この映画は病気でマルセリーノの祭に参加できない子供のもとに訪れた修道士が、マルセリーノの物語をその子供と両親に語り始めるところから始まります。
子供の病気は重く、ひょっとすると死が近いのかもしれない。
そんな状態の家族に伝えたい僧侶の思いとは...
12人の修道士に育てられた捨て子のマルセリーノはいたずらっ子です。
言ってみれば12人の父親に愛情をたくさん注ぎ込まれて育った子。
悪意のかけらもない、まっすぐに育った自然児です^^
そんな彼が何よりも求めてやまなかったのが母親の存在。
木製のキリスト像がマルセリーノの優しさへの見返りとしてマルセリーノの願いを聞くと、天国の母親に会いたい、と即答します。
そしてマルセリーノは神の恩寵を受けて天国に召される...
現世に完璧な天国はない、というキリスト教の発想が共有できなければ「?」となる話かもしれません。実際この作品はカトリック教会も推薦する大成功した宗教映画の1つです。
でもキリスト教に帰依していない私でも、この作品を観て感動するのは何か別の要素があるのだと思います。
修道士たちとマルセリーノの生活は、それ自体が美しく完全な詩のようです。
映画は白黒ですが、画面いっぱいにスペインの荒涼とした自然、真っ青な空が広がって見えます。
愛と信頼で完成された修道院という特異な環境下で、マルセリーノが誰にも愛される無垢の魂を手にするその過程が、美しいBGMと相まって観る人の心に迫ってくるはずです。
マルセリーノは僧侶1人1人に、その見た目や仕事からあだ名をつけて呼ぶのですが、それが「お粥さん」であったり「鐘さん」「病気さん」という具合で...^^
それぞれとの心の触れ合いがなかなかしっかりと描き出せているのです。
修道僧たちは、子供を大切に育てる中で、おそらくもってはいけない執着をもってしまったのかもしれない。
それはマルセリーノを失う苦しみにつながるものです。
しかしすべての人は天に召され、そこで幸せになることができる、そう信じることが現世の苦しみを癒してくれるのです。
だから、無垢の魂を持った子供が点に召されるのは神の恩寵。
一生懸命育てた親とはいえ、それを受け入れ感謝しなければ...神父はそういうことを病気の娘の親に伝えたかったんだと思いました。
そして病気の娘にも、完全な喜びをもたらす天上の国へ、恐れることなく旅立つことの素晴らしさを教えようとしたのかな。
こうやって、人は誰かを失う悲しみや苦しみを消化し、人生に絶望することなく生を全うする術を懸命に探してきたのでしょう。
そこでは映画に出てくるような「永遠に醜くなることのない」母親像や、痛みに苦しむキリストの姿が、有効に作用してきたはず。
宗教がもたらす優しさや慰撫という側面には、世界中の多くの人々が救いを見出す普遍性があるのだという思いを新たにしました。






