次女は父が亡くなった後、未婚のまま妻子ある肌の色の違う人との子ども(女の子)を出産した。


離婚後も前妻との間の息子を大切にすることが気に食わず喧嘩をした挙句に家を追い出された次女は半ば強引に実家に入った。


産休で収入もまともにないまま乳飲み子を抱えて転がり込みスタートした同居は母の不満やストレスを増幅した。

母は孫の肌の色の違うことがどうにも受け入れられなかった。


当然、ことあるごとにイヤミを言われる次女にとって居心地が良いはずはなかった。

しかし産休は一年。貯金もなく子どもの父親からの養育費もない為に身動きできなかった。


このギクシャクした同居が始まってしばらくした頃に私と叔母が母をボケ老人扱いしているということを次女が母に話し状況は一転した。


私が財産を狙っているとか、母はお金があるのに次女に援助しないのはおかしいと言っているとかとにかく私が相当酷い人間だということを次女が母に念仏を唱えるように吹聴していたことを後日叔母を通じて知ることになる。勿論、何一つ事実ではない。


私の怒りも去ることながら三女もかなり憤慨した。そして三女とは別件でいざこざが起き次女とは絶縁状態が続いている。


次女と母の同居を心配した三女と私は早めに母を病院に連れて行く必要があると判断し『物忘れ外来』を探し予約した。


それと同時に三女が次女に母にとってこの今の状況での同居は負担が大きく、もし認知症だったら無収入の次女親子の面倒を見れるわけがないから子どもの父親ときちんと話し合って自立しろと引導を渡した。


結局、子どもの父親と折り合いはつかないまま賃貸アパートを契約し実家を出た。

このとき私の夫が保証人になったのだが、夫の収入証明書で我が家の年収を知り、「子どものいない夫婦二人の生活であれだけあれば私は呑気に暮らせるはずだ」と母にわざわざ我が家の年収を教え、私に自分の苦労がわかるわけがないと言ったそうだ。母から引っ越し費用から家財道具まで用立ててもらうことを正当化するように…


初っ端から介護の妨害に遭ったが、『物忘れ外来』に行き、また一から今後のことを考え直すことになる。


※「妨害」は一度終了。