食・音楽・読書生活と所見? -10ページ目

食・音楽・読書生活と所見?

今日食べたもの
今日聴いたもの
今日読んだもの

エアスカイダイビングのCM、面白~い!

あれならやってみたいな

怖くないもん。


あとCMと言えば

渡辺謙・瀬戸朝香の、DOCOMOギャラクシー。

あれはもう本当に素敵ラブラブ

うちの20歳・18歳もめろめろである。

でも携帯はSBである。

あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
本年もまたどうぞよろしくお願いいたします。


及川光博カウントダウンライブ帰りです。まだ眠い。


ストーブで黒豆煮つつ(年明けたよ!)
録画の紅白見てネット正月です。

黒豆はよく煮上がった。
今はたくさんいただいた大根を、米のとぎ汁で。

ストーブ大好きだー

実り多き年となりますように。
収穫どっさりの。

官房長ーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!























ダメでしょう死んだら。
大体こらそこの警察官
なんで刺した人がまだナイフ握ってんのわかってるのに引き離すのよそのまま。


危なかった。
頑張って見てきてよかった。
小野田さんが死んだの知らずに元旦SP見るところだった。
面白かった。好き。



私にとって初3D映画(ディズニーランドを除く)。
余談ですが、始まる前の「ラプンツェル」の予告も3Dで、とてもきれいでした。
予告の気安さで「おー」と小さく声を上げてしまった。

3Dで字幕って無理みたい?吹き替えでした。

1982の映画トロンは、
ライトサイクルの青緑の光が高速で走る場面しか覚えていない。
でもとても面白くて、
「デジタルの世界(ああ不器用な言い回し)ってこんななんだ!」と
子どもながらにいたく感動した強い感情の記憶があります。
DVDが出ているらしいです、見なくっちゃ。


さて、感想・連想・疑問等を。


ケヴィン失踪中の20年の間に世の中がどう変わったのかを話す、
親子の会話が心にずっしりと重くのしかかる。
「金持ちはますます金持ちに。貧乏人は貧乏に。」
ケヴィンが1985年には思いついていたというWi-Fiは実用化されているけれど、
科学の進歩が人間の幸福と比例していない。

私の外れた予想では、
クオラが犠牲になって、ケヴィンとサムが帰還する
と思っていた。
犠牲になったのはケヴィンだった。

「奇跡のプログラム」であるクオラを
こっちに連れてきてはいけないのではないかと思う。
世の中がひっくり返るでしょう。

誰も死なない。移動しない。何も考えなくていいかもしれない。
地球上のエネルギー消費が爆発的に増大するようになってしまう。
今までの科学と同様に、クオラは人類が破滅の道をひた走る忠実なお供となるんじゃない?
悲観的過ぎるかな。

しかし希望も見えた。
一つは、サムとアランがENCOMトップになれば、
このプログラムは無償配布されるだろうということ。ENCOMの手を離れたところでお金が動くのは仕方がないけれど。資本主義だから。
殺し合いにはお金が絡むもの。

もう一つは、システムの世界で、プログラムが喜怒哀楽を感じていたということ。
パーティーや音楽、闘争的なゲーム観戦を楽しんでいた。
破壊されてしまった連れ合いの破片を両手にすくって、泣いていた。嘆いていた。
不正監視システムも、ちゃんと機能していた。
彼ら(それら?)が無垢の赤ん坊や動物と同じように、
人類に気づきを与える存在になれば…飛躍しすぎかな。


世界中の人が日本人の水準で生活しようとすると、
地球2個分のエネルギーが必要だという試算があるそうです(WWF。サンケイニュースhttp://sankei.jp.msn.com/science/science/100826/scn1008260941001-n1.htm )。
クオラは、地球2個分のエネルギーをあっさり供給することができてしまうのか
それとも、日本人に少しのもので幸せになれると納得させることができるのか
どちらでしょう。


さて、クオラが男性の表現体だったとしても、
サムは連れて帰ってきたのか?
カリフォルニア工科大学に行くような人は、
いきなり「ゲーム」に放り込まれても対応できる体力も併せ持つのか??
ゲームアーケードの電源つけっぱなしで大音量放置しちゃダメでしょうサム君!!!
という突っ込みはさておき

心のずきずきを感じながら、人類の幸せって何よ、と
投げられて受け取ってしまったボールのような壮大なテーマを
ポッケにずっと入れている気分です。

昨日、半年以上振りのところに行ってきた。


先生ご夫妻をしばらく独占していて

申し訳なく思ったのですが


医者を必要とするのは健康な者ではない

ということなので


許していただきます。m(_ _)m




行かないと、何となく

生活が荒れるような気がします。

気のせいかもしれないけど。

柚子湯に入り

かぼちゃをいただきました。


うん。ちゃんと日本人だ。

今見終わったところ。
私よりも、うちのハタチがかっこいいと騒いでいた。

飛び上がって騒いだ。夜中だよおバカさん。


なんでも、
「眼鏡&Vネック&ジャケット」の組み合わせが
最強なのだとか。
誰でもいいんかいな。

ところでさ、
カウントダウンライヴのバンドメンバーはいつ発表するの?!

上下巻。
冒険の旅のあまりの過酷さに
ドキドキしましたが
途中
ジャンプ的展開にちょいと飽きかけたのは公然の秘密^^;

まあ、昨日はほめちぎったけどね。


ジャンプ的展開とは、この場合
週刊少年ジャンプ掲載の冒険漫画によくある、

「主人公が自分より強い相手に無鉄砲に突っ込み、
簡単に負けて自棄になり、
しかし仲間に励まされ、あるいは仲間の危機に触発され
再びやる気になり、
すごく頑張って突っ込み、
やったぜやっつけた!
と思ったら実はやっつけてなくて、
復活してさらに強くなった相手を前にして、
(振り出しに戻る)・・・」

というお話の展開の仕方です。
私が初めてはっきりとそれを意識したのは、
『バスタード!』(萩原一至)で、1988年頃。


ハリーをもう読んでしまった友人にそのことを話したら
「冗長、っていう意味かと思った。ドラゴンボールみたく、長く続きすぎて。」
と。
ほう。頭がいいな。
封切前に大急ぎで本(邦訳)を読み、それから
映画を観てきました。


























本は、本当に泣けて泣けて、電車の中などで困りました。
ハリーポッターシリーズは、全編を通して
『ハリーポッターと、セブルススネイプの哀しい片想い』
だったのね。

スネイプ先生が決して敵ではないとの確信は早くからありました。
それで、勝手に
「最後に『やったーダンブルドアが勝ちましたー!』ってことになっても、
スネイプへの疑念が完全に消されるのは難しいんじゃないかしら。
かわいそうな役回りね」
なんて
心配していました。

そして、『死の秘宝』後篇を手に取った時、
ついうっかり後ろの方を開いてしまって
「セブルス、君がいてくれてわしは幸運じゃった」
とかいうセリフを意図ぜず読んでしまったの。
それで、
「あー、やっぱり!思ってた通りの展開じゃありませんか。読んじゃったよー」
と、自分のうっかり加減に少々落胆して
しかし安心して読み進んでいったのです。
あらかじめ仕込んであった何かのトリックを使って、
スネイプがダンブルドアを生き返らせるものと勘違いして。

そんなことはありませんでした。
悲しみは悲しみのまま。
そして次々と悲しみが。


でもスネイプの最期をハリーが看取り、
本当のことを知ることができた。
「ぼくをみて」(大泣き)



スネイプの魔法界での名誉は、
ハリーが息子に彼の名をつけた時に完全に回復したのでしょう。
ハリーの長男は、ジェイムズ。ハリーの父の名。
次男、アルバス・セブルス。ホグワーツの、歴代二人の校長の名。



それから、クリーチャーと信頼し合えたこと、
心が温まるようでした。
今後の屋敷しもべ妖精の地位向上が期待されます。





映画は、もちろん小説のすべてを描ききることはできないけれど、
映像があってこその効果や、映画の演出方がいい!と思うところもあり
(ドビーの「ええ、妖精ですから」ってセリフなんか最高!)、
やっぱり両方必要ですね。うむうむ。

昨日の朝、

同僚に話した。

「金曜日に仕事で嫌なことがあったから今日はやる気がでない。」


彼女は

「じゃあ今日一日私のダッフィーちゃんを貸してあげる。」

と言って、その小さなふわふわしたものを私の胸の前にさしだした。

いつもは彼女の机の上の、お菓子の館(缶ね)の上に鎮座ましましている、その

ダッフィーちゃん。


むむ。か・かわいい・・・


黄色とピンクのメモ用紙でお座布を作り

昨日一日私の机におかせてもらった

ダッフィーちゃんはすんなりと私の癒しとなったのだ。


私に必要なのは、これだ。


というわけで今日は、ドナルドダック(ハロウィン仕様)を持参。

ちらりと右前をみるとそこにいる、あのユーモラスな顔の彼。

時々人差指でなでたりして。

季節感はないが年中頭の中がお祭りみたいだからいいよね!

このドナルドも、ダッフィーを貸してくれた彼女のプレゼントだったのだ。

気が合うのね、つくづく。


こうなったらクリスマスツリーやネイティビティも飾っちまおうかしら。