violao0331さんのブログ

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生きている間は悩みが絶えない。
どんなに恵まれた境遇にも必ず憂いが付き纏う。 それでも自分の寿命をきめるのは自分ではありえない。
こういうことを考えても仕方ないので、自分が死んだ後のこの世を考えてみる。
僕には親類縁者が一人もいない。恋人はいるが、あとは赤の他人様ばかり。
死んでも未練は残らない。しかし来世については話し半分で受け止めている。
死んだ後のことなど、誰にもわからない。
こんな風に生きていると、なんだかどうでもよくなってくる。
生きるも死ぬももどかしい。
確かなことは誰でも必ず死ぬという事実。
これに基づいてなければ真の人生設計はできない。
僕の今の年齢を見たところで、明日は誰にもわからない。
ようするに人生なんて、必ず終わるフリータイムなのだろう。
そのフリータイムにやりたいことを成し遂げられれば、それが、しあわせというものかもしれない。
いずれわからぬ来世に向かうかもしれない時も、後ろを振り返ることもなかろう。
僕は、人生の半ば過ぎに、自分の願いはBOSSA NOVAをマスターすることと、結論した。
あれからいろいろあったが、事態は少しづつ実現しつつある。
時には、上手く出来ず短気を起こすこともある。 あるいは、ほったらかしにすることもある。
だが、人生を賭けたレースである。
いろいろあって当然。 要は僕の心が、いつも、BOSSA NOVAにあればいいのだ。そのための道はギター弾き語りの実践だけではない。
物事はなんでもそうだが、焦って行うと失敗する。時間をかけてゆっくりのんびりやるほうが、実は、近道なのだ。
自分の死後の話しから、だいぶ逸れたが、僕の死後に何も残らないのは承知である。仮りに残ったって来世の僕には無縁になるだろう。
先達を見てると、そんな気がしてならない。
弾き語りのバッキングのボサノバギターと、ソロのボサノバギターでは、まるで違う。
ジャンル分けして扱った方が確かだ。
Ary Barroso の morena boca de ouro とBonfaの tristezaを練習している。
10月の発表会用なので。 いくら練習しても、切りがない。完璧なものを作るというのは、こんなにも大変なことなんだ、と今更ながら、ジョアン・ジルベルトを尊敬してしまう。
僕はだらし無く練習して行かないと身も心も持たないから、食事時間はオアシスだ。

さてと、お昼はパンにしようかな。
今日初めて表へ出るわけか。
ちょっと、とばし過ぎたかな?

それにしても、こんなに一生懸命になってどうしようと言うんだろうね?
あんまり幸せ感じないよ。修業中はなんだってそうだろうけどね。

つらくても頑張った分、自分は伸びるから、素直に頑張ろう、お昼食べてからね。