夫と離婚して現在働いている場所は、心の問題とも関係ある職場です。


そんなこともあり、病気がひどく精神科にお世話になっていたころの話から、意外な事を知りました。



同じ年の看護師さんの前職は精神科のナースだったようです。


それを聞いて、10年前くらいに通っていた精神科の事を思い出し、○○クリニックって


知ってる?と聞いたところ、そこの院長は彼女の勤めていた病院で勤務医もしていたけれど、


数年前に自殺したようだと話してくれました。


自殺というのは、そうだろうと周りが話している事であって、死因は公表されていないみたいです。



その後、職場のソーシャルワーカーの女の子と話していたら、セクハラの話になり、


私が精神科で、必要と思えないのに二度も胸を見られた上に、次は横になってと言われ、


変な雰囲気で触られそうになったので、思わずガードしたら、そこで何事もなかったように診察が


終わった事などを話し、これってセクハラだよね?と聞くと、『たださ割りたいだけじゃん。』と、


顔をしかめて言われたので、私の自意識過剰ではなくやっぱりセクハラだったみたいだ。


その医師の不審な死に、もしかして、患者さんに手を出したのでは?恨みをかった患者さんに刺された?


などと二人で妄想してしまいましたよ。(ついでに、彼女の友人がそこでセラピストさんの職に就いたばっか


りだったとも。)



その医師に診てもらっているときは、調子が悪かった。薬も処方がめちゃくちゃだったようで、薬局に処方箋


持っていくと、薬剤師さんが不審そうに医師をかけていたことも。


もらった薬を全部飲んで病院で胃洗浄した私を入院させなかったり、セラピストさんとのカウンセリングを


自分がするとなしにしたり、机の引き出しから薬を出して追加して来たり、今思うと変な事がいっぱいでした。



医師って自分の仕事に誇りをもっている人が多いと思う。その医師もプライドはあったんだろうけど、


深いレベルでの誇りある仕事ができなかったんだと思う。だから、患者にセクハラしたりして憂さを


はらしていたのだろう。私は同情しない。他人を憂さ晴らしに利用するような人間は嫌いだから。




 私はよく自虐的だと言われる。


 よくよく親に洗脳されてしみついてしまった無化価値観。


 私が私のままでいたら否定されるという経験は親からだけもたらされたものじゃない。


 ADDからくる要領の悪さを、能力がないと見下されたり、できることもできないと


 決めつけられて軽く扱われたり。


 だまって従ってしまうと要求がエスカレートしてきて身の危険を感じたり。


 たぶん私の自尊感情が低いことを突いてきているのだと思う。


 弱い(と思っている)人を利用したり、感情のはけ口にしたり人はしがちで、


 でもそうじゃない人もたまにいる。


 私はだめじゃないって心から言ってくれる人がいてやっと呪いが解けた感じだ。


 ただ、まだ私を見下してくる人もいて、そこを跳ね返すまでに回復していない。


 でも負けない。


 少しづつ。


 そしてそういう人にレッテルはって、見下したりはけ口にするような人間にならないと誓う。



 お茶の先生も、職場の上司も、前の職場の老人もその息子も、夫の親戚も大嫌い。


 私を軽く扱ったから。使い捨てたり、無能だって見下したり、見せしめに私だけ注意したり。


 だけどそれさえも気にならないくらい私は変わっていく。



 私は私のために生きる。他の人のお守をしない。私に甘えるなんて見当違い。見下している


 人に本当は甘えてるってことに気づけない方が醜くみっともないっていうのが私の価値観。





 

自分は子どもを産んでいないのだけど、こどもと接することがあるなかで気づいたこと。


暴言はいたり、暴れたりするこどものそのマイナスのエネルギーやパワーはその子が本来持って

いたものではないということ。だいたいはその子の親のマイナスなエネルギーをこどもが吸収して大変なことになっている。


あばれちゃう子どもとよくよく向き合っていくと、その暴言だったり、人へのいじわるや蔑み、そんなものは親の考えや、世の中への恨みと人間不信からきているのだ。

人をさげすんだり馬鹿にする発言をしている子どものお母さんに「お母さん筒抜けですよ?恥ずかしくないですか?」って皮肉の一つもいいたくなるのだけども、それはそのお母さん、自体が傷ついてきて、今だいやせない傷や恨みで苦しんでいる。

元をたどっても、もうどこがそのマイナスエネルギーの出どころかわからない。


私もその罠に陥ってずっと苦しんできた。


生きているだけで惨めでダメな気がしてて、自分が汚いような気がして、消えてしまいたかった。でも、それって私の両親が自分たちを惨めでダメな人間だと思い込んでいたからだと思う。

本来の私はほんとうはおおらかで、楽天的だということを思い出すのに長い時間がかかった。

ほんとうに自分は自分で完結していて、だから周りを尊重できるのだと思う。自分の中に人を取り込んで不自由にしてはいけないのだ。




あけましておめでとうございます。


2013年(思えば、2012年から始まっていたのかもしれません。)

起こった出来事で、私は今までの生き方を変えざるえませんでした。


一見過酷に思える出来事を通して、私の中の、怒り・悲しみ・罪悪感

といったネガティブな感情が少しづつ洗い流されていきました。


人生に起こる出来事はすべて意味があることだということに気付くことが

出来ました。


私はこれからも良い方向へ変わっていくでしょう。