「道」に「美知」と言う字をあてる。

知らない人や物事を知ると言うことは美しいことだから。

素晴らしく、美しい感性。



「道」には人や車が往来する道や、茶や香、書などの道があるし、それから「武士道」もまた「道」。


それぞれがそうだけれど、「武士道」など言葉では私なんぞにはとてもじゃないが説明できないものですが。



武士としていかに生き、いかに死ぬか。それは個々の信念では違いもあるし、その時代によってもまた違ってきたと思う。


また"武士"道とは言え、武士のみにあてはまるものではなく、武士道的精神は日本人的精神として今も日本人の根幹には生きているものではないだろうかと思う。



勿論武士道の解釈にも人それぞれの解釈の幅があって当然だし、日本人でなくとも武士道的精神を持つ人だっているわけで。


うーん…。

日本人として。
いやいや、人としてどうあるべきか。
それを知ろうとすること自体も武士道に繋がる美知なんだろうか?


「美知」と言う言葉から「武士道」とはなんぞ?まで行き着いた。


…ので、今夜は新渡戸稲造氏への美知を辿って歩いて行くかと馬鹿がつらつら考えている夏の午後。

稚拙な文章にしかならないのがなんとも残念。