いている水中パンツのきめが細かく、なかなか屁を通さない素材である場合、水中でこいた屁はパンツをモッコリさせることになる。それをおもむろに手で押し出していくのも風情がある。コースを泳ぎ切り、後ろから来た泳者が息継ぎするのに合わせて屁を押し出してやれば、最初の一息でガスを大量に吸い込むことにもなろう。相手にとっては地獄の息継ぎである。これはなかなかの高等テクニックではないか。
水泳において屁をこくことの利点は、屁が泡になって視覚に転換されることである。音のあと、こっそりやってくる匂いに怯える陸上の屁には、テロリズムの匂いがつねにまとわりついているが、水中では匂いのもとが常に水泡の形で確認できる。発射者がすぐに判ってしまう悲しさもないわけではないけれど、別角度から屁を愛でる楽しみを享受できるわけだから、たまに味わう趣深い屁との付き合い方ということもできるであろう。
渾身の卓球編を書こうとしたが、長くなったのでまたの機会にする。